お薄四十八手 十一服
過日の稽古は、江戸中期のはまぐり棚で濃茶を切った。軸は雪底老師のお筆で、『屈』の一文字。その傍らには『縮伸』と書かれてある。大先生が大事にされている一文字で、伸びるには屈することが必要という意味になる。濃茶器は瀬戸焼の大海。それが長尾で包まれてあった。茶道具が置かれる場所は凡てカネワリという計算方法によってだされているが、カネワリが日本で誕生したのは、聖徳太子の時代の建築方法にあった。したがって、千利休はその建築方法をお茶に持ち込んだに過ぎない(無論、これもすさまじいことであるが)。
過日のお薄四十八手でも草したような氣もするが、濃茶は陰から陽にむかって茶を切り、同じ経路を還って陰から陽へとおさめる。そして、今度は陽から陰にむかって茶を切ってゆき、陽から陰へと再びおさめる。そこには和合があり、その和合された茶を客にふるまうから価値がある。真行草は客によってそれぞれ使い分けるけれども、どれも皆、和合方法が異なるだけで、目指す頂は同じである。行においては、釜から柄杓をとる際、手をひらいてはとじを繰り返す。あれは密教のランビンランビンランビンウンを表しており、呼吸があって死があるということなのだそうだ。吸氣とともに手をひらき、呼氣とともに手をとじる。ごたいくつさまでした。