月刊 草(十月号)
私も来月には三十五になり、江戸時代であったならば隠居してもよい年である(笑)。高齢化社会の戦略としてはいたしかない部分もあるのだろうが、生涯現役やアンチエイジングに執着する生き方はどうも私にはあわない。男たるものやはり江戸っ児を視ならって、余力を残しておきながら辞するという態度がよいのではないだろうか。哲学は実践せぬところに色氣があり、太陽系は公転せぬところに茶目っ氣がある。
ところで、私の手相には随分まえから三十五で大きな変化の兆しがでている。手相に依存するタイプでも、それを軽視するタイプでもないのだけれども、不可思議なことに最近、来年の準備がありがたいほどに舞いこんでいる。台風のおかげで時間ができたので、先ほど家の窓辺で依頼されているものをこなしていた。外からは環七の交通音が台風一過の晴天とともの届けられ、家のTVからは超音波によって空間を分ける方法が流れていた。そのあいだに挟まれて、私の指はあくる年の音をつくっていたということになる。願わくば、レースのカーテンの軽やかさを失わずに年相応な人生を送っていきたいものである。
ところで、私の手相には随分まえから三十五で大きな変化の兆しがでている。手相に依存するタイプでも、それを軽視するタイプでもないのだけれども、不可思議なことに最近、来年の準備がありがたいほどに舞いこんでいる。台風のおかげで時間ができたので、先ほど家の窓辺で依頼されているものをこなしていた。外からは環七の交通音が台風一過の晴天とともの届けられ、家のTVからは超音波によって空間を分ける方法が流れていた。そのあいだに挟まれて、私の指はあくる年の音をつくっていたということになる。願わくば、レースのカーテンの軽やかさを失わずに年相応な人生を送っていきたいものである。
