栃木くんのガン、手術元の病院の対応 | 髭の拝さんのブログ

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1225日の検査結果が27日に出て、手術元の病院で医師から説明を受けることになっていた。

しかし、病院の対応は彼をがっかりさせた。 (12/31の記事)




続きです。当日、手術元の医師は、25日の検査結果について何も語ることなく、不機嫌そうにしていたという。

栃木君は口を開かずにいる医師に向って言った。「肺転移したガンはそのまま様子見して、肝転移したガンの放射線治療をして貰えますか?」

それに対して、医師は、貴方には化学療法(抗がん剤)しかない、と、その一点張りだったと言う。




彼は抗がん剤をしたくない理由を訴えた。



「この病院で手術したけど、手術した後に、目に見えない小さい癌が散らばっているであろう。抗がん剤をやると再発・転移率が1割ほど下がるから、飲むタイプの抗がん剤で治療しましょう。そう言われて、勧めに従ったけど、結局こうして肺、そして、今は肝臓に転移した。経口抗がん剤だったけど、思いのほか薬の作用に苦しんだ。だるさ、食思不振、吐き気、特に外食は辛かった。食べ始めると酷い吐き気に襲われて、あわててトイレに駆け込むことがよくあった。もう外食は嫌だ!これでは仕事を続けられない。」

「だからもう、抗がん剤治療はしたくない!」と訴えた。

彼は医師が薦める抗ガン剤治療をすると、「では、抗がん剤治療をすれば、私のガンは100%治ると保証できるのですか?」




医師は、「治らない!」 と答えた。



彼は医師に食い下がった。「治らないのに何故、抗がん剤を薦めるのですか?」



その時の医師の顔は、では、此処に来る必要はないのでは?と、いうように見えたと、表現した。その上、CTや血液検査の結果を渡そうとしないので、データの受け渡しを要求してようやく持ち帰ってきた、と云う。




彼の想いを受け止めて貰えない現実に、失望と憤りを露わにして、この経緯をわずか数分のうちに3回も繰り返して訴えてきた。



私にそれをしつこく訴えたのは、やがてやってくる最期の時を、其処を基幹病院として看て欲しかったのです。



 「それほど不快感を示す医師に、栃木くんの最後を看取って欲しいのですか?」
 「栃木くんの家の前には、その病院を辞めてクリニックを開業した医師がいるじゃないですか。そこの医師は、栃木くんに会うたびに、・・・で、その後(ビタミンC点滴の具合は)どうですか? と聞いてくれるのでしょ。」
 「群馬の県立がんセンターで診療も受け持っているその医師は、代替療法に嫌悪感を抱いておらず、むしろ好意的に見てくれている。」
 「その医師にホームドクターになって戴いたら良いじゃないですか。(栃木くんの考えているような)最期の時がきても、地域連携医療があるのだから、ホームドクターは良い病院を紹介できますよ。不快に感じる医師と接触をもっていてもストレスが溜まるだけじゃないですか。」




「やがてやってくる最期の時」 それは、がん患者の多くが最後は、苦しい・痛い・鎮痛剤で意識が朦朧とする、等々、耐え難い想いで死を迎える、と報じられているからなのだろう。



がんに罹り、手術を終えて、補助療法として化学療法を受ける。その後、転移・再発があれば、放射線治療、或いは再び化学療法などを繰り返して最後の時を迎えるようになると、苦しんで亡くなる、と云う情報しか目にする事ができない。



がん患者の末期は、果たしてそうなのだろうか?