君を愛しいと思う度に | 雪のような灰

雪のような灰

過去は決して死なない。それは過ぎ去ってすらいない。—ウィリアム・フォークナー

高橋しん『最終兵器彼女』の愛蔵版が出ていたので、中学生ぶりにアニメを観直してみた。


久しぶりに観て、中学生のときはあんまりおもしろいと思わなかったのに、なぜだかとても良いなと思ってしまった。
漫画のほうが好きかなーって感じではあるけど。(まだ第1集しか買ってない)


ちっぽけな町のちっぽけな高校生が見届けた、彼らだけが知っている地球の終末の真実。
最初はとても規模が小さくて、ほんとにセカイ系?って疑ったけど、だんだん戦争色が強くなっていって、ラストは地球規模まで広がって、最終的にはちゃんとセカイ系だった。君とわたしの見てきたものがこの世界のすべて。君に恋してるときだけは人間でいられた。ちせにとってシュウジに恋をすることが、すなわち生きることそのものであり兵器になっても生き続ける意味だったのかなって思う。



劇中で誰かが「傷つかない人間なんていない」みたいなこと言ってて(うろ覚え)、ああそれ最近よく聞くなぁ…この間授業で成宮アイコさんの「傷つかない人間なんていると思うなよ」の映像観たんだよなぁ…とか考えた。
傷つかない人間なんていないんだよ。
傷つくことは生きてる証なんだよ。
その胸の痛みは、君が生きてる証拠なんだよ。生きることは痛みを感じることなんだよ。
ちせは恋の痛みを感じることで自分がまだ人間であることを確認した。
たぶんレヴィナスの「可傷性」って言葉に共感できる人はよくわかる作品だと思う、最終兵器彼女。


それにしても、昔はぜんぜん響かなかったところで感動していて驚いた。
わたしは変わったのかな。
この作品がおもしろいって思えるほどに、愛とか恋とか生きることについてとか、少しずつ成長してきたのかな。知らず知らずのうちに。
ある人に、「愛することが生きる価値だって誰かが言ってた」と話したら、「それはそうだよ」と当然かのような返事をされたのを今でもおぼえている。
中学生のときにあんまりおもしろいって思わなかったのに、今とても良いなって思ったのは、本当は、自分の心情と重なったからなのかもしれないな。
最果タヒさんの本に出てきた「愛することが生きる価値よ」って台詞を思い出す。


人は誰かの体温があって
生きてる気がするの

誰かのぬくもりが欲しい
愛を込めて抱きしめてください とても寒いの
私を全部つつんでくれるなら
傷んだ傷を癒してください

—谷戸由李亜『体温』より


ふたりの束の間幸せだった時間に流れた挿入歌『体温』が物語っているように。



わたしのハイパーセンシティブな心が戻ってきたように感じられる。
鈍感にならなくては生きられない環境に足を踏み込んでから凍結してしまった、わたしの繊細で傷つきやすい感情よ。おかえり。
これでまた冬を越せるね。