あるいは不死鳥のように | 雪のような灰

雪のような灰

過去は決して死なない。それは過ぎ去ってすらいない。—ウィリアム・フォークナー

この世界の主人公はわたしではないが、それはもっと広義の問題で、このときの主人公っていうのは世界そのものとか、とても大きなものなんだと思っていた。
そのときわたしは主人公ではないわたしの物語を自ら展開しているつもりだった。


だから、ある日突然、わたしの見てきた物語がわたしのものではなかったことがわかったとき、打ちのめされた。
主人公は身近で居場所のわかるところに存在していて、わたしはずっとその人の裏を生きていただけだった。
わたしは絶望した。
わたしの世界の主人公が、こんなつまらない無力な女の子だったなんてね。
記憶と食い違い、明確な悪意を持って真実はわたしのもとに訪れた。


あのとき、ようやく「身代わり」を生きていたことを自覚したのだ。





一度自殺に失敗すると、当分はしたくなくなる。
(5月あたりの話)
これであと3年はもちそうだな。

3年周期で死んでいくのを繰り返すっていうのはどうだろう。
運が良ければ(?)、そのまま死ぬこともできる。
よく言えば、死ぬことで何度も何度も蘇るわけだ。

不死鳥みたいな人生。
そう、わたしは何度でも蘇る。
何度打ちのめされても死にかけても、不死鳥のように、化け物のように。
本当はもう死んでいるのかもわからない。