なぜ「ノヴァーリス」なのか。読書の醍醐味 | PARISから遠く離れていても…

PARISから遠く離れていても…

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術や、最近では哲学についてのエッセイなども。
時々はタイル絵付けの仕事の様子についても記していきます。

ノヴァーリスと検索し普通まず表示されるのは

バラ図鑑、そして青味を帯びたピンク色ピンク薔薇の薔薇の写真。

しかし、詩人ノヴァーリスを知っている人や

名前の由来が未完の小説「青い花」からきていると

知っている人は案外少ないかもしれない。

Novalis は新しい地を耕す者を意味するラテン語。

ドイツ・ ロマン派という文学運動を興した中心人物で、

ここに」詩人、思想家ノヴァーリスが 誕生したのである。

 

さて、なぜノヴァーリスなのか?という今回のタイトル。

【小さな読書会】のメンバー、有志の皆さま

また毎回欠かさず記事を読んでくれている読者の方々には、

改めて声高に言うことではないかもしれないけど……。

 

 

現在取り上げている『サイスの弟子たち』について

これを深堀し続けているのには訳がある。

それは噛めば噛むほど味が出る小説だから。

何度も読み返すそれだけの価値はある。

そういうのはざらにあるものではない。

 

頂いたコメントでは難しいといわれるものも多い。

文章自体は平易であるとしても内容的に理解できないと。

実は私も最初はそうだった――。

これは小説の冒頭近くに出てくる言葉だ。

「不可解とは、要するに、理解力の無さがもたらす結果に過ぎない。
理解力が無いと、自分がすでに持っているものしか求めない。
だから、それ以上の発見にはけっしていたらないのさ。
ひとが言葉を理解しないのは、言葉自身がみずからを理解せず、
また理解しようとも思っていないからだ」
(本文40ページ) 

しかしこれを読んだとき、なるほどそういうことなんだと思った。

少なくとも哲学らしきものを齧り始める数年前までの自分は。

 

たとえばよく話題として取り上げられるこんな質問。

「もし無人島に一冊だけ持っていくとしたら、どんな本を選ぶか」

その時、何の本があなたの頭に浮かぶだろう。

一冊と言われてもなかなか選べないから、聖書にしておこうか。

そう答えるのはキリスト教圏の人々や信者の人が多数だろうけども。

そうではなく私はもっと一般的な身近な人たちに聞いているのだ。

はい、あなたですよ、あなたに聞いてるんです。

しかし結局は一冊と聞かれれば迷う人が大半ではないのか。

そんなあなたにぜひノヴァーリスのこの本を

『サイスの弟子たち』を勧めたいと思うのだ。

究極の一冊を求めて旅を続けているあなたに。

あれもこれも欲張りすぎて疲弊気味のあなたに。

あるいは生きることの無常を味わったあなたに。

 

ノヴァーリスは経歴にもあるように鉱山技師でもある。

彼は鉱山を地面を深く掘り進めていくのと同時に

自分の心の奥深くまで掘りすすめて行こうとした。

哲学や宗教、科学、最後に文学を携え

冷静に理性的に情熱を注いだ。

そして探し求めた「特別な石」を見つける一歩手前で尽きた。

私はだから弟子になりたいと思ったのかもしれない。

 

 

                  (vingt-sannことMAGUDARA記)

 

 

 

 

あなたはもし無人島に 一冊だけ本持っていくなら、

どんな本を選びますか?

      

                    画像拝借 /いばらきフラワーパーク

 

 

ピンク薔薇

今後とも【小さな読書会】と

ノヴァーリス『サイスの弟子たち』を

よろしくお願いします!

 

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