読書の秋本番でいよいよ佳境に入りました~
【第4回読書会】
今回は質問④の「読んだのに理解しにくい所、疑問点」
始める前に一つお断りしておきたいことが……
今迄に、また今回のためにメンバーの皆様から質問を寄せて頂いたものを
あれやこれやと意見を出し合ってすっきりできればと思っていましたが
とても一回では終わりそうにないことに気付きました。
なので何度かに渡って分けてやろうと思います。
どうかご了承ください。
『サイスの弟子たち』ノヴァーリス著/岩波文庫
一冊をじっくりと深堀していくスタイル。
コメント欄に感想や質問など書き込んで頂けば、次回本文に取り上げさせて頂くことも。
メンバーであるなしに関わらず奮ってコメント欄にてご参加下さい。
ありがとうございます
初めてこの記事を読まれる方
この本の内容については私の読書感想文をどうぞ!!
ノヴァーリスの「サイスの弟子たち」哲学的なあまりに哲学的なー小説|
それではメンバーの御紹介から
🍋リモーネさん、🌸sakuragaさん、私MAGUDARA(vingt-sann)の3人
それに有志代表のshionさんです。
(今後のやり取りは絵文字を使わせていただきます)
最初に今まで出た数々の疑問点について整理してみたいと思います。
(※岩波文庫の場合はページ数と行を記して頂くと分かりやすいかもしれないです)
まず第1回目の読書会で「不可解なキーワード」としてリモーネさんが挙げられたものについて。
(※以下の赤字の部分は🍋さん自身の自己対話によるもの)
●P40―1行目 人間の感官の上には(一種の)『万物溶解液』がふりかけられているらしい。
→🍋これは、なんにでもなれる万能細胞のことか?
●P94―後ろから2行目 他にも時々出てくる『秘密の工房』とは。
→🍋これは自然の命を創るところといういみなのか?
●P97―3行目 古代の賢者たちが水に万物の根源を求めたのも、まちがいではない。実のところかれらは、『海や泉の水よりももっと高尚な水のことを語っていたのだ。』この高尚な水のなかに姿を顕すのは、もっぱら、溶けた金属にもみられるような『原水』【本つ海】だけなのだ。
→🍋この『原水』とは、命の誕生(始まり)とかわりがある気がしていること。
これらのワードはすべて錬金術に関連するものを言っているのだと思います。
16世紀の医師であり錬金術師であったパラケルススは、このアルカヘストという化学物質?を『万物溶解液』(錬金術の過程で何でも溶かすものとしての液体)として作ろうとしただけでなく、万能薬として試みようと研究もしていました。
おそらくここで言おうとしているのは「一種の万能薬みたいなもの」という意味ではないでしょうか。そのようなすばらしい自然器官が人間には生来備わっているはずなのにそれを鍛え続けることをしないので、自然の暗号文字を解読できそうなっても結局はそれに至らないと言っているように思います。
次に『秘密の工房』について。まずこちらをご覧下さい。
自然は、いたるところに全き姿を現している。一本の蝋燭の炎のなかにもありとあらゆる自然の力が働いているが、そのように、自然は、いたるところに不断に自己を示現しては変容し、葉も、花も、実も同時につけさせ、(中略)しかし、いったいどんな独自の仕方で、自然は、遠くからでも同じように働きかけるのかはわからないし(P92―後ろから3行目~p93―6行目を参照)
要するに、これは「自然が織りなす計り知れない神秘の世界を工房と名付けている」のではないでしょうか。また錬金術師たちがそれを解読しようとする錬金術工房の意味もあるのかもしれません。
リモーネさんの「自然の命を創る」という創るというニュアンスとは少し違うかもしれませんが、それについては後に出てくる疑問の中で関連して考えてみたいと思います。
そして『原水【本つ海】』について。
この部分こそまさしく錬金術そのものを表わしていると思いました。
(P96の真中からあたりから始まる)瞳をきらめかせた若者が叫んだ言葉を、今一度味わってみてください!
そんなとき! いたるところで燃え上がるこの炎はなんなのだろう。熱い抱擁なんだ――甘い果実が歓喜の雫となってしたたり落ちるあの抱擁なんだ。空気の和合から生まれた生まれた初子である水は、その悦楽に満ちた出生をいなめずに、自分が愛の元祖であり、地上にありながら天上の全能の力と混和した元素であることを身をもって示す。
この文章自体が、錬金術の過程そのもののように思えませんか!
古代の賢者たちの中には水に万物の根源を求めるタレス(紀元前585年頃)という哲学者がいました。ここでノヴァーリスがこの若者に言わせている高尚な水というのは、単なる物質的な水のことではなく、生命原理、魂(プシュケ)というもののようです。
なのでリモーネさんのおっしゃるように、錬金術的に言うなら、溶けた金属にもみられるような『原水』【本つ海】は、命の誕生(始まり)といってよいのかもしれません。
さて、リモーネさんからは前回3回目にも質問のような形でもって幾つか寄せられています。
🍋①師とは誰なのか
🍋②なんでも本質を見通せる子ども。そしてそれに追従することになった不器用なある弟子が拾ってきた石を師がストーンサークルに置いたのは何を象徴しているのか
🍋③ヒヤシンスと花薔薇の挿話について。
🍋④イシス神のヴェールをかかげる意味、ヴェールの中にあるものとは
この中でいきなり①の師とは誰か?から始めるのもなんですし(笑)、③と④は今回のsakuragaさんの疑問とも重なる、最後の重要なワード○○○○の四文字にも関わってくる部分と思われるので、後のほうで見ていきたいと思います。
ということで、②師が石をストーンサークルに置いた意味についてから始めましょう。
実は有志代表のshionさんから前回の読書会の感想についてコメント頂いた中にも、②のことについて触れられていた部分がありましたので、まずはそちらから見てみることにしましょうか。
皆様の考察は新しく気付かされることばかりで、まだまだ読み込みが足りないことを実感しました。
私は「詩人とはどんな存在か」について話している部分が印象に残っています。
科学者による自然の分析には限界があるけれど、あふれる想像力で自然に向き合う詩人は、ありのままの自然に近づける。
「ひとりの美しい若者」が、そんな詩人の素晴らしさを語るシーン(P87~91)は読んでいて一番楽しかったところです。
(「黄金の葡萄の酒に甘く溶けてしまいたい」(P88)なんて比喩が出てくるし、彼も詩人だったりして)……と、詩人にばかり目が行ってしまい、sakuragaさんが注目された漁師さんや農家さんのことは余り気に留めていませんでした。
確かに、「自然とさまざまにつきあい、わたりあうような場所」(P106)で暮らす人々もまた、自然を真に理解できる心を持っていそうですね。
ノヴァーリスの①「石化した自然」のイメージも興味深いですが…ちょっと難しそう^_^;
P90~91の内容からすると、自然は石化して外部の侵略(?)から身を守りつつ、内部から成長していく…のでしょうか?
でも常に固まっているわけではなくて、時期や相手によっては石化を解くこともありそう。
そして②リモーネさんが問いかけられた、「師」が石をストーンサークルに置いた意味。
石の並びからして、「人生」や「世界」の始まりといったものが浮かぶのですが…後はちょっと思いつきません。
わからないこと、気付けていないことだらけですが、読書会を通じて少しでも教わることができたら、と思っています。
shionさんいろいろとご自分の正直に感じたままの感想を、具体的な例など挙げて頂きわかりやすかったです。またとても参考になる意見をありがとうございます。
さて、shionさんのコメントの中の傍線を引かせて頂いた②の部分ですね。これにはsakuragaさんがコメント欄で答えてくれていますが、個人的になかなか興味深かったです。
↓ ↓ ↓
🌸ストーンサークルに置かれた石が師の探されていたワンピースだったとしたら。
そこで思い浮かんだのはカエサルの「賽は投げられた」という言葉。
「後戻りはできない」「やるしかない」
朧げながら何かの始まりを示唆しているような。
無から点が線になり面となる。たかが点されど点にあらず。
点描画みたいなイメージでしょうか。
その発想がおもしろそうだと思ったものの行間にある意味がわからなかった私は、再度説明してくれるようにお願いしました。
🌸ストーンサークルは星座を模している気がして来ました。星も過去と未来をつなぐもの。
そう答えた上で、sakuragaさんは次に前回の最後に私の方から皆さんに考えを深めるための資料として提示した、石そのものについてノヴァーリスが持っている「石化した自然」のイメージ、「崇高なるものには石化する作用がある」についても御自分の考えを述べてくれたのです。それはこういうものでした。
↓ ↓ ↓
🌸石化した自然について――私には、それは化石の一種ではないかと思えます。
生息していた生物が地層に閉じ込められ、硬い組織を中心に鉱物化したもの。
それこそが化石なのです。
具体的に言うと琥珀もその一つですね。
それこそが過去と今と未来を点と線で、つなぐワンピース。
なるほど~sakuragaさん、いろいろとお答え頂きありがとうございます!!
この石に関する2つの問題については、皆さん同様に私も考えてみたいと思います。
最初に②「師」が石をストーンサークルに置いた意味から―。
具体的なページを挙げるとp46のところですね。
(要約)いつも悲しげな不器用な一人の弟子が、ある日幸福そうに拾ってきた奇妙な小石を師の前に差し出す。すると師はそれに口づけをし涙に濡れた目で皆を見回してから、いくつもの石が放射状に接するぽっかりと空いた場所にその小石を置く。
ここでポイントとなるのは傍線の「いくつもの石が放射状に接するぽっかりと空いた場所」
ヒントとなる箇所が少し前のP42―7行目~P44―10行目の師の話に出てきます。
(※ヒントとなる場所には傍線を。特にキーワードには太字を使用)
(抜粋)わたしは、星を眼で追っては、その様相や並び具合を砂に写し取ったものだった。たえず天空を仰いでは、その澄みぐあいや移りゆくさま、雲や星辰を飽かず観察した。ありとあらゆる種類の石や、花や、昆虫を採集し、これをいろいろに並べてみもした。――また洞窟にもぐっては、鉱床や色とりどりの地層を見て、大地の構造がどのように形成されているかを観察し、珍しい形の岩石があれば、粘土を押しつけて型をとった。――やがて、なにを見ても、それが結合し、遭遇し、集合するさまに注意を払うようになったのだ。
P55―1~12行目にも書かれています。
(抜粋)われわれの内面には、底知れぬ深い中心点から周囲にひろがり、あらゆる方向に向かおうとする神秘な衝動がある。――かの神秘な衝動とは、自然の引力であり、自然とわれわれの共感の発露だと思えるのだ――だが、この素晴らしい環界にたたずみ、ひたすら自然そのものを、その充溢と連鎖の姿のままにとらえようと努め、個々のものの上には、各部分を整然と結び合わせて聖なるシャンデリアを作り上げているあのきらめく紐があることを忘れず、深い闇夜の上で揺れるこの生命ある装飾を観照することに私腹を覚える人は、あまり多くはない。
もう、おわかりですねー。
師はあらゆる石や自然の様子を観察しているうちに、それらが結合し連鎖する様子を発見し、聖なるシャンデリアである星辰(星座)に見立て、地にいくつもの石として放射状に並べたのです。師にとっては石は星々であり雲であり花や昆虫などの自然(人間も)も同様なのですね。
確か前にShionさんがコメントで、どうやって見たら「人間が星に、石が動物に」(P44)なるのか聞いてみたいものです。と言っていて、sakuragaさんがその部分を読み直し、個々はただ見えるものが全てではなく、個々は全部と繋がっている事に気がついたのではないか、と今なら思えます――そう言われてたのを思い出しました。
そういうわけでsakuragaさんの「ストーンサークルは星座を模している」で、正解ではないでしょうか。
後は師がその小石をぽっかり空いた場所に置いた意味ですね。
sakuragaさん曰く、ストーンサークルに置かれた石が師の探されていたワンピースだったとしたら。この発想が大変興味深く思われ、ワンピースとは?なんだろうかなと考えてみました。
P46の少し前の部分に、例の不器用な弟子が喜ばしい讃歌をうたった時に師は東方の空に眼を向けられた、あのような師のまなざしを見ることは2度とあるまいとあります。そして師はその石に長いこと口づけをされる――この部分から、キリスト(=救い主)の到来を予言しているのだと読みとりました。つまり、ワンピースのこの小石こそ待ちわびていた救い主を象徴するものであり、その空間にそれを置くことで自然は完全なものとなる。但し、このキリストというのはあくまでもイメージとしてのものであり、自然の救世主(P114参照のこと)ということです。(あくまでも私の考えです)
●次に石に関するもう一つの問題、「石化した自然」のイメージについて。「崇高なるものには石化する作用がある」について考察したいと思うのですが、5,000字もとうに過ぎましたのでそれは次回ということで~。
【最後に、次回開催にあたってのお願い】
リモーネさんの残りの①③④の三つの質問について
何か浮かびましたらコメント欄までお知らせ下さい。
特に①の師とは誰なのか?について
自分の意見で結構ですので
なぜそう思うのかという理由も一緒に
簡単でいいので添えて頂ければと思います。
※尚、リモーネ🍋さんはただ今の不調のためデジタルデトックス中!
コメント欄への書き込みは私vingt-sannが代筆しています。
―次回、疑問点その②へと続く―
(有志、読者、閲覧者の皆さまへ)
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by vingt-sann
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