Bonjour
鳥たちの爽やかな合唱で目覚める。
いや目覚めと同時に耳にそれが届く、そんな感じだろうか。
ベッドの窓際にある小さな窓の目隠しを少し開けると眩しい白い光が目に跳び込む。
まだ誰もいないアレーヌの姿を見下ろし、この景色を独り占めできる至福。
ああ、パリにいるんだという喜びが身体の細胞の隅々まで行き渡る瞬間。
さて何から始めようか。
語りたいことがありすぎてそのどれもが我先にと前へ出ようとするのを一端制してから…。
やはりカルチェ・ラタンの話から、その象徴的存在ともいえるソルボンヌでの出来事から話そう。
(※以前、カルチェ・ラタンを語るにはまずパンテオンを見なければ…と言ったことを決して忘れている訳ではないが、その件はまた別の機会に譲るとして)
ソルボンヌ広場とソルボンヌ教会
まず最初に訪れたのがサンミッシェル大通りに面したこの場所、ソルボンヌ広場(Place de la Sorbonne)だった。
何度もパリに来ていても訪れたことがないのがむしろ不思議といっていい場所なのかもしれない。
この日は曇りだったがその合間に青空がチラッと覗いたり目まぐるしく空模様は変化し続けた。
自分にとって全く縁がない場所と決め付けていた私が今回訪れる気になったのにはちょっとした切っ掛けがあった。
今度のパリはカルチェ・ラタンを中心に見てまわるつもりだと言う私にある友人が紹介したのは一冊の本。
パリ五月革命私論ー転換点としての68年(平凡社新書/西川長夫著)
――1968年5月、パリを揺るがした大学生と労働者の抗議行動について、当時フランス政府の留学生だった著者が、豊富な現場写真とともに、その歴史的・今日的な意味を問い直す。43年後の集大成!(※以上、平凡社の内容紹介より)
「パンテオンもいいけど…カルチェ・ラタンに行くならまずソルボンヌじゃない!」の一言とともに差し出されたそれに一応ざっと目を通しはしたものの正直あまりピンとはこなかった。たぶん同時代に日本でも吹き荒れた学生運動の空気を吸った者ならばその感想はまた違ったものとなっただろう。
そんな折、ある読者の方が書かれた記事にパリ|ボナパルト街(ちくま文庫/海老坂武著)という本の紹介があった。
ボナパルト街とはどこだろうかと調べつつも、その著者が私の人生の道標である森有正氏の著書の解説を書いていると知り興味を持った。
さっそくネット書店で購入したのは他でもないが、パラパラと捲ってみると取り上げている時代に多少のズレはあるものの、時代の空気はカルチェ・ラタンと言う地区を抜きには成立しない。( ※補足として、海老坂氏の著書は1968年のパリ五月革命以後の1972年から1973にかけて滞在したパリでの体験がきっかけとなり書かれたものであり、五月革命以後の社会の変化というものに焦点がおかれている )
話を元に戻せば――
私はソルボンヌ広場に着くと数枚写真を撮った後で片隅のベンチにひとまず座った。
すぐ目の前の建物を眺めながら、初めからわかってはいたものの中に入れないのは残念だなあと思った。一昔前は一般に開放されていたらしいが、現在はここの学生かその関係者以外は立ち入ることは出来ないのだ。
再びじっくりと細部に目をやりながら、今度はあれ??と思った。急いで日本から持参したガイドブックのページを拡げた。
実物とページの写真を交互に見比べる…おかしいな。建物の外観がまるで違う。
お恥ずかしい限りだが、その時まで私が撮った写真の建物が実はソルボンヌ大学だと思っていたのだ。教会と分かったのは後の事。(付属の教会なのだからまあソルボンヌの一部ではあるのだが…)
私が見たページの写真はこんな建物である
持参したガイドブックのページと同様の写真 ※ウィキペディアより
こちらが実はソルボンヌのメインエントランスである
その時誰かの声が頭上から私に囁きかけた。
「これがソルボンヌですよ」
年配のフランス人らしき男性で、私にそうだと大きく頷くような仕草をして見せた。
「でも…」
私はガイドブックの写真を指差し、これとは違っていると言った。
男性はどれどれと写真を眺めてから「ああ。この写真ですか。これはこの建物の向こう側に入口があるんです」
「そうだったんですかー」
「入口まで御案内しますよ。付いてらっしゃい」
と言うなりその男性はさっさと足早に歩き出したので、躊躇の間もなく私も後を追うようにして付いて行った。
建物に沿ってぐるりと歩いて行くとなるほどガイドブックと同じ外観の建物が現れ、警備員が数名控えていて人の出入りをチェックしていた。
「ありがとうございます」と挨拶しようとする私に彼は尚も手招きするようなジェスチャーをし、警備員の耳元で一言二言何か囁き(おそらく自分の連れとかいうようなことを)私を伴いながら中へと入っていった。
中に拡がっていた世界はこのようなものだった
ソルボンヌの中庭とソルボンヌ教会の裏側(私が外から眺めていた建物だ)
17世紀にルイ13世の宰相リシュリューが建築家ジャック・ルメルシエに再建させたイエズス会様式の建物
パンテオンのようにコリント式円柱のファサードやドームを持つ。リシュリュー本人もここに眠っている
教会前、向かって左側の彫像は文豪のヴィクトル・ユーゴー(1802~1885)
右側には細菌学者のルイ・パスツールの像(1822~1895)
さて、こうした思いがけない展開により、私は普通は出会えない貴重な景色に出会えて満足だったのは言うまでもない。
彼に関して最初思ったこと、それは顔パスというからにはまさか学生でもあるまいからここで働いている人間なのだろうということだった。
いずれにしてもちゃんとお礼を言わなければ…と思った矢先のこと、今度は彼は中庭を横切ったメインエントランスである建物を指差した。
「行きましょう」
私はただ頷くばかりだった。
彼は建物のドアを開け中へ入るとクネクネとした細い廊下を急ぎ足で歩き、あるドアの前で立ち止まるとノブをガチャガチャとやって開けた。もちろん鍵はかかってはいない。そんなふうにして彼が見せてくれた世界は次のようなものだった。
19世紀フランスの歴史家、政治家のギゾ(GUIZOT)の名前の付いた階段教室と言われる部屋
天井から釣られた灯りがなんとなくパサージュを彷彿させる
リシュリューの円形劇場。壁に掛けられた絵はシャヴァンヌのもの
観客席の様子。収容人数は約600席ほどあるという
人気のない部屋で観客席に座って細部の様子を眺め回していると、まもなく写真のように女性が現れてピアノの前に座った。
さて何か演奏でも始まるのか、これはグッドタイミングといえるのだろうか。しばらく様子を窺っていると…
女性は2人組みで観客席に座っているもう一人の女性と演奏の打ち合わせを始めたようだった。
少しずつメロディーを弾いては鍵盤から指を離し、おそらく「ここはこんな感じでいい?」とか
「もうちょっと××したほうがいいんじゃない」などと会話しているのかもしれない。
円形劇場と名前が付いているくらいだから、ここでコンサートも開かれたりするのだろうか。
いやおそらく演劇なども行われたりするのかもしれない。
前述した海老坂武氏の「パリ|ボナパルト街」にはこんな記述もある。
国際演劇祭が開かれている会場のソルボンヌへ。一日に四つか五つの芝居が大教室でぶっ続けに上演されている。(ちくま文庫62ページ)
そういえばこれを書き止めている段になって気付いたのだが、私の部屋から見えるあのアレーヌも古代ローマでは円形劇場として闘技だけでなく、演劇作品の上演も行われたという。
――もしかしてアレーヌが私を此処へ導いたのだろうか。なんて思いたくもなる。
いったん外へ出て、今度はソルボンヌ教会と中庭を挟んで向かい合う回廊の方へ行ってみることにした。
このベンチに腰掛けて思い思いの時間を過ごす。ランチのバゲットを齧る学生もいたり…
La Fête du Lendit と言うタイトルの壁画は学生生活のハイライトを現す2つの絵から出来ている
この回廊の端にはドアがあって…
このような入口が
拡大してみよう
Gaierie Sorbon(ギャラリーソルボン )
まずこの名前を聞いて勘のよい読者である方ならあれ?と思われるに違いない。
もちろんSorbonne( ソルボンヌ)のneが抜けてるという綴りの問題ではない。
きっとこんなパサージュがこの建物の中にあるのか?と思われるだろうが、実はこれはパサージュふうの通路(廊下)の名前。この通路の先の階段を昇った1階にあるソルボンヌ図書館へと通ずる道。
Sorbonne大学の創設者であるRobert de Sorbon(ロベール・ド・ソルボン)に因んで付けられたのだろう。
ソルボンヌ図書館が何度かの再建を繰り返した後に16年の歳月を費やして1897年に現在の建物になったということなので、先に挙げたGUIZOTの階段教室の灯りやリシュリューの円形劇場などの内装も含め19世紀に流行したパサージュの様式(鉄骨や木とガラスによる建築)を参考にしたと思えなくもない。
残念ながら図書館へは行けなかったがちらっとでも覗いておけばよかったと思う。
これが図書館?!とは思えない美しすぎる内装を持つ室内は現在はこのようになっている。
現在のソルボンヌ図書館 (※VOGUE JAPANより画像拝借)
ところで私を案内してくれた例の男性だが、室内を案内してくれた後、例の円形劇場で私がピアノ演奏の2人の様子をしばし見守っている間に「後はごゆっくりどうぞ!」と言い残してさっと席を立ったのである。
あまりに唐突で性急過ぎる感じがして我に返った私は、「メルシー」と言い彼がちらっと振り返ったその横顔に向かって一言問いかけた。
「ムッシュウ、あなたはプロフェッサー(先生)ですか?」
彼は頷き、じゃあと合図して部屋から静かに出て行った。
そうだったのか…。何となくもしかしたら?と思い始めていたところだった。
だがそんなことはどうでもいいことなのだ。
ふっと私の前に風のように現れ風のように立ち去っていった人。
私のソルボンヌに対する思いを一瞬で見抜き、それなら一つ協力しようじゃないかと即行動に移し、自分の役目を終えると足早に退いた。
確かにそこには旅人への親切心というものがあったろう。ただその根底にあるのはソルボンヌに従事する人間としての誇りであり、それが彼の行動を突き動かしたといえなくはないだろうか。
フランス三色旗に掲げられたうちの一つであるFraternité(友愛) の精神がどういうものであるのかを、彼は私に教えてくれたような気がしている。
ソルボンヌという存在が自分にとって少しだけだが身近なものになったように思えてきたー。
( 普通は大学関係者以外の立ち入りを許されていないソルボンヌだが、9月の第3土曜&日曜の『ヨーロッパ文化遺産の日』には一般公開されるということである)
よろしくお願いします