カルチェ・ラタン。<アレーヌ>が窓から見える部屋で | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

 梅雨明けもあっという間で、7月に突入。

 昨日、ああ日付はもう変わったので一昨日のことになるのだが6/30の朝にパリから帰国した。

 滞在日数11日間、飛行時間を入れて約2週間弱の旅。

 普段から不規則になりがちな生活をしているため、時差ボケなど特に感じることもないのは有難いといえるだろうか。

 いやそれどころか日本にいるときよりも向こうに行ってからのほうがかえって体調が良くなったのは不思議。

 行きの飛行機の中ではこんなんで大丈夫かと心配だった。

 だが着いて翌日くらいまでは小雨交じりの不安定な空模様だったパリが、その後はピーカンと言えるような晴天続きになったのにまるで呼応したかのように、私の体調も晴れ晴れとしたすがすがしいものとなった。

 それは帰国するまで、今のところまだ持続している。

 パリではとにかくよく歩いた。そのおかげだろうか。

 今回の旅は、何ていうか全ての出来事がまるで自分の預かり知らぬ処で計画され、慎重に張り巡らされたその見えない糸に導かれるようにして自分は歩いたとしか思えてならないのだった。単に偶然が重なったと思うにはあまりに出来すぎていることばかりが…。

 全てはパリへの想いが強すぎるせいなのかもしれない。

 

 今回の滞在先は、前回にも述べたと思うがパリ5区、6区を中心とするカルチェ・ラタンである。

 私がお世話になったホテルは、パリに現存する数少ない紀元一世紀末のローマ遺跡であるリュテス闘技場のすぐ脇にあるホテルだ。

 リュテス闘技場の正式の名は英語読みだとアレーヌ・ド・リュテス(仏Les Arènes de Lutèce)という。

 武道館のアリーナ席といえばピンとくるだろうと思うけど、アレーナとも呼び競技場の意味で、古代ローマの円形闘技場が語源の基になっている。

 ちなみにリュテス (仏: Lutèce)とは古代ローマ時代のラテン語での町の呼び名で、つまりパリ市がまだ沼地であった頃のルテティア・パリシオルム (Lutetia Parisiorum, パリシイ族の沼沢地) の別名である。

 

 実は何度も事前に確認したにもかかわらず、ホテルのチェックイン時に私が最初渡された部屋の鍵は1階(フランスの2階)の部屋だった。

 「アレーヌがよく見える静かなお部屋ですよ」と聞いていたのに、念のため行ってみればアレーヌ側とは反対の通りに面して車の音がうるさそうな部屋であるばかりかもし反対側だったとしても2階からではアレーヌは到底見えるはずはないのであった。

 (アレーだけ念を押したのに…)と込み上げてくるものを押さえつつ私はフロントの年配の男性に訴えた。もちろんフランス語が流暢なわけでもなく身振り手振りと「アレーヌが見えない!」と悲しそうに!!事実ショックだった。

 最後に言った「11日間も泊るんだから!」の一言が聞いたのかもしれない。数字を覚えていて良かったと思ったのはこの瞬間!

 最終的に私の手元に渡されたのは6階、いわゆる最上階のアレーヌのよく見渡せる部屋だった。そればかりかシングルではなくツインの部屋。

 やったぁー!!長旅の疲れもなんのその、その夜部屋の窓から撮った写真がこれである。

 

                    午後11時52分頃。まだこの明るさ

                                    

 

 

 

                   そして         

                    下差し

 

                  午前0時を数分回ってやっとこの闇が訪れる

     左手に見える群を抜いて高い建物はモンパルナス・タワー

           ※この時期の日没は午後22時52分

 

 

 さて今回はひとまずこれで旅のプロローグとして終わりたい。

 一応、時系列というよりもテーマを幾つか考えているので、今後それに沿っていければと思っている。

 

  お願い乞うご期待のほどよろしくお願いいたします!!

 

 

 

 

 

よろしくお願いします

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