今のところ、オリンピックに関する件で一番気になっているのは、結局チベット問題はどうなったのかと言うことと、それと中国軍が雲にロケット弾を撃ち込んで会場外で雨を降らせる降雨技術がマスコミに好意的に紹介されていることです。


 いや、その降雨技術とやらがどういうものか知らないので、それそのものについてはどうこうは言いませんよ。どんなリスクがどれほどあるかさっぱり知らないし。
 けど、この手のことはリスクなど測らぬまま否定するのがマスコミじゃなかったのか。自然派の人たちも、黙ってていいのか。中国だからって遠慮するなよ。


 てか雨が欲しい~~(><


koume

 ある理由から、初めて、スーツのオーダーを出してみました。仕事柄スーツなんかせいぜい1年に1回くらいしか着ないし、大昔に買った激安の量販ものしか持っていなかったので、けっこうな冒険です。マンガ「王様の仕立て屋」の影響は否定しません(笑


 さて自分のサイズなど元々興味もないし測った事ないんですが、まー採寸してもらいますと、上から100・84・103という体でした(^^;あと、首がやたら太い。今まで普通のシャツを着ても、一番上のボタンはまず絞まらなかったのでおかしいなぁとは思っていたんですがネクタイを締める機会もそうそうないのでどうにかする必要もなく今まで生きてきてしまったツケが出て、シャツもオーダーです。


 完成が楽しみです(^^


koume

※本日のエントリに中傷の意図は一切ありません。


 しばらく前から、M先生がO先生を批判するための専用ブログをアップしています。とても楽しく拝見しています。


 それまではお互いのブログで往復書簡(往復エントリ?)のようなことをやっていた(M先生のブログには誰でもコメントできるが、O先生のブログはコメントが載らないことで有名)のですが、O先生の態度がなんだか「もう放っておいたほうが良いんじゃねえの」と言うレベルまで酷くなってきたので、だんだん相手にされなくなりつつあり、無責任なROMとしては非常に残念に感じていたんですが、M先生としてはむしろ放ってはおけないと感じたのでありましょうか、特別の厚遇を提供したようです。


 私は過去にアラシレス勉強法 というエントリで書いたこともありますが、的の外れた批判コメントが大好物です。ただし好物と言っても、それ自体はまず読みません。なぜ美味しいのかと言うと、的外れな批判にはよく心優しい常連の方から非常にわかりやすい解説コメントがつくからです。本当に初歩の初歩から説明したものも多くあり、私は医療問題に関してはほとんどこの手のコメントから学んだと言っても過言ではありません。
 ただし、参加者のほとんどが大人の楽しみ方を熟知しているようなブログや、的外れな発言がすでに有名になってしまった人の書き込みなどはスルーされることも多くなり、美味しい荒らしと言えども賞味期限はたいへん短いものとなっております。


 でO先生という人はすでに出がらしどころか干し戻し(出がらしの葉っぱを乾かしてもう一度抽出するお茶)みたいな人ですが、それでもお相手するM先生について勝手に想像すると、O先生がご自身のご職業に対してものすごいネガティブキャンペーンを張っているとしか思えない状態になりつつあり、同じご職業であられるM先生も黙っていられなくなったんじゃないでしょうか。評価はともかく一般的知名度はO先生のほうが上であり、O先生などごく稀な例外だよと言おうにもいやいやそうとは限らないと思われてしまってはTまったものではないでしょう。
 Sとから見てるROMとしてはIっそのことC戒S求しちゃえばIいんじゃないとM責任にもIってしまいたいんですが、Sうはいかないんですかねえ。N力が低いと言うだけではC戒はできないのだろうか。D学の先生に関しては、K究のレベルがいかにDタラメであってもSれだけではYめさせたり出来ないとか聞いたことはあります。


 AんなBログまで作るなんてOとなげないと見る向きもあるでしょうが、Wたしは楽しみです。ところでO先生のエントリはTイトルが長いですがN容もほとんどあれ通りの事がKいてあるんですか?Iまだに一つもYんだことがないので(w


 と言うわけで、ここで読んだことは絶対誰にも言うんじゃねえぞ。(←バカリズムのネタのパクリ)


koume

 先日に続き中西先生の雑感を読んで。ちなみに最近突然中西先生の文章を引用し始めていますが、つい最近読み始めたわけではなくて、かなり前からよく読ませていただいています。


雑感440-2008.8.4「リスクテイクしている国は成長している-平成20年度経済財政白書-」



A. リスクテイクしない国 日本


2008年7月22日、平成20年度経済財政白書が発表された。その内容をひとことで言えば、日本企業(家計も)は概してリスクテイクが低く、それでは経済成長は望めないということ。リスクに対する強靱な対応能力が必要で、日本型経営の良さもあるのだが、日本型経営方針を貫き、安定的に収益上げている大企業は、経営に成功しているように見えるが、収益性は高くない、適切なマネジメントの下で、リスクを積極的に取っていくことが収益性を高め、成長機会を大きくすると結論付けている(中西は、3章のうち、第2章しか読んでいないが)。


(中略)


別のリスクだが


この解析にどういう問題があるかについては、詳しくは分からない。ただ、同じようなことが、私が扱っているリスク(有害性と関係する健康や環境リスク、地球環境リスクなどだが、ここでは企業経営リスクと区別するために、環境リスクとしておく)に対する日本企業の態度にも見られる。同じだと思ったので、やや長く引用したのである。


企業(事業者)がやたらと環境リスクに怖じ気づくのである。リスクがあってもいいではないかというのではない。リスクがあるかないか未だ分からない段階で、調べようとせずに、ただ、そこから逃げようとする。また、環境リスクの大きさが小さいことが分かっていても、評判が悪くなると大変だからという理由で、逃げようとする。こういう態度が非常に見られ、これでは、新規技術の競争では、とても勝てないなと思うのである。


リスクを逃げるという前に、自分でリスクの判断ができないことも大きな問題である。これも、新規技術開発競争では致命的である。新しいリスクの場合には、まだ規制はないので、自分で調べ、ある程度自分で判断し、それを国民や行政機関や、或いは国際社会で説明しなければならない。ところが、それができない。国が基準値を決めるまで、他国が基準値を決めるまで待とうとする。ここで、決定的に遅れてしまう。


この場合も、やはりリスクテイク、つまり、自分で判断する、自分で説明するというリスクをとらないとイノベータにはなれないとつくづく考える。



 ものすごくよく実感できる話ですが、企業がリスクを判断しない(出来ないわけがない)のは企業のせいなのでしょうか。


 たぶん企業がリスク判断しないのは、顧客の方がリスクマネージメントに疎すぎるからです。「企業(事業者)がやたらと環境リスクに怖じ気づくのである。リスクがあってもいいではないかというのではない。リスクがあるかないか未だ分からない段階で、調べようとせずに、ただ、そこから逃げようとする。」と言う言葉は、企業と言うよりもむしろ消費者と当てはめるともっとしっくり来るでしょう。


 しかし、では企業は悪くないのかと言えばそんなことはなく、消費者のそんな嗜好に当て込んで、ありもしないノーリスク幻想を抱かせるような製品開発(と言うか宣伝)を行っていることこそ、責められることでしょう。企業は経営的に、正しい環境リスクを算定することが出来ないのです。してしまうと商品のウリが無くなるので。


 では企業が本物のリスクマネージメント的な認識を正直に伝えることは不可能なのかと言うと、もちろん理屈の上では可能でしょうが、現実的には大きな障害があります。
 悲しいことに現在、先に書いたように、ちゃんとしたリスク判断をすること自体がリスクになってしまう現実があります。が、いち企業がこのリスクを負って環境リスク学の普及を図っても、その恩恵を受けるのはその企業だけにとどまらずに、同じ業界のほかのライバル企業も等しく恩恵にあずかることになります。部外者からしてみれば全く素晴らしいことではありますが、本人たちの割には合わないでしょう。つまり国や他国が基準値を決めるのを待っているのではなく、他の企業でも誰でも良いから自分以外の他者が決めているのを待っているだけです。


 ようは志の高い企業があればいいだけの話なのかもしれませんが、悪貨は良貨を駆逐すると言う話もあり(サプリ業界なんか悪貨しかない)、まあ世の中の企業の志がみんな低いとまでは思いませんが目だって高いところもないようで、英雄みたいな企業がポッと出てくることはちょっと想像しにくいですね。
 もっとも、英雄企業にもメリットがないわけではなく、わかっている人にとってはその企業に対するイメージアップの効果くらいは望めそうですが、それがメリットと思える人がどれほどいるのかと言うと・・・それって実際は相当大きなメリットだと思いますけどね。


 では誰が消費者に対してリスクマネージメントの考え方を教えるべきなのか・・・。
 そんなもん本当は、個々の消費者が自分で勉強すればいいんですよ。企業がちゃんとしたリスク判断をすることがインセンティブになる社会の方が健全です。わけのわからん無駄カネも減りますよ。


koume

 私はよく、普段食べている食べ物ほどに基本的なものが危険ならば、日本が全世界でもトップクラスの長寿命国になれるはずが無いと表現して、農薬批判批判をすることがあります。日本医療の優秀性を説明するときにも同じ事を言ったことがあります。ついでに、日本の水道水の優秀さ(塩素の必要性)を説明する時も同じ事を言います。
 さて、ところで、先日NATROM先生のブログにこのようなエントリが載りました。


 喫煙擁護「良識派」のレベルの程度




 ■良識派の見解(日本パイプクラブ連盟)経由で、サンデー毎日に「最近の行き過ぎたタバコ狩り、健康ファシズムの風潮を憂慮するコラム記事」が載ったことを知った。「ポイ捨て・喫煙禁止条例」において、違反者に2000円の罰金を科すことに「違和感」を表明するところまではまあよい*1。しかし、「ポイ捨て・喫煙禁止条例」の"根拠"が健康増進法であると推定した上で、能動喫煙の害は健康に「多分、良くないだろう」と認めつつも、受動喫煙の害を否定するのである。


     ■「たばこ狩り」の健康ファシズムに抵抗する!(牧太郎の青い空 白い雲)

    しかし、たばこを吸う人間を排除するつもりはサラサラない。受動喫煙で人々ががんで死ぬ、という科学的な根拠がないからだ。WHOは喫煙者集団と非喫煙集団の特定疾病に関する死亡率や平均寿命・健康寿命を比較することで、間接的に「がん発病の証拠」としている。しかし、たばこの煙だけでラットやマウスががん・心臓病になったことはない。受動喫煙で人が死ぬというなら、もっとも喫煙率が高い日本人が平均寿命、健康寿命で世界一になるはずがない。WHOの判断には首を傾げる。




 さてNATROM先生のエントリではこの後、受動喫煙の害はちゃんと証明されていることを踏まえつつも、しかし仮に受動喫煙の害が無いとしてもそれでも路上喫煙は迷惑なのだと言っています。全くその通りだと思います。
 が、一つ私が気になるのは牧太郎氏の論法で、つまり私が農薬やら水道水やらについて言っているのと同じ形式の平均寿命最高だから説です。私は農薬や水道水のリスクを過大に評価する輩に対して使うにはそれなりに筋の通った話だと思っているのですが、そうだとしたら牧太郎氏の論法も受け入れなくてはなりませんが、しかしどうにも受け入れがたいものがあります。さてどう考えましょうか。


 たしかに厚労省のウェブページを見ると、先進国中で日本の喫煙率は最高クラスです。が、もしも喫煙率の高さをもって各国国民の寿命の長さを比較するならば、喫煙率以外のパラメータは同じとする前提がなければいけません。また、例えば喫煙率が10%違うとその損失余命は何年に相当するのかの視点も必要です。
 ただしそういうことを言い出すと、じゃあ農薬などの場合はどうなんだとかいう話になるに決まっています。


 で農薬の場合なんですが、これは立場が逆です。農薬は危険だ!と言っている人がいて、私が、んなこたーないよ、寿命が・・・と言う場合、農薬による損失余命の大きさを提示しなければならないのは農薬批判派の方です。私は、残留農薬のリスクが寿命にほとんど影響しないことを知っています。今回のタバコの場合とは逆のお話になるので、農薬の説明をする際に牧太郎論法を心配する必要は無いとなります。
 水道水の場合ですが、ちゃんとした上下水道を整備することによって抑えられる感染症リスクは相当膨大であって、これは寿命に対してちゃんと有意な影響があります。


 で、タバコの害の大きさです。Googleさんに尋ねてみたんですが、大阪工大の渡辺信久教授のページが見つかりました。



■ 損失余命(Lost Life Expectancy: LLE)によるリスクの表現 1 -たばこ-

http://www.oit.ac.jp/env/cardamom/~WastCoex/6_Risk_Percept_Accept/6_Risk_Percept_Accept.htm


 わが国でも、1980年から続けられてきたたばこと余命の短縮に関する疫学調査(NIPPON DATA 80)の結果が2007年に発表されました*。40歳時点での平均余命で比較を行い、表の結果を得ました。先ほどのイギリスの例と同じような計算をしてみましょう。たばこを吸い始める年齢を20才とし、死ぬまで40才時点でのペースで吸い続けるとして計算をすると、たばこ1本あたりの損失余命は3.0 ~7.6 分/本となりました。
 
* NIPPON DATA 80 で検索してみてください。
 
表 喫煙量と余命の関係
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  NIPPON DATA 80の結果         たばこ1本あたりの損失余命の推定
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  40歳の時点での余命     1日の本数(仮定)       損失余命の計算
 
非喫煙者 で 42.1年
1箱/日未満で 39.0年     (10本)        (42.1 - 39.0) / ((20+39.0)×365×10) = 7.57 分/本
1~2箱/日 で 38.8年     (20本)        (42.1 - 38.8) / ((20+38.8)×365×20) = 4.04 分/本
2箱/日以上で 38.1年     (50本)        (42.1 - 38.1) / ((20+38.1)×365×50) = 3.02 分/本
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  たばこがとても大きなリスクをもたらすことが、直感的に、わかると思います。ただ、吸う本数が多いほど、1本あたりの損失余命は小さくなるようです。これは、皮肉っぽく言えば、ヘビースモーカーに有利な論理ですね。逆に、吸う本数が少ないほど、1本あたりの損失余命は大きくなります。すなわち、たばこを吸わない人が受動喫煙をする場合、たばこ1本あたりの損失余命は、喫煙者のそれより大きいということになります。分煙の意義は大きいですね。



 ここでは特に能動喫煙と受動喫煙を分けた考察にはなっていないと思うのですが、一応タバコ1本あたり3~7日の損失余命に相当するとなっています。


 また牧太郎氏はタバコの煙だけでラットがガンになったことなどないと言っていますが、直感的に、とてもそんなことは無いと感じます。そんなのほとんど根拠になっていないと言う批判は受け付けます。
 が、普通発ガン性試験はラットで行うので、ましてヒトで行うことは無いでしょう。タバコがガンの原因となることが証明されている以上は、ラットにガンを作っていることは明らかです。よく副流煙は主流煙よりも発ガン性物質を多く含むと言われますが、仮にそれを間違いだと仮定して副流煙に発ガン性物質が含まれていなかったとしても、周囲の人間は主流煙だって吸っています。無理な仮定を考えたとしてもタバコが周囲の人間を巻き込んだ形で発ガンリスクを上昇させるのは間違いなく、しかも副流煙にリスクが存在しない仮定も間違いです。もちろん、タバコのリスクは発ガン性だけではありません。


 で、実際にタバコによる損失余命が2~3年ほど存在することと、WHOの統計による平均寿命の長さとは矛盾しません。単に、タバコのせいでやや早く亡くなっていた方が少し長生きして、全体の平均寿命を少し延ばすだけでしょう。おそらく1~2年程度の変動になるのでしょうか。
 では、たった1年程度の影響しかないから喫煙を規制するのは馬鹿げていると言えるのでしょうか。当然、喫煙のメリットと1年の時間を秤にかけることで議論はできるでしょうが、議論もせぬまま喫煙権を主張されても非喫煙者は絶対受け入れられないでしょうし、だいたい喫煙の悪影響は寿命だけにあるのではないとなってもとのお話に戻ってしまうのです。喫煙は単に喫煙されるだけで迷惑なのだと。(正確には、迷惑なシチュエーションで喫煙されるのが迷惑なのですが)


 そもそも、喫煙の根拠に健康問題なんかを出す戦略が間違いなのです。単純に、喫煙は趣味なのだと言ってしまえば良い。趣味と言われれば、それを無理矢理封じ込めるだけの能書きはなかなかありません。ただし趣味と言うからには、当然リスクは全て背負ってもらわなければいけませんし、他人の迷惑にも配慮する必要もあります。他人のことを全く省みない趣味など受け入れられるはずがありません。必要なのは、ではどれほどまで配慮しなくてはいけないのかの範囲問題だけで、もちろんそんな話は世間的にはちゃんと進んでいるはずですが、そこで健康リスクはないなどと無茶苦茶な事を言い出す人がいるからこそ論破されて、「じゃあ喫煙の意義なんかありませんね」と一網打尽にされてしまうのです。「迷惑をかけない趣味なら、いいじゃないか」とだけ言っていればまず論破などされないのに。


 なんか当初書きたかったこととえらく変わったな。ここまで単純な話になるとは(^^;;


koume