テレビやラジオなどで「毎日、暑いですね~~」と言う台詞を聞くたびに、「けっ、どうせ屋内で仕事してるくせに」と思ってしまう、まことに器の小さいkoumeでございます。


 (独)産業技術総合研究所・化学物質リスク管理研究センター長である中西準子さんのウェブページ の、
雑感439-2008.7.29「判例時報の記事―あらためて、裁判のことを考える-」 より



(前略)


例えば、講演を重ねると自分が変わる


ここを理解してもらうのは、難しいかもしれない。別の例で説明する。私のような年齢がいった者は、講演を頼まれることが多い。しかし、沢山の講演を引き受けると、どうしても自分の主張が変わってくる。1回1回、少しづつ格好良いことを言いたいという気持ちになる。


温暖化問題で、温暖化は大変だと言っているのでは、自分でも許せなくなって、また、記者や、司会者から、普通の人でもできることは何でしょうと聞かれるので、当初は、なかなか良い対策はないですねと正直に言っているのだが、段々、ライフスタイルを変えなければとか、何をしなければというような対策を言うようになる。


それを本当に言いたいのなら、それでいいのだが、必ずしもそうではなくて、聴衆や司会者に受けようという気持ちが働いて、言うようになる。聴衆に刺激されて、考えがどんどん進化する、そういうことは講演という活動の良さであり、書くことの良さである。しかし、それが、マイナスに働き、自分でない自分を作ることになることもある。


(後略)



 今私は、医療問題に関して、自分が変わっているんだろうか?よくわかりません。
 ただまあ、変わったとしても自分は自分だと言うことにしときます。医療問題に興味がある自分も嫌いじゃない。ただし、自分が本当のところはどれくらい本気で医療問題と向き合っているのかは把握しておいた方が良いかもしれない。


koume

 当ブログでもNATROM先生のブログエントリ を通じて取り上げたことがある、自然分娩にこだわる吉村医師ですが、当ブログのコメント欄にて2児のかあさん様から吉村医師へのインタビューを掲載しているページを紹介していただきました。
http://www.earth-peaceful.com/category/yoshimura


 一部を紹介します。特に論評はしません。一言だけ言うなら、タイトル通り、気持ち悪い。



5 医者なんかおらんほうがいい


吉村先生:
そりゃあ私もね、
全国に世界にそういうことが広がっていくということが夢でやってるんだよ。


でも、今の医療はそれと真向に反対してるの。そうでしょ?
そんなことやっちゃったら医者がみんな食っていけなくなっちゃうもん。


医者なんてくだらん大学なんていくとバカになって
勉強すればするほどバカになっちゃう。
お産なんてことが解らなくなっちゃう。


大体、生物学でお産が診れるなんてことは、
節穴から現象だけをちょっと見とる様なもんです。


私はそれを全部取りはらって、認識能力…そいつは神も認識するし、
科学的な認識もできるし、すべての認識能力でお産というものをみている。


それで正しいお産というものができるように指導してきたわけです。
それでツルツルですよ。


うまくいかん人は、もともと遺伝子的に駄目な人。それは仕方がない。


それは昔はみんな死んどった。
人間はね、いらん遺伝子を排除して
良い遺伝子だけでね、ずうっと太古以来、続いてきたんだよ。


それが、西洋医学が入ってきてからそういうのを助ける。
助かっちゃいかん命が助かって、また悪い種を蒔いとる。


そやから、今私が言った生活を女性たちがしたら、
みんなツルツルに産まれますよ。
医療なんかぜんぜん要らなくなるからね。


今、医者がちょっと減ったって言って
大騒ぎしとるけれども、そんな必要はまったくありません。


医者なんかおらんほうがいいの。

大体、医者がおるから難産になるんですよ。


妊娠するでしょ、ちょっと出血したら安静にさせて注射なんかバンバン打つでしょ。
そんなこと自身が駄目なんだよ。
うちはそんなことは一切しないからね。


四か月までの間にもともと駄目な人は出ちゃうんだよね。
そのあとは、ちゃんと育つんだよ。


ちゃんとした遺伝子を持った子供たちはちゃんと産まれるんだよ。
だから、四か月以降は徹底的に運動させる。






7 死を覚悟して産むこと

りーべる:
今度ってあるかないか分かんない今度ですけど、
自宅分娩でもいいかなって思うんですよ。


吉村先生:
いいじゃないですか。


りーべる:
理解してくれる助産婦さんがいてくれたら…。


吉村先生:
だからね、
死んだっていいって思やあ、それでいいじゃないですか。


りーべる:
ああ、納得。なるほど、そうですね。


吉村先生:
子どもが死んでもね。


りーべる:
うんうん。


吉村先生:
死ぬのはだめ、死ぬのはイカンなんて医者が言っとるでしょ。
それは医者が儲けるために言っとる。

そんなの、お産がおかしくなって死ぬって言うことはあり得るわけですよ。
昔なんてバタバタ死んどったわけだから。


この世に生まれてきちゃいかんものは神が選択するの。
医者が選択すべきことじゃないよ。


ほんだもんで神が選択してこりゃだめだっていうものをだよ、
むりやり出したなんてことは天に対する大罪だぞ。


そのうえね、そんな考えだからちょっと問題があると、
すぐ腹を切っちゃう。


親子関係がぐじゃぐじゃになったのは、
医学が支配しとるからですよ。


それで…。
(ここから、ますます過激トークへ)


りーべる:
たとえば吉村医院に来れない場合、
先生のお考えに賛同している助産婦さんにお願いして。


自宅分娩で、体を自分で鍛えて、
それだけの覚悟があってやるんだったら。


吉村先生:
それならいいですよ。死を覚悟してりゃあね、
なにも医者なんて要らないんですよ。


死ぬなんてことはほとんどないんだから。


それは神が選択したんであって…
だから神の言うことを聞かなしょうがないですよ。


みんなね、なるべく長く生きてね、
100でも120歳でも生きようなんて
馬鹿なやつが居るけれども(笑)


死ぬ時は死ぬんだよ。
人間ってものは。




 ちなみにおまけ。「どうする?日本のお産」プロジェクト より、九州の産科の先生の発言。



 自然というものがどれほど残酷で厳しいものなのか、もっと深く考えるべきである。アンケート結果をみると、自然なお産を望む一般の方々、中には助産師の方もいるようですが、自然というものを本当に理解しているのでしょうか?その方たちは自分の子供が風邪をひいたときには、当然のごとく病院を受診させ薬を処方してもらっているでしょう。しかし、これは自然なことですか?弱い個体は淘汰される。これこそが本当の自然ではないでしょうか?医療というものは、もともと自然に反する形で発展してきたものです。病気になった人の苦しみ、周囲の人々の悲しみを取り去ることを目的として発達してきたものです。周産期医療の発達も同様です。1950年代の妊産婦死亡率は現在の約30倍も高いものでした。現在と比べると自宅出産が多く、無責任なマスコミが讃える自然なお産が行われていた時代です。お産による妊婦、新生児の死亡、周囲の悲しみをできるだけ減らすことを目的に、産婦人科医師の先達は不眠不休で頑張ってきました。その結果、自然なお産からは程遠いものになったかも知れませんが、「お産は病気ではない」と勘違いをした発言をする医療関係者がでるほど安全が確保されるようになりました。ですが産婦人科の医療現場で働く人間の実感としては、その[安全]ですら非常に不安定なものです。保障がない、1分先にはどのような悲劇が待っているかわからない不安に怯えながら、出来る限りの万全の体制でお産に臨んでいます。産科を扱う医師が加速度的に減っていき、残された産科医師への負担が急速に大きくなっていく環境で、現場は疲弊しきっています。そして、また産科をやめていく医師が増えていきます。我々に余裕があれば、様々なお産の形に対する要望に応えられるのかも知れません。しかしながら、もうそのような状況ではなくなってきています。ですから、自然なお産を望む妊婦さん、自然なお産を勧める助産師さんにお願いです。自然の厳しさを理解したうえで自然なお産を選択されるのであれば、どのような結果が待っていようとも最後まで自分たちの責任で行ってください。私自身はどこでお産をしても構わないと思っています。ただ、どうしようもない状態になってから、産婦人科に放り出すのはやめてください。それに応える余力はもうありません。【九州/産婦人科医師】



koume

 いやはや、石川県が久しぶりに全国ニュースのネタになりましたが・・・。それにしても想像以上に酷かったです。
 まあ自宅のある場所は全然平気だったんですが、一部の田んぼが壊滅状態です。


 実は元々、一昨日までは、雨がずーっとまるで降っていなくて本当に困っていたんです。他の仕事が全然出来ないくらいに水回りに走り回り、数日前など夜中(と言うか朝)の4時までかかって田んぼに水を当てていたくらいなのですが、いくらなんでもあんなに降らなくてもいいのにと言うくらい降りました。
 で、浅野川水系の氾濫になったのですが、浅野川と言うのは元来、女川と言われるほど、おとなしく氾濫などしない川(浅野ゆう子などを連想するからではない)として伝えられていたんですが、女を怒らせると手がつけられないわよと言わんばかりの大噴火でした。


 で、こんな感じです。


氾濫1


氾濫2


 ここは数日前までは田んぼだったんですが、もう田んぼじゃなくなりました。はあ~~。


koume

 以前書いたこともあるような気がしますが、かぶることなど恐れない。


 私には「有機栽培」と言う字を見ると勝手に胡散臭く感じてしまう困った癖があります。
 もちろん、有機をちゃんとやっている尊敬すべき農家だって存在するのですが、しかし有機栽培の品を扱う際によく見られる宣伝文句はたいてい、慣行栽培(普通に農薬・化学肥料を使って行われる栽培法)を批判するところにあります。いや、批判すること自体は構わないんですが、困ったことにそのほとんどが疑似科学的です。もっとも典型的には、毒性学のイロハのイである定量的な視点が全く欠けています。
 有機栽培の売り文句で、それそのものの優れた点を根拠もつけて提示しているものはほとんどありません。農薬を悪いものと断定し、それを使ってないんだから有機は素晴らしい・・・んな単純な話のわけが無いです。余談ですが農薬批判する人であっても何故か農業機械批判は出ません。田んぼや畑に入っている物の中であれほど目立つ人工物は他に無いと思うんですけどね。
 それともう一点は、農薬を使わない有機と言っていても、実際には胡散臭い農薬もどきを使っていることも多いところです。「100%天然成分抽出だから安全な、農薬ではない害虫忌避剤」だなんて農薬取締法違反もいいところで、本当にそれをちゃんと調べてみると中にはしっかり大量の農薬成分が含まれていたり、もっと詐欺的なものには特になんらの変わった成分など含まれていないものだってあります。もちろん、それなら悪影響が無いという意味では安全ですが好影響だってありません。ただの水をかけているに過ぎませんからね。
 全員とは言いませんが、有機農法にはまっている人の中にはJAS法をまるで理解していなかったり、そもそも農薬のことをまるで知らなかったりする人が多く含まれていて辟易とします。30年前の認識で農薬を批判されても苦笑するしかありません。


 ・・・さて、しかし有機農法に関するこんな話は意外と広まっているらしく、だから実は減農薬栽培の方がいいのだという人がときたまいるようです(実際に会った事はありませんが、そんな人がいるとどっかで読んだような)。が、減農薬栽培てのは実にいい加減な仕組みです。


 そもそも減農薬栽培とか有機栽培というのは、法律的にはJAS法で規定されていて、現在はどちらも特別栽培の中に組み込まれています。確か4年位前までは別々にあったのですが、有機や減農薬と言っても消費者にとってはわかりにくいからとの理由で、JAS法改正とともに呼び名は特別栽培と統一されてその中で細分化されるという、こちらの方がよっぽどわかりにくいまことに下らない制度に成り果てています。どちらにせよ、国内の農産物に「有機」とか「減農薬」とか書きたい場合はJAS法の規定に従ってお墨付きをもらって栽培しないと表示できなくなっています。


 で、では減農薬とは何に比べて「減」なのかといいますと、慣行の農薬使用回数と比べて半分以下の回数しか農薬を使っていないならば「減農薬」と認められます。理屈だけ見れば単純明快ですが、単純すぎて「なるほど、これなら安心だ!」と言って頂くにははなはだ穴のありすぎる制度になっています。


 まず慣行の農薬使用回数ですが、これは各都道府県ごとに決められています。石川県では米に○回キャベツに○回・・・では・・・、富山県では・・・と言う感じで細かく決められています。ちなみに年度ごとにその回数が変わることもあります。
 もともと、県ごとに農薬の使用回数が違うことはおかしいことではありません。もっとも県ごとにというか本当はもっと細かくですが、害虫や病気や雑草なんかが発生しやすい地形や気候というのはあり、もっと大雑把に言えば九州と東北では作物の品種からしてまるで違うので、病気などへの耐久力も違い、農薬の使用回数はもちろん変わります。
 ただし、都道府県が使用回数を決めているからといって、それを守らなければならないわけでもなく、農家が守る必要があるのは農薬のラベルに書いてある有効成分ごとの使用回数のほうです。


 さてその慣行回数が県ごとに違うこと自体はいいのですが、だからといってそれぞれの県がちゃんとした科学的な根拠を持って回数を決めているわけではない点がまずおかしいところです。もちろん、いい加減なところばかりではないのですが、例えば農家から「おいおい、こんな回数では到底出来ねえよ」とか逆に「いくらなんでもこんなに使わねえよ」と言われるほど適当な設定だったり、「うちは隣の県よりも安全に配慮しているんだ!」というポーズをアピールするために隣県と回数の少なさを張り合ったりしているところはあります。
 なので、隣の県の場合と全く同じだけの農薬を使っているのにこちらは減農薬で向こうはそうではないなんて事が起こったり、慣行の半分と言う設定がそもそも不可能に近かったりするところもあります。慣行の回数を年毎に変えるために、毎年全く同じ農薬使用なのに年によって減農薬になったりならなかったりすることもありえます。そんなものに意味なんてあるのでしょうか。


 また、回数だけが基準と言うのがもうそもそもどうしようもないです。例えば、田んぼの片隅のごく一部だけに病気が発生したのでスポット的に殺菌剤を少量使用した、こちらの田んぼは全面が酷い病気になったので田んぼ全面に大量の殺菌剤を使った、と言う二つの事例はどちらも同じく「農薬使用1回」です。1番目の事例なんか、同じ田んぼの別の場所に新たに病気が発生したのでまたわずかに殺菌剤を使った・・・なんて事になれば「農薬使用2回」となり、帳面上は2番目の事例よりも農薬使用は多いことになります。
 最近、苗を作る時にその土の中に最初から病気を予防する薬などを入れてしまうことが流行っていますが、そうすれば後日田んぼに同じ薬を使うのに比べても数分の一の量で済みコスト面でも安全面でも大差がありますが「減農薬」的には差はありません。


 使用する時期も問題で、殺菌剤などは予防的に使うならばわずかで済み、しかも作物がまだ小さい時・・・つまり収穫する遥か前に使うことが出来ますが、本当に病気が来てしまってから使う時は、大量でなおかつ収穫時期も迫ってきていますので、残留のしやすさは格段に違います。しかしこれだって、減農薬の基準としてはなんら違いなく「1回」です。


 以上を踏まえた上で減農薬農法を行うならばその方法として見えてくるのは、強力でさまざまなものに効果があり、なおかつ効果が長期間持続する農薬をたっぷり「1度だけ」使用することが最適となります。あるいは、予防的な剤を一切使わず、害虫や病気などが来ないことを祈る戦法もアリです。どちらにしても、「回数」だけが効く減農薬栽培特有のやり口であって、本当に重要な点を見失っているとしか考えられません。はしかなどの予防接種をろくに受けず、伝染病輸出国などと揶揄される日本らしい仕組みだと言えばそれにはまことに適っていると言えるかもしれませんが。
 それでも「減農薬栽培」は良いですか?


 私は実は、ちゃんと消費者と向き合った農業をするならば、有機栽培も減農薬栽培も非現実的な規制になっており、事実上禁止されているのではないかとすら考えています。はっきり言えば、今の有機栽培や減農薬栽培は「ためにする」栽培になってしまっていて、意義を見失っているものがほとんどです。重要なのは作物そのものの方のはずです。


koume

 関東のほうで雨乞いの奇祭をして、ほんとに大雨が降っちゃった(ちなみにゆうべは金沢でも実に久しぶりの大雨)とかのニュースを見ながら書いてます。


 7月26日北國新聞朝刊より



 首相「苦慮している」


 福田康夫首相は二十五日夜、全国消費者物価指数が大幅上昇となったことについて「資源高、食料高といった世界的な問題で、日本にも波が押し寄せてきたという感じがする。家計が大変苦労されている状況で、苦慮している」と警戒感を示した。その上で「極力、波が高くならないよう政府としても注視していかなければならない」と述べ、家計や企業などに何らかの支援策を検討していると強調した。



 医療問題を注視しる!なんてウェブページを作っている人間が言うのもなんですが、苦慮しているとか注視しているとか言うのはコストがかからなくていいデスね。ある意味祈祷の類でしょうか。


 さて、消費者物価指数が急騰している中申し訳ありませんが、まだまだ全然上がっていないものもあります。まあ有名なのはお魚です。米も上がっていない・・・のは今はまだいいです。野菜はどうかな。
 食品の価格が上がっている・・・のは見てみるとほとんど加工品ばかりで、つまり大メーカーが絡んでいるものは価格を上げやすいということでしょうか。漁師さんは価格を上げる術を知りません。小売店が価格を上げようとしない限り漁師さんの言い分は絶対通りませんし、何故通らないかといえばメーカーに比べて軽視されているからとしか言いようがありません。米が上がっていないのは見方によっては当然で、今流通している米は去年収穫されたものですから、今原油や肥料が高騰しても原価に影響はありません。ただし今年産の米は上がってもらわないとおかしいです。


 漁師が一斉休漁したりの話はニュースにもなりましたし有名なはずです。そのニュースでは漁師が政府に対して何か対策をしてもらわないと困るとか、小売店としても憂慮しているとかのお話も流れていましたが、確かに政府はまだなーんにもしていません。やる予定?の対策を見ても「燃費のいい新しい機材を購入する為の補助を出す」とかふざけた事が載っているだけで、なんで台所が苦しい時に好き好んで機材の更新なんかしなくちゃならんのだこの馬鹿野郎とでも言いたくなるところなのですが、本当のところは政府に文句を言っても始まりません。


 実際に原油なり肥料なりが上がって漁師や農家が困っている最大の原因は、生産物の価格がまるで連動していないからであって、生産物が原価と同じだけ値上がりするなら漁師に赤字は出ません。もちろん消費者・・・漁師や農家だって消費者ですから同様に・・・困りますが、魚や野菜が買えない方がもっと困るでしょう。魚が捕れなくてはいくらお金を出しても買えません。
 なので、私が見ていて一番イヤなのは、市場や小売店関係者が「憂慮している」という事なのです。こういうところが腹をくくればそれだけで解決することなのに、他人事のように見ているからです。


 いや政府の対策はどうした、となるかもしれませんがそれは結局は税金の仕業となります。つまり消費者としては、商品価格の上乗せで出すか税金として出すかの違いだけで、結局は負担はすることになるはずです。で、税金で出す事になれば、あの政治家や役人どもの仕事ですから、まともに効率よく使ってくれるとはとても思えません。


 商品価格で出す方が中間コストもかからないし、筋がいいと思うんですけどね。


koume