もう11年。
あっという間のような、遠い昔のような...
震災を知ったのは、広島市のレッスン中。
保護者の方から聞いて知りました。
都内の実家に連絡が取れず、両親の安否を知れたのは夜10時を過ぎてから。
何かしたいと思い、チャリティー教室を開催。
日を追うごとに現地の状況がわかり始め、ガソリン不足や物資不足もあり『県外のボランティアはまだ行かないで』と連日のニュース報道。
親は行方不明の家族を探しに町へ、子ども達は避難所で過ごしているというニュース。
行こう。
生徒の家族や友人から物資を預かり、ガソリンや食料は自己完結できるよう整え、物資を積み岩手県へ。
2011年4月。
何ができるかもわからないまま、岩手県宮古市へ。
避難所で子ども達と遊び、仮設の保育所で遊び、学童保育で遊び...
たくさんの死を目の当たりにした子、津波に流されて手が傷だらけになった子、たくさんの日常を失った子ども達。
どう接すれば良いかと悩んでいたのはいっとき。
たくさん笑ってくれて、この仕事の存在意義を感じました。
この仕事で良かった。
報道とは真逆で、現地はボランティア不足。
駆けつけれて良かった。
それから6年。
年3回、延べ約150日。
岩手の子達と運動しまくったボランティア活動。
いや、絶対無かった!
今『働く』原動力は、何かが起きた時、誰かの役に立てるように日々楽しみ『働く』こと。
岩手県に上陸した台風10号や西日本豪雨、様々な災害で企業ボランティアとして即動け、誰かのためになれる。
日々の仕事の結果が、災害時に役に立てる。
ただのインストラクター、先生、仕事、という労働ではなく、この仕事だからこそ役に立てる事があるという使命感。
あの6年が無かったら、ただ働く、生活するために稼ぐ、『労働』になっていたかもしれません。
今を作るきっかけになった、たくさんの出会いに感謝💕
岩手県のたくさんの学校や園で、パワフルキッズが掲示されていた思い出💕
誰かの役に立つ!
それが普段のレッスンであろうと、災害時であろうと、今のやりがいです☺️
それを教えてくれたのは、岩手の子ども達や学校や園の先生達✨
6年間の支援活動の最後は、
宮古市や山田町、岩泉町から、子ども達や先生達が駆けつけてくれました☺️
懐かしいね〜
岩手に帰りたい🤣
花束やお礼の手紙、感謝状。
ちなみに人生で初めて頂いた感謝状は、今もスタジオに飾られています。
当初、1年間の予定で始めた支援活動。
岩手県発行の、震災の...何か忘れましたが。。
冊子に書いてもらってました☺️
出会って11年、高校生になったRちゃんとは、今も連絡を取り合ってます😁
岩手での6年間という、俺の人生にとって大切な時間を作るきっかけをくれたのは、間違いなくこの子です☺️
そしてそして、こちらも...
震災前まで宮古市田老にあった、民宿かわと屋。
小学生の頃、青春18切符を使って一人旅をしてた時、とってもお世話になった民宿。
東京から1人でやってきた小学生の俺を、家族みんなで田老のお祭りに連れて行ってくれたあったかい民宿。
震災後、宮古市に俺の足を向けてくれたのは幼少期のその思い出。
かわと屋さんは津波で流されて無くなっていたけど、1回目の支援活動で人伝にかわとさん達と再会。
↑そのお孫さん達との写真です🤣
子どもの頃もお世話になり、支援活動中もたくさんお世話になりました☺️
そしてかわとさんの孫が大学生になり、来週広島に旅で来ます。
26年越しの恩送り、祭りに連れて行ってもらったお礼に2泊世話します😁笑
今もパワフルキッズが何かすると、連絡をくれる岩手の子や先生達。
西日本豪雨の時は、岩手の学校や園からたくさんの支援が😭
恩も縁も全てが繋がっていて、全てが回っていく。
今パワフルキッズがやっている事もやがて繋がり、今教えている子達が未来でたくさんの縁を生む大人になっていく。
そんな未来を夢見て、明日も頑張ろ楽しもー‼️
寝ようと思ってたのに、長文になってしまいました...
3/11になると毎年思い返す...
あの未曾有の災害は全てを飲みこみ、たくさんの尊い命が海に奪われました。
あの災害を忘れず、あの時できた縁、生まれた思いをこれからも繋げていく。
明日も前へ前へ。
p.s.
今年の目標。コロナ禍になって行けてないから...
年内に岩手へ遊び行くこと!