その2、万世一系1300年の嘘と二つのヤマト(日本) | Violet monkey 紫門のブログ

Violet monkey 紫門のブログ

十字架の国  1998 不思議の国、ZIPANG

「奈良=ウリナラ説」と言うのをご存知ですか?

 

奈良

異表記として那羅平城寧楽などがある(読みは全て「なら」)。

古くは大倭と呼ばれ、また平城京にも相当した。

 

朝鮮語からの借用語とする説

朝鮮語「나라(ナラ)」(国の意)からの借用語。

 

 

 

 

ウリナラ

韓国語で「わが国」「我々の国」を意味する語。

 

 

 

 

日本は昔から外圧により変わってきたし、

その度にいらん奴らが潜り込んできた。

 

・・・大化の改新

古人大兄皇子は、蘇我入鹿が中大兄と中臣鎌子(藤原鎌足)に暗殺された時、

「韓人が鞍作臣を殺した」

と言って、中大兄と藤原鎌足が韓国(百済)の人であることを証言した。

 

 

・・・白村江の戦い

天智2年8月663年10月)に

朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、

百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争のことである。

 

 

 

 

 

 

飛鳥〜奈良時代に律令制度が制定され、古事記と日本書紀が完成しました。

 

万世一系を証明する神話と歴史の書が編纂されて

公地公民、班田収授などの律令で

縄文愛瀰詩の土地と人民は

万世一系の天皇のものになりました。

 

それに同意できない愛瀰詩は蝦夷と呼ばれ

まつろわぬ民となって

征伐されるべき対象になりました

 

 

 

蘇我蝦夷は愛瀰詩か・・・?

蘇我氏の血縁の聖徳太子は?

原住民系?

 

じゃ、我々は?

 

 

 

 

 

英雄を隠すのならば犯罪者の中

(権力者は英雄を恐れ、汚名を着せる)

 

犯罪者を隠すのならば英雄の中

(一人殺せば殺人者だが正義の名があれば英雄だ)

 

 

そして1番目立つところに置く

(誰も疑わないから・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

隠された十字架―法隆寺論

 (新潮文庫) 文庫 – 1981/4/28

梅原 猛 (著)

 

 

法隆寺は怨霊鎮魂の寺!

大胆な仮説で学界の通説に挑戦し、法隆寺に秘められた謎を追い、古代国家の正史から隠された真実に迫る。

 

法隆寺は仏法鎮護のためだけでなく、聖徳太子の怨霊を鎮魂する目的で建てられたと主張する。その大胆な仮説に説得力を持たせるため、様々な古典や史料、論考などを論拠として提示する。

梅原猛は「たたりの条件」として、

  1. 個人で神々に祀られるのは、一般に政治的敗者が多い。
  2. 且つそのとき、彼らは無罪にして殺害されたものである。
  3. 罪無くして殺害された者が、病気や天災・飢饉によって時の支配者を苦しめる。
  4. 時の権力者はその祟りを鎮め自己の政権を安泰にする為に、祟りの霊を手厚く葬る。
  5. それとともに、祟りの神の徳を褒め讃え、良き名をその霊に追贈する。

といった公式を与え、聖徳太子がこの条件を満たしているとする。その上で、法隆寺の建造目的が聖徳太子の怨霊鎮魂のためであるとする可能性について論を展開していく。

梅原猛の法隆寺論においてもう一つ着目すべき特徴は、蘇我氏を排して政治的実権を握った藤原氏が歴史を掌ったとし、『日本書紀』の実質的な著者が藤原不比等(不比等は史人に通ずるとする)と論じている所と言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

聖徳太子が教科書からなくなった理由

https://kinkaimasu.jp/lounge/2019/07/01/why_prince_shotoku_disappeared_from_the_textbook/

この推古朝の記述のほとんどが『日本書紀』によるものであり、

結果として天皇家をほめ称える記述しかありません。

『日本書紀』には蘇我馬子や物部守屋をあまりよろしくない人物、

つまり天皇家に后や皇后などを送り込み、外戚関係を作り上げ、

利用しようとした人たちという偏った記述になっています。

 

この『日本書紀』の正確性が、聖徳太子が歴史の教科書から名前を消した理由の一番です。

 

 

 

 

「天皇家に后や皇后などを送り込み、

外戚関係を作り上げ、利用しようとした人たち」

 

 

 

・・・デジャブ・・・

 

 

面白いですね、まるっきり奈良時代の藤原氏のことを言っているようですね。

まさしく歴史は繰り返す・・・

 

 

 

 

「『日本書紀』が正確」すぎるから聖徳太子を消す・・・😀

 

僕・・・笑っちゃいます♪

 

 

 

 

 

 

 

例えば日本書紀という嘘まみれの本の嘘を証明するには

元となる嘘の文書の10倍の文書を書かなければなりません。

 

誰もそんなことをしません。

長い文書は、長いということだけで誰も読まないのです。

 

ですから長い文書の嘘(日本書紀)は

 

未だに解明されないのです。

 

 

真実の言葉は短いのです。

 

それは嘘だ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっても面白い本をご紹介します。

¥559 Kindle 価格です。

聖徳太子から

渡来系と原住民系の秘密・・・

日本書紀の嘘を暴いています。

 

 

 

 

 

長いと言っても

40分ちょっとで読破できる分量です。

読破するかしないかは

あなたの自由です♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫) 文庫 – 1998/5/24

 

収録作品

「悟りを開いたのはいつですか?」

「邪馬台国はどこですか?」

「聖徳太子はだれですか?」

「謀叛の動機はなんですか?」

「維新が起きたのはなぜですか?」

「奇蹟はどのようになされたのですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖徳太子と蘇我馬子というのは、推古天皇の良い面と悪い面

を人格化した 物だからね」 

 

 

 

『日本書紀』(成立七二〇年・舎人親王編纂) 

「日本創世から推古天皇を経て、さらに持統天皇の時代にまでおよぶ国家の形成・発展の 様子を記した歴史書である。 

「推古天皇以降の歴史、特に大化の改新や壬申の乱の比重が大きく、文体は記録性にあふ れ歴史的である。

 

「その日本書紀にね、聖徳太子のことが何ページにもわたって記載されているのよ」 

 

「逆にいうと、聖徳太子に関する資料は日本書紀しかないわけだ」 

 

「なんですって」 

 

「もし『日本書紀』が、時の権力者によって、意図的に書かれたものであるとすれば、」

 

 

 

 

省略

 

 

 

『上宮聖徳法王帝説』

『天寿国繡帳』

『伊予温泉碑文』

『塔露盤銘文』

『薬師如来座像の光背銘』

 

 

「だって、いま君が言った資料はみんな『日本書紀』を元に作られた資料だからさ」

 

宮田は水割りで喉を湿らせた。 

 

「『上宮聖徳法王帝説』は『日本書紀』と同時代に書きはじめられたと言われてるだけで、正 確な成立年代は判らないだろ? 

『天寿国繡帳』も制作年代は判らない。

『伊予温泉碑文』に 至っては、風土記に引用されてるだけで現存していない。

法起寺の『塔露盤銘文』も同じく現 存していない。

法隆寺の『薬師如来座像の光背銘』だって制作年代は特定されていない。

ふう、 いくつまで言ったかな?」 

 

「『薬師如来座像の光背銘』の造立は推古十五年(六〇七)よ!」

 

「さあ、そいつはどうかな」

 

宮田の態度には余裕が感じられる。

 

 「天皇という言葉が日本で初めて使われたのはいつだか判るかい?」 

 

「判るわよ」 静香が人差指一本を使いキイボードをものすごい速さで叩いてゆく。

 

「天武天皇からよ。唐の高宗が天皇と自称したのを真似て、天武天皇の死後に諡されたのが始まりといわれているわ」 

 

画面には歴代の天皇が列記されている。

 

 

「『薬師如来座像』の像造記に『天皇』という言葉が使われていなかったかな」

 

静香の人差指のスピードが突然ゆるやかになった。 指の動きが止まったとき、画面に次の文字が浮かび上がった。

 

池辺大宮治天下天皇

 

「この天皇は用明天皇のことだろ?推古天皇より二代前の。でも、きみの言う『薬師如来座 像の光背銘』の制作年(推古天皇十五年)には、日本には天皇という言葉はなかったんだぜ。 当時の統治者は大王と呼ばれていたからね。用明天皇などという名称は、『日本書紀』を作る ときに命名したにすぎない。じゃあなぜ『薬師如来座像』の像造記に『天皇』という言葉が使 われているのか?」 

 

「『薬師如来座像の光背銘』の実際の制作年は、『日本書紀』以降ということだね?」