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VIKI(びき)のブログ

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デートクレンジング(改題:踊る彼女のシルエット)/柚木麻子

 

 

単行本の表紙

装画は北沢平祐さん

色使いがとても好き

 

 

 

カバーを外してもかわいい

 

 

 

文庫化にあたり改題したらしいのだけど

なぜ?

単行本の「デートクレンジング」

読んでみたら語感から受けた印象とは違う意味合いだったので

なじみのない言葉で誤解されやすいと思ってのことかなあ

 

クレンジングといえばメイクを落とし、という発想なのだけど

そういう人が多数だろうとの判断?

文庫本で表紙も変わってる

サイズが小さいと鮮やかな方が目立つからかなあ

 

 

 

文庫の表紙

装画は有村佳奈さん

こっちの絵もかわいいのだけど

題名も違うし絵も違うしもう別の本にしか見えない

紺と白のストライプは単行本に寄せた?

 

 

 

 

 

デートクレンジングというワードは、物語の中でアイドルグループの名前として登場

「デートの呪いをぶっつぶせ」という??なキャッチコピーのアイドルグループ

そんな声高に言うことでもないような

 


 

柚木さんと編集者さんがハロー!プロジェクトの追っかけをしていたことから、アイドル、とかオタク、はいつか書きたいテーマだったとのこと

 

 

 

「女の人はデートをしない時期を意識的に作ろう」

脱、男性依存的な意味のアメリカの造語「デートクレンズ」を雑誌で目にしたマネージャーの実花が命名

主人公は、その実花の16年来の友人佐知子

 

 

 

「妊活」とか「婚活」って言葉、なんか気持ち悪い

 

 

 

 

 

「あの日、彼女は身をもって教えてくれたのだ。感情に従って何かに心ゆくまでのめりこむことが、理不尽な世の中に対抗する唯一の手段なのだ、と。」

 

アルタ前で待ち合わせて

実花に誘われて初めて行ったアイドルのライブで

 

 

 

 

 

「ニュートラルな気持ちで誰かに出会い、見知らぬ相手に心を開くのは大切なこと」

 

完全ニュートラル、はむずかしい

 

 

 

 

「佐知子は『自分を笑い飛ばす』というセンスが世間で言われているほど素晴らしいものだと思えない」

 

なるほど~センスなのか

痛いセンスか?

 

 

 

「反撃する皮肉を口に出来る勇気がない分、佐知子は胸の中で悪意を煮詰めていく」

 

 

 

 

「男社会が作ったルールに縛られて身動きがとれなくなってる女の子を救いたいと思ってるんだけど、女の子は別に私なんかに救われたいとは思ってないの。それって私自身が誰より縛られてるからかもしれないね。」

 

 

 

 

「彼女のコラムを読んだり、一緒にいるといつも若干傷つくのは、芝田があまりにも周囲の同性、ひいては目の前の時間をないがしろにしているためだろう。」

 

このへんが共感できないポイントかな

 

 

 

 

「社会の窮屈な規範になんの興味も持てないくせに、勝手に自分をすり寄せて、苦しくなると泣いてすねて騒ぐ三十五歳だ」

 

 

 

 

 

「どこか後ろめたさがあった大きなお腹を許せるようになると、急スピードで膨らみ始めた。」

 

 

 

 

 

「同時代を生きるアイドルを追いかけることもスクラップも、こうやって過ぎていく時間をつかまえることが出来る。」

 

 

 

 

「時間は容赦ないけど、あんな風に、突然ぴたっと止まることはあるんだよね。ほんとうに、時々だけど」

 

 

 

 

 

解決系のお話

あんまり夢中にはなれなかったな

「スクラップ」とかさ、なんかズレてる

 

 

 

 

単行本の装画の北沢平祐さんのページ

 

 

 

 

文庫本の装画の有村佳奈さんのページ

 

 

 

 

 

 

 

オブリヴィオン/遠田潤子

 

表紙と裏表紙の見開き

 

 

 

そして帯

 

 

 

はじめての作家さんで

てっきり男性の作家さんかと思ったら女性だった

いや、潤子ってどう考えても女性の名前なのだけどね

 

 

 

「刑務所から出所」とか

「競艇」とか

「ポリタンク」とか

文中出てくるワードというワードから男性の印象を持ってしまった

 

出所の話はつい先日読んだので、

話がごっちゃになったかと読み返したけどあきらかに違う系統の話だったよ

共通項は出所のみ

記憶よ、、

 

 

 

こういう箇所とか

 

「ゆっくりと二十年ぶりの煙を回すと、肺から手足、指の一本一本にまで浸みて伝わる。軽いめまいと痺れに、俺は心地よさと安堵を感じた。そして、そんな自分に吐き気がするほどの嫌悪を覚えた。」

 

 

 

 

 

紗羅が暗い文化住宅でうつむいてバンドネオンで弾くのが

「オブリヴィオン」

圭介はギドン・クレーメルがバイオリンで弾くオブリヴィオンを聴いたという

製造中止になったipodクラッシックで

 

 

 

「森ニ、『オブリヴィオン』の意味を知ってるか?」

 

「忘却や。忘れること、無意識、人事不詳。そして、忘れ去られた状態を言う。もしくは…」

 

「恩赦。大赦」

 

 

 

 

 

「真の赦しとは忘れ去られることだ。」

 

 

 

 

 

 

これがピアソラのオブリヴィオン

Oblivion/Astor Piazzolla 

 

 

 

 

クレーメルのオブリヴィオン

Oblivion/Gidon Kremer

 

 

 

 

2CELLOSのハウザーのチェロの掠れるような泣きもたまらん

Oblivion/HAUSER 

 

 

 

 

そして2CELLOS

ルカ・スーリッチとステファン・ハウザーによる、チェロ・デュオ「2CELLOS」

クロアチア出身

これもいい〜

編成も、ヴァイオリンとのコンタクトも痺れる

え?2CELLOS解散なの?

 

 

 

 

最後の来日公演だって!

 

 

 

 

 

クロアチアといえば、2CELLOSの他にも音楽家たくさんいるよね

マキシムの革命(Op 10-12)で踊るのはたまらんかったよ

 

 

 

あれ、本の話じゃなくなってる

 

 

 

遠田さんご本人は

「人生を間違えて駄目にしてしまった人たちが、勇気を出して、もう一度、新しい一歩を踏み出す姿を描いています」

とおっしゃっています

 

 

 

解決系

希望の光差す系の物語です

 

 

 

表紙のの綺麗な写真はフリー素材?

moment /getty images

 

装幀は鈴木久美さん

 

カバー印刷は萩原印刷

 

 

 

 

光文社の特設ページ

 

 

 

 

 

 

ひと/小野寺史宜

 

 

 

 

『ダ・ヴィンチ』のインタビューで

「ストーリーそのものを読ませるタイプではない」と言っていた小野寺さん

たしかにあらすじだけ読んでも、言いたいこと(であろう)は伝わらない

良さは道中に散りばめられている

道中が大事

「道中良ければ全て良し」

これはもはや私のモットーです

 

 

 

 

「ひと」についても

「上京したものの親を亡くして大学やめて、一人で頑張っていく青年の話です」って言われてそれだけで読みたくなる人は少ないでしょう。

と小野寺さん自ら解説

 

 

 

「細部を楽しんでもらいたい。何度も聴いた音楽をくりかえし聞きたくなるみたいに、あそこのあのシーン読みたいなとか、寝る前にちょっと読んでみようかとか、そんなふうに思ってもらえたらいちばん嬉しいです。」

細部、楽しみました

 

 

 

そうそう、それから登場人物の名前

それについても、読者が読みで引っかからないように考えていると

自分も読む人だからこその配慮

 

なんだけど、

小野寺史宜さんご本人の名前が、簡単には変換しないよ

「ふみのり」ではまず出ない

「ぎ」って打ちました

 

 

 

小野寺さんの本

はじめて読んだのが「ひりつく夜の音」で、

てっきり『中年男性の諦念』を書く人なのだと思い込み

それ以来なんとなく敬遠してました

 

 

 

 

 

 

『ダ・ヴィンチ』のインタビュー記事はこちらです

インタビュアーは立花ももさん

インタビュアーの力が発揮された、素晴らしいインタビューだと思う

https://ddnavi.com/interview/539570/a/

 

 

 

 

 

 

「ひと」の中でとても共感したエピソード

「横断歩道を挟んで向き合った時点である種の関係性はできている」

 

 

 

 

そういうのに無頓着な高瀬くんと

二人でいると気持ちのどこかが削れちゃう、と

 

 

 

 

「何もかもあきらめなくても、いいんじゃない?」

あぁ。僕はこの人が好きなんだな。

 

 

 

 

はい、と、そうですね、をいったい何度言わされるのか。こういう人は男女どちらにもいる。すでにそうとわかっている事実を挙げて、相手の肯定させる。それは事実ですと認めさせる。

 

 

 

 

何もかもあきらめなくても、いいんじゃない?と銀座の山野楽器で青葉は言った。

 

 

 

 

 

僕は二十一歳。急がなくていい。一つ一つだ。急がないがとどまらない。

 

だって僕は生きてる。

 

 

 

 

 

ひりつく〜のことをすっかり忘れて、めずらしくジャケ買いでした

装画は田中海帆さん

装幀は多田和博さん+フィールドワーク

 

 

 

裏表紙は腰辺りまで見える

こういう感じの人、本屋さんにいてもすぐ隣にいそう〜

 

 

 

 

 

 

シズコさん/佐野洋子

 

 

 

〜帯より〜

あの頃、私は

母さんが

いつか

おばあさんに

なるなんて、

思いも

しなかった

 

ずっと母さんを好きでなかった娘が、

はじめて描いた母との愛憎。

 

 

 

 

「100万回生きたねこ」の佐野洋子さん

 

 

佐野さんが亡くなってもうすぐ12年になるのですね

 

 

 

とても貴重な新聞の切り抜きを見つけました

 

 

 

北京時代(1940年頃)の佐野洋子さん一家

左奥が母シズコさん、その右が洋子さん

(新潮社提供)

 

 

 

「母を憎んでいる人も、愛している人も、みんな母が重たいのだった」

30〜40代の女性に、母親との関係をテーマにインタビューしたという

梯久美子さんの記事

 

 

 

◇◇

「人間は正しくない」

 

 

 

「母さん何人子供産んだの」

中略

「男の子いた?」

「居なかったと思うわ」

母さんあんなに兄さんを愛していたのに。あの悲しみも忘れてちゃったのか、無くなっちゃうのか。人は悲しみを持ちこたえられなくなるのだろうか。

 

 

 

私は母さんが母さんじゃない人になっちゃって初めて二人で優しい会話が出来るようになった。

私は正気の母さんを一度も好きじゃなかった。

 

 

 

あゝ世の中にないものはない。

ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。

少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。

 

 

 

母は終戦後の貧しさをぐちった事はない。

母が我慢ならなく、思い通りに行かなかったのは嫁との生活だった。

たった一人の人間との感情生活が耐えられなかったのだ。

 

 

 

七十歳になる私は、毎日が恐怖である。もの忘れの加速が尋常ではない。

 

と書いた佐野さん

この2年後、72歳でお亡くなりになっている

 

 

 

シズコさんの最後の5行で、母さんの幻影を見ると書く

幻影は

「静かで、懐かしい思いがする。」

 

「静かで、懐かしいそちら側に、私も行く。ありがとう。すぐ行くからね。」

 

 

 

 

梯さんの記事の終わりに

呆けたシズコさんが娘である著者の佐野さんに言う言葉の引用がある

 

「私とあなたの間には、いることも、いらないこともあったわねェ」

 

そして梯さんはこう結ぶ

「すべての母と娘の間には、ないほうがよかった出来事がたくさんある。でも、なかったことにはできない。そのまま、まるごと、許しあうしかないのである。」

 

 

 

 

 

初出は「波」2006年1月号〜2007年12月号

これを書いた時佐野さんは、乳がんで余命2年と告げられた、その最中だったのですね

完結を迎える準備を整えていたのかな

本当の心中はどうだったのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はあなたの記憶のなかに/角田光代

 

 

 

 

角田さんの短編集

自ら「千本ノック」と名づけて数多くの短篇小説を発表する角田さん

アスリートだな

 

 

 

表題作よりもまず冒頭の

「父とガムと少女」

良いねーたまらん味わい

 

少し前に読んだ扉関係の本(これでわかる方いるかな)がひどく期待はずれだったので

角田さんの扉の描き方にすっぽり心を持っていかれる

扉と聞いて期待するのはこんなお話

 

 

 

やっちゃいけないことなんて世のなかにはないのだと、十歳の私は思った。初子さんが開けた扉の向こうの世界には、やってはいけないことなどただのひとつもない。

 

 

 

 

 

【猫男】

おそらく、それほど興味はないだろうに、私がまだそのことを考えていると察して恋人は質問を続けてくれる。こういうとき、私は彼を、とても礼儀正しい人間だと思う。尊敬の念すらいだく。

 

こういう優しさを行動に出す方も

そうと気づく方も、両方優しい

 

 

 

なんらかのかたちで彼にたすけられ、すくわれ、たちなおり、傷を癒し、現実に戻り、ふたたび前を向いて歩きはじめた経験を持つはずの彼らは、そこに、K和田くんのいる場所に、未だ無力にたたずんでいる自分の弱さを見たのだ。そしてある嫌悪を持って、そそくさと背を向けたのだ。

 

 

 

 

 

【神さまのタクシー】

「うるさいわ。ドアを閉めて」

真冬の水道水みたいな声で言った。

 

うーん容赦ない冷たさ

 

 

 

泉田さんは、どんどん中学生に戻っていくようにわたしには見えた。泉田さんはもともと中学生なのだから、戻るというのはおかしいけれど、けれどそう見えたのだ。どんどん無力になっていくように。どんどんがんじがらめになっていくように。どんどん退屈に埋没していくように。そのことがこわかった。あるいはかなしかった。

 

思ってたのとちがーうとなった時の

拠り所のない気持ちって正にこんなふう

 

 

 

 

【水曜日の恋人】

イワナさんと私も、イワナさんと母も、またイワナさんの思う母と私も、みんなばらばらの無関係で、学園祭が終わったらもう二度と会うこともなく、言葉を交わすこともなく、闇に吸いこまれるようにひっそりと消えていく、目を凝らしてももうだれもみえない。そんな光景が、映像のように目の前をよぎった。その心許なさは恐怖にも似ていた。

 

これは根源的な不安

生老病死に通じる

 

 

 

母はずっと私の母だが、けれど同時に知らない女でもあり続ける。私が恐怖したのは、たぶんそういうことだった。私たちはだれかと家族でいたり好きになったり恋をしたりするけれど、突然そんな全部を無にすることもできるのだ。だれとも会わなかったみたいに。会ったことにこれっぽっちも意味なんかなかったかのように。そうしてそれきり忘れてしまうことだってありえる。忘れてしまったら、もうその人は存在しないのと同じことだ。忘れることも、忘れられることもこわかった。こわいものなのだと、はじめて知った。

 

ー自分の感情を「あるいは」でつなげる

ひらがなの使い方で、気持ちにそっと寄り添う、あるいは想像するということができる

角田さんの、ひらがな表記と句読点の位置が、何ともすき

 

 

 

 

カバーの装画は室越健美さん「沈黙のトルソ」

 

 

 

 

装丁は藤田知子さん