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社会人としての成人式を過ぎ、気づけば21年目に突入しております。
社会に出て20年、一番変わったなと思うのは、やはり事務仕事に大きく関わるデジタルの進歩でしょうか。
日々基本的にはいつもPCを睨みつけて仕事をしております苦笑
新幹線の中でもMacbook開いて仕事。Wi-fiなければ仕事になりません。
そんなわけで姿勢に気をつけてもたまに立ち上がってもストレッチしても、とにかく肩が凝る…
ヨガに行きたい、整体に行きたいとも思うのですが、休みの日も何やかやと忙しく、ままならないのも事実。
そんなわけで、よくムスメのマッサージにお世話になっております。
「かあちゃん、いつもパソコンとにらめっこ?」
「そうなんだよねー。それもものすっごく睨みつけてるわ笑」
「そっかー
集中するとさ、どんどん体が前に出ていくよね」
「そうなんだよねー」
「そうすると肩がこるんだよね」
「そうそう。肩も凝るし、頭も痛くなる」
「だからね、かあちゃん
パソコンを見るときは、
背筋を伸ばして、
ニッコリ笑って
『いつもありがとうございます!!』って仕事すると
肩こりがなくなるんじゃないかなぁ」
「…いや、もうほんとそのとおりだと思う。明日からそうしてみるよ」
「うんうん。そうしてみて」
そうだよねー。
いつも超絶お世話になってるのに、ひたすら不機嫌に睨みつけて仕事するなんて、パソコンの方こそ報われないよねぇ…苦笑
どんなときも、どんな場面でも、笑顔が一番大事だし、笑顔が自分を救ってくれるね。
これからしばらくそうしてみる。
ありがとう、みやぴん。
・・・しかし、
パソコン仕事なんてしたことないのに、どこからそんなことをひらめいたのか、この人は。
命について考える3月11日を過ぎ、
今朝、哀しいニュースを目にした。
思えば、かつて読んだ『ぼくは12歳』の著書も、13歳の誕生日を待たずして大空に身を投げたのだった。
中学生の頃の私は、それを読んでもどうして彼が自ら旅に出ることを選んだのかは分からなかった。
理由は、本人にしか分からないのだろう。
誰が何を言っても、なぜその選択をしたのかは、本人にしか分からない。周囲の考えは最後まで推測、憶測に過ぎない。本人の手の中にのみ答えはある。それは、ある部分では救いでもあるだろう。
それでも、子を持つ親としては、
その「答え」をある日突然突きつけられたらと想像するだけで、身がよじれるほど辛く、恐ろしい。
私は、ムスメのなにかを見落としていないだろうか、
彼女の中にある不安や悲しみを、見落としてはいないだろうか。
どこにもやり場のない気持ちを、たとえようのない気持ちを、
どこかに持っているとしたら、それに気づいてやれるだろうか。
***
「みやぴん」
「なあに?」
「みやぴんは、死んでしまいたいと思ったこと、ある?」
「ううん。ないよ」
「もし、もしもね、そんな風に思うことがあったらね、どんなことでもね、かあちゃんに話してね。一人で考えたり、やってみようって思ったりしないでね」
「うん」
「みやぴん。どんなことがあっても、必ず、必ず、かあちゃんのところに帰ってくるんだよ」
「うん。大丈夫だよ〜^^」
力いっぱい抱きしめたら、笑って逃げて行った。
いつもはぎゅーってして欲しいって要求されるのに。苦笑
***
もしムスメに「消えてなくなりたい」と思うことがあったとき、私に何ができてもできなくても、私のところに帰ってきてくれる親でありたい。
そのためにも、私は私の人生を大切にして、生きてゆかねばね。
昨年のいつ頃だったかな。
実家に帰ると、みやぴんが一生懸命何かを描いて作っていた。
「かあちゃん、ヤバイ、明日出さなきゃいけないのに間に合わない
」
「宿題?何を作ってるの?」
「あのね、みんなにオススメしたい本の、帯を作るの」
「へー!本の帯!!」
自分が読んで面白かった、心に残ったと思う本の推薦文と絵を描いた帯を作るのだという。
みやぴんは青春小説が好きで、選んだのは『あさひなぐ』のノベライズ本。
映画を観に行きたいと言われてたのに行けなかったのを、ノベライズ本を買ってあげたら一生懸命読んでたもんね。
「いいじゃん。みやぴんらしいセレクトだと思うよ」
「帯だから大きいとダメでしょ。○センチ以内って言われて作ってるんだけど、これで大丈夫かなぁ」
「えーっ!?もうだいぶ書いちゃってるじゃん!!大丈夫かなぁって言われても、そこは最初に測ってから作ったんじゃなかったの!?」
「いや、大体測ったんだけど、ちゃんとは測ってなくて…」
なんじゃそりゃ実にみやぴんらしい。(細部は詰めずにとにかくやってみるのがみやぴん笑)
そして、みやぴんの言う大きさの基準より、ぱっと見たところちょっと大きいように思える。定規を出して測ってみると…
「どうしよう、ちょっと大きい。」
「どうしようって言ったって…どうする?」
「…切る?」
パニックになると突然何の無茶をしでかすか分からないのもみやぴん。
「まぁ、大きいんだから切るしかないよね。でも、切るところを考えようよ」
ということで、上下少しずつ切って詰めることでなんとか規定の範囲内に収めた。
「これ、いつ出された宿題だったの?もっと余裕があれば良かったのに」
「いや、宿題じゃないんだけどね、今学校で募集してる本の帯コンクールってやつなの。で、応募が少なかったらしくて、先生に『みやぴん、是非出してね』って言われて『分かりました!』って答えちゃったから」
「ありゃー、そういうことか。じゃぁ、先生は待ってるかもしれないんだね」
「そう!だからちゃんと書いて出さないと!!」
その日は遅くまで絵と文を描いて何とか無事に帯が完成、翌日提出したのでした。
そんなことがあったのもすっかり忘れていた先週。
「かあちゃん、月曜日、私表彰されるんだって」
「何の?」
「本の帯コンクールの」
「へ?あれ、表彰とかあるの?」
「うん。賞状もらうって」
「そうなんだー。先生に『出して』って言われてみやぴんは慌てて描いて出したけど、一生懸命描いたのはそうだもんねー。」
そして、いただいてきた賞状は…
「名古屋市教育委員会」って書いてあるー
まじかー。
私は学校単位の、読書習慣向上施策の一貫だと思っていたのです。
だから、作品を見せてくれたときもそのうち戻ってくるものだろうと思っていて、「みやぴんらしい本の紹介文が書けたねー。これは読んでみたくなるよ」と言ったのは覚えてるけど…名古屋市に提出して返ってこないと分かってたら写真撮っておいたのに…内容まで覚えてないよう苦笑
ハハ、試されてる?
みやぴんは体を動かすことが大好きで、じっと座って本を読んでいることはそんなにありません。好きな本はすごく没頭して読むけどその数はごくごく限られていて何でも読むというわけじゃないし、割となんでも本を読んでいた子どもだった私からすると「この子はちっとも本を読まないなぁ」と思って見ています。
でも、だからこそ、その本に対する純粋な「私はこのお話が好き」で「みんなにもオススメしたい!」と思う気持ちが帯に現れていて、それが伝わったのかなと思います。
どんなだったかは覚えてないけど
でも、まっすぐで衒いのない想いほど伝わるものはないのだ、ということをムスメから教えてもらいました。
ありがとう。
おめでとう、みやぴん。
少し過ぎましたが、みやぴんが参加した熱田神宮書き初め大会の賞状をいただいてきました。
作品も展示していただいて、良い一年のスタートです。
今年の5年生は201作品の提出、そのうち入賞は12人(特賞を含めると19人)。
1割弱しか「賞」をいただけないと考えると、有り難いことだしよくがんばったと我が子ながらに尊敬。
掲示された作品を見ながら、同じ5年生の特賞の作品を指して「私、これより書けてると思う…この賞、ほんとに?」とつぶやくみやぴん。それは確かに、私達からするとみやぴんの方が良い字だと思ってしまうものでした。
「うん。みやぴんの字の方が母ちゃんは好きだ」そう答えつつ、「芸術って難しいね。でもさ、この賞のこの字と比べて云々じゃなくて、とにかくみやぴんの字が"誰が見ても素晴らしいと思える字"だったかどうか、なんじゃないかな」と言うと、「そうじゃなかったよね…」と悔しそうに言うみやぴん。
「賞の付け方に疑いがあるとか言っちゃうとさ、もう何が何だかワケが分からなくなっちゃうじゃない?少なくとも、この賞はもう結果として出てるんだし、それはそれでおめでとうだよね」
「うん。まぁ…」
みやぴんも分かっているのです。
賞の基準が不透明だなんて言うことは、単に言い訳に過ぎないということを。
それでも、言いたくなってしまう気持ちも分かる。
それはそれで、みやぴんの本気と頑張りがあってこその悔しさの発露だから。
とはいえ、そこにあるのは「みやぴんの字が、誰が見ても満場一致で素晴らしい出来栄え」ではなかったという事実。
そう。みやぴんの狙った熱田神宮宮司賞は、素晴らしい出来栄えの書でした。
日々の行動や結果の中で、言い訳したくなることはよくよくあること。
でも、「自分は今、言い訳を言っている」とか「自分は何に対してどう感じてこう言っているのか」、「ほんとうはなにか」ということを少し引いた目で冷静に把握しておくことで、大切なものを見失わずに済むんじゃないかと思っています。
大切なもの?
言い訳の向こう側にある「本当に欲しいもの」かな。