二人乗り自転車~働く母の元気をシェア!~

二人乗り自転車~働く母の元気をシェア!~

働く母の元気をシェア!ワーママ祝10周年!さとみの、同志へのメッセージと笑顔のシェア、そして半人前だけど「親業」報告日記。

Amebaでブログを始めよう!
我が家の一人娘、みやぴんが6年生になって2ヶ月が経ちました。

大きくなるにつれて、子どもの成長に見えにくい部分が増えてきたことを感じます。

離れている時間も増えるし、
子どもには子どもの世界があるし、
全部を親に話すわけでも見せるわけでもないし。

でも、それこそが成長。
親が誰よりも子どものことをよく知っているなんていうことはなくなっていくものです。

ま、みやぴんに関して言えば、私には分からないことだらけです。小さい頃から。笑

きっと、そのくらいがいい。
分からないことだらけだから知りたいし、知ろうとするし、知れば興味深いことばかりで、私は一人の人としてみやぴんのことが大好きだなと思うのです。

ニコニコ

5月といえば運動会。
最高学年の今年はお役目の多い、大忙しのみやぴんでした。

放送委員としてアナウンス。
応援団としてグラウンドのあちこちで応援の掛け声をかけて、応援合戦では太鼓を叩いて全体をリード。
野球部として1年生の玉入れのお手伝い。
そして、自分達の出番は徒競走と騎馬戦。

アナウンスはどこか照れ臭そうな、でも誇らしげな声。

応援は最初は少し恥ずかしそうに、だんだん気合いが入ってきて、最後はよく声が出てた。

応援合戦の太鼓。今年もオーディションで勝ち取った役割。去年は本番中にバチを飛ばしたけど、今年は(練習中にバチを折ってしまったらしいけど笑)しっかりダイナミックに叩いて感動。

玉入れのお手伝いは1年生の投げる球が当たるわぶつかられるわ…でも終始丸く小さくなって籠を押さえてた。そして見せ場の球数確認は、早いリズムの太鼓に合わせてちゃんと投げてた。みやぴんの持ってた籠に一番沢山入って51球。嬉しそうな1年生をバックに、籠をかついで片付ける姿もとてもお姉さんらしかった。

徒競走はゴール手前で余裕があるくらいの1位。
騎馬戦は最後の最後にみやぴんたちの馬(みやぴんも馬)に騎乗した子が大将の帽子を取って大逆転勝利を演出。「作戦がうまくはまったんだよー!!爆笑」と大喜びのみやぴん。

6年生の運動会は、本人も大満足大活躍で終了。

走る人

野球部は夏が試合シーズン。
大会への出場を前に、練習試合が何回か組まれています。
休みと練習試合がうまく合ったので見に行くことに。

試合のメンバーは当日決まるとのことだったけど、なんと、6番セカンドでスタメン出場のみやぴん。

マジかーびっくり

練習試合なので2イニングのみ。
第一打席は四球で出塁、四球や盗塁で進塁して最後はスクイズで生還。第二打席は惜しい当たりだったけどショートゴロ。
守備は声もしっかり出てたし、セカンドにゴロが飛んできたときも「わっ!大丈夫か!!」と私が焦ったのも束の間、うまく捌いてアウトをとってました。

野球が好きなのも、野球部が好きで頑張ってきたのもよく知ってる。
だけど、こんなにも試合に対応できるようになっていたのかと、我が子なのに見たことのないみやぴんを見るようで、とても新鮮でした。

野球

2年前、「野球部に入りたいの」と言ったみやぴんに、ひっくり返りそうに驚きました。

ボールを触ったこともバットを持ったこともない。ルールだって大して知らないみやぴんが、野球を大好きになって、男子ばかりの中で頑張って頑張って続けてきたこと。
小さい頃からクラブチームに通っている上手な同級生たちが試合に行く中で、その中に入れない悔しさにまたがんばってきたこと。
いつの間にか、一緒にやってきた男子に競り勝ちベンチ入りし、今年は一桁の背番号が着いたユニフォームをもらえたこと。

やりたいならやってみればいいと思いつつもハラハラ見守ってきた私をよそに、みやぴんは自らの可能性を大きく花咲かせたのを知りました。

照れ

人間は、一人の例外もなく、いつか、その人なりの形で、ヒーローになる可能性を持っている。

向かい合う相手をそう信じること、信じきること。
私の価値観や枠で相手の可能性を決めるのではなく、相手の内側から無限の可能性が湧き出ると信じること。
そして、その人なりのヒーローになった姿を喜び合うこと。

そうすることで、人は可能性を広げて、前向きにな気持ちを持って行ける。

ムスメの成長は、そんなことを教えてくれました。

人を育てる楽しさを教えてくれてありがとう、みやぴんおねがい

社会人としての成人式を過ぎ、気づけば21年目に突入しております。

 

社会に出て20年、一番変わったなと思うのは、やはり事務仕事に大きく関わるデジタルの進歩でしょうか。

 

日々基本的にはいつもPCを睨みつけて仕事をしております苦笑

新幹線の中でもMacbook開いて仕事。Wi-fiなければ仕事になりません。

そんなわけで姿勢に気をつけてもたまに立ち上がってもストレッチしても、とにかく肩が凝る…

ヨガに行きたい、整体に行きたいとも思うのですが、休みの日も何やかやと忙しく、ままならないのも事実。

そんなわけで、よくムスメのマッサージにお世話になっております。

 

「かあちゃん、いつもパソコンとにらめっこ?」

 

「そうなんだよねー。それもものすっごく睨みつけてるわプンプン笑」

 

「そっかー爆  笑 

 集中するとさ、どんどん体が前に出ていくよね」

 

「そうなんだよねー」

 

「そうすると肩がこるんだよね」

 

「そうそう。肩も凝るし、頭も痛くなる」

 

「だからね、かあちゃん

 

 パソコンを見るときは、

 背筋を伸ばして、

 ニッコリ笑って

『いつもありがとうございます!!』って仕事すると

 

 肩こりがなくなるんじゃないかなぁウインク

 

びっくり…いや、もうほんとそのとおりだと思う。明日からそうしてみるよ」

 

「うんうん。そうしてみておねがいドキドキ

 

そうだよねー。

いつも超絶お世話になってるのに、ひたすら不機嫌に睨みつけて仕事するなんて、パソコンの方こそ報われないよねぇ…苦笑

 

どんなときも、どんな場面でも、笑顔が一番大事だし、笑顔が自分を救ってくれるね。

これからしばらくそうしてみる。

ありがとう、みやぴん。

 

・・・しかし、

パソコン仕事なんてしたことないのに、どこからそんなことをひらめいたのか、この人は。

命について考える3月11日を過ぎ、

今朝、哀しいニュースを目にした。

 

思えば、かつて読んだ『ぼくは12歳』の著書も、13歳の誕生日を待たずして大空に身を投げたのだった。

 

中学生の頃の私は、それを読んでもどうして彼が自ら旅に出ることを選んだのかは分からなかった。

 

理由は、本人にしか分からないのだろう。

誰が何を言っても、なぜその選択をしたのかは、本人にしか分からない。周囲の考えは最後まで推測、憶測に過ぎない。本人の手の中にのみ答えはある。それは、ある部分では救いでもあるだろう。

 

それでも、子を持つ親としては、

その「答え」をある日突然突きつけられたらと想像するだけで、身がよじれるほど辛く、恐ろしい。

 

私は、ムスメのなにかを見落としていないだろうか、

彼女の中にある不安や悲しみを、見落としてはいないだろうか。

どこにもやり場のない気持ちを、たとえようのない気持ちを、

どこかに持っているとしたら、それに気づいてやれるだろうか。

 

***

 

「みやぴん」

 

「なあに?」

 

「みやぴんは、死んでしまいたいと思ったこと、ある?」

 

「ううん。ないよ」

 

「もし、もしもね、そんな風に思うことがあったらね、どんなことでもね、かあちゃんに話してね。一人で考えたり、やってみようって思ったりしないでね」

 

「うん」

 

「みやぴん。どんなことがあっても、必ず、必ず、かあちゃんのところに帰ってくるんだよ」

 

「うん。大丈夫だよ〜^^」

 

力いっぱい抱きしめたら、笑って逃げて行った。

いつもはぎゅーってして欲しいって要求されるのに。苦笑

 

***

 

もしムスメに「消えてなくなりたい」と思うことがあったとき、私に何ができてもできなくても、私のところに帰ってきてくれる親でありたい。

 

そのためにも、私は私の人生を大切にして、生きてゆかねばね。

 

 

昨年のいつ頃だったかな。

実家に帰ると、みやぴんが一生懸命何かを描いて作っていた。

 

ワカメ「かあちゃん、ヤバイ、明日出さなきゃいけないのに間に合わないあせる

 

サザエさん「宿題?何を作ってるの?」

 

ワカメ「あのね、みんなにオススメしたい本の、帯を作るの」

 

サザエさん「へー!本の帯!!」

 

自分が読んで面白かった、心に残ったと思う本の推薦文と絵を描いた帯を作るのだという。

みやぴんは青春小説が好きで、選んだのは『あさひなぐ』のノベライズ本。

映画を観に行きたいと言われてたのに行けなかったのを、ノベライズ本を買ってあげたら一生懸命読んでたもんね。

 

サザエさん「いいじゃん。みやぴんらしいセレクトだと思うよ」

 

ワカメ「帯だから大きいとダメでしょ。○センチ以内って言われて作ってるんだけど、これで大丈夫かなぁ」

 

サザエさん「えーっ!?もうだいぶ書いちゃってるじゃん!!大丈夫かなぁって言われても、そこは最初に測ってから作ったんじゃなかったの!?」

 

ワカメ「いや、大体測ったんだけど、ちゃんとは測ってなくて…」

 

なんじゃそりゃ笑い泣き実にみやぴんらしい。(細部は詰めずにとにかくやってみるのがみやぴん笑)

 

そして、みやぴんの言う大きさの基準より、ぱっと見たところちょっと大きいように思える。定規を出して測ってみると…

 

ワカメ「どうしよう、ちょっと大きい。」

 

サザエさん「どうしようって言ったって…どうする?」

 

ワカメ「…切る?」

 

パニックになると突然何の無茶をしでかすか分からないのもみやぴん。

 

サザエさん「まぁ、大きいんだから切るしかないよね。でも、切るところを考えようよ」

 

ということで、上下少しずつ切って詰めることでなんとか規定の範囲内に収めた。

 

サザエさん「これ、いつ出された宿題だったの?もっと余裕があれば良かったのに」

 

ワカメ「いや、宿題じゃないんだけどね、今学校で募集してる本の帯コンクールってやつなの。で、応募が少なかったらしくて、先生に『みやぴん、是非出してね』って言われて『分かりました!』って答えちゃったから」

 

サザエさん「ありゃー、そういうことか。じゃぁ、先生は待ってるかもしれないんだね」

 

ワカメ「そう!だからちゃんと書いて出さないと!!」

 

その日は遅くまで絵と文を描いて何とか無事に帯が完成、翌日提出したのでした。

 

そんなことがあったのもすっかり忘れていた先週。

 

ワカメ「かあちゃん、月曜日、私表彰されるんだって」

 

サザエさん「何の?」

 

ワカメ「本の帯コンクールの」

 

サザエさん「へ?あれ、表彰とかあるの?」

 

ワカメ「うん。賞状もらうって」

 

サザエさん「そうなんだー。先生に『出して』って言われてみやぴんは慌てて描いて出したけど、一生懸命描いたのはそうだもんねー。」

 

そして、いただいてきた賞状は…



「名古屋市教育委員会」って書いてあるーびっくり

 

まじかー。

 

私は学校単位の、読書習慣向上施策の一貫だと思っていたのです。

だから、作品を見せてくれたときもそのうち戻ってくるものだろうと思っていて、「みやぴんらしい本の紹介文が書けたねー。これは読んでみたくなるよ」と言ったのは覚えてるけど…名古屋市に提出して返ってこないと分かってたら写真撮っておいたのに…内容まで覚えてないようえーん苦笑


ハハ、試されてる?ガーン

 

みやぴんは体を動かすことが大好きで、じっと座って本を読んでいることはそんなにありません。好きな本はすごく没頭して読むけどその数はごくごく限られていて何でも読むというわけじゃないし、割となんでも本を読んでいた子どもだった私からすると「この子はちっとも本を読まないなぁ」と思って見ています。

 

でも、だからこそ、その本に対する純粋な「私はこのお話が好き」で「みんなにもオススメしたい!」と思う気持ちが帯に現れていて、それが伝わったのかなと思います。

 

どんなだったかは覚えてないけどてへぺろ


でも、まっすぐで衒いのない想いほど伝わるものはないのだ、ということをムスメから教えてもらいました。


ありがとう。

おめでとう、みやぴん。

少し過ぎましたが、みやぴんが参加した熱田神宮書き初め大会の賞状をいただいてきました。

作品も展示していただいて、良い一年のスタートです。




今年の5年生は201作品の提出、そのうち入賞は12人(特賞を含めると19人)。

1割弱しか「賞」をいただけないと考えると、有り難いことだしよくがんばったと我が子ながらに尊敬。

 

掲示された作品を見ながら、同じ5年生の特賞の作品を指して「私、これより書けてると思う…この賞、ほんとに?」とつぶやくみやぴん。それは確かに、私達からするとみやぴんの方が良い字だと思ってしまうものでした。

「うん。みやぴんの字の方が母ちゃんは好きだ」そう答えつつ、「芸術って難しいね。でもさ、この賞のこの字と比べて云々じゃなくて、とにかくみやぴんの字が"誰が見ても素晴らしいと思える字"だったかどうか、なんじゃないかな」と言うと、「そうじゃなかったよね…」と悔しそうに言うみやぴん。

 

「賞の付け方に疑いがあるとか言っちゃうとさ、もう何が何だかワケが分からなくなっちゃうじゃない?少なくとも、この賞はもう結果として出てるんだし、それはそれでおめでとうだよね」

「うん。まぁ…」

 

みやぴんも分かっているのです。

賞の基準が不透明だなんて言うことは、単に言い訳に過ぎないということを。

それでも、言いたくなってしまう気持ちも分かる。

それはそれで、みやぴんの本気と頑張りがあってこその悔しさの発露だから。

 

とはいえ、そこにあるのは「みやぴんの字が、誰が見ても満場一致で素晴らしい出来栄え」ではなかったという事実。

そう。みやぴんの狙った熱田神宮宮司賞は、素晴らしい出来栄えの書でした。

 

日々の行動や結果の中で、言い訳したくなることはよくよくあること。

でも、「自分は今、言い訳を言っている」とか「自分は何に対してどう感じてこう言っているのか」、「ほんとうはなにか」ということを少し引いた目で冷静に把握しておくことで、大切なものを見失わずに済むんじゃないかと思っています。

 

大切なもの?

言い訳の向こう側にある「本当に欲しいもの」かな。