バルセロナ伯爵 その13 結婚式 1 | スペイン王室

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1935年1月14日に、ローマにて執り行われたベアトリス王女
の結婚式にて再会されたフアン皇太子とマリア・デ・ラス・
メルセデス王女ですが、当時フアン皇太子はアルフォンソ13世
やご兄弟と共にローマにお住まいだったものの、一方の王女は
ご家族とパリ在住でした。そのためお二人は、当面文通などを
通して結婚を前提としたお付き合いを始められたそうです。


carolathhabsburg:  Newlyweds: The Count and Countess of Barcelona, parents of King Juan Carlos:

↑マリア王女とフアン皇太子


結婚式の日取りは、お2人が再会されてから9ヵ月後の10月
12日、ローマのサンタ・マリア・デ・ロス・アンヘレス教会にて、
と決定しました。結婚式に関する細かい打ち合わせのため、
フアン皇太子が、自らパリに出向かれたそうです。とは言え、
当時の交通事情では、ローマとパリの間を何度も行き来する
ことは出来ません。結果。双方の打ち合わせが不十分で
あったこと、フアン王子の母であるビクトリア・エウヘーニア
王妃がローマにおらず、結婚式にはノータッチであったこと、
マリア王女側もパリ住まいで、結婚式自体の準備にはノー
タッチだったことなどが原因で、結婚式当日になって、花嫁に
とっては、悲しいトラブルが起きることになります。

この結婚式に際し、王室寄りのABC紙は、何とローマ迄での
列車での往復ツアーを企画したそうです。一等車に五つ星
ホテル滞在で当時の価格で990ペセタ、二等車に二級ホテル
で約3分の1の370ペセタ。そして、そうやってローマに辿り
着いた王党派の人々の多くは、これを機に、アルフォンソ13世
は退位され、王位を若いフアン皇太子に譲られるべきだと主張
しました。

とは言え、アルフォンソ13世には、亡命中とは言え、フアン
皇太子に譲位する意思は全くなく、フアン皇太子も、父国王
に忠実に、父を譲位に追い込むような意思はないと答えたと
言います。

さて、結婚式の方ですが、まず前日の午後4時からアルフォンソ
国王のお住まいのグランド・ホテルにて、マリア王女をスペイン
からの招待客に紹介するレセプションが開かれました。その
レセプションには、アルフォンソ国王、マリア王女のご両親も
ご出席されましたが、ビクトリア・エウヘーニア王妃は、ベアトリス
王女及びハイメ王子の結婚式同様ご欠席でした。スペイン人は、
家族の絆を大事にします。そのため、レセプションの出席者の
中には、

“如何なる事情があれ、母たるものが、子供の結婚式と言う晴れの
日に、顔を出さないとは。”

と、王妃のイギリス人的性格の冷たさを批判しました。当の子供
達(王子、王女たち)も、金銭面での事情もあり、父国王寄り
だったようです。とは言え、それは、公の文献に書かれていること。
実際は、どうだったんでしょうね。


そして、結婚式当日となります。



↑結婚式前夜のレセプションでのフアン皇太子とマリア王女。