フアン カルロス国王 その4 ~誕生から幼少期まで~ | スペイン王室

スペイン王室

スペイン王室の現役メンバーから、遡ってその先祖の方々まで、おもしろそうな逸話をピックアップしてお届けします!

フアン カルロス国王は、1938年1月5日、イタリアのローマにて生を受けます。

その頃には、祖父アルフォンソ13世と父フアン王子の亡命生活も8年目に

入っていました。

亡命に際し、これと言って王室所有の宝物などを持ち出さなかったため、

その頃には、家族の生活も、経済的に苦しかったそう。

フアン カルロス国王自身、子供の頃から、家庭内でお金の問題が

絶えなかった、とおっしゃっています。


とは言え、スペイン王室の王位後継者の誕生。その洗礼式は、

パチェッリ枢機卿(翌年ピウス12世として教皇に選出)によって執り行われ、

代父母には、母方の祖父である両シチリア王家のカルロ王子と

父方の祖母であるビクトリア エウヘーニア王妃が立ちました。



↑ これがその洗礼式の写真。

  中央で赤子を抱いているのがビクトリア エウヘニア王妃。


その後、フアン カルロス王子(これ以降即位までこう呼ばせて頂きます)

が3歳の時に、祖父アルフォンソ13世が崩御されます。

その死の一月前に、アルフォンソ13世は、スペイン王室の家長の座を正式に

四男のフアン王子に譲ります。その結果、一部の王室擁護者は、フアン王子を

“国王”と呼ぶようになりますが、治める国もなければ、スペインへの帰国も

許されない身。 飽くまで形のみの王位継承となりました。


そして、第二次大戦が終息した翌年、フアン カルロス王子が8歳の時に、

家族は、その居をよりスペインから近いポルトガルに移すことに決めます。

しかし、フアン カルロス王子は、家族とは別に、祖母ビクトリア エウヘーニア

王妃が住むスイスにある寄宿学校に一人送られることになりました。 

その当時のことを振り返って、国王自身はこうおっしゃっています。


”毎日毎日母からの電話を待っていたが、電話が鳴ることはなかった。

後になって知ったんだが、父が私が早く大人になるようにと、母ガ電話を

するのを止めていたらしい。 、父はその頃から私を王位継承者として見ていて、

一国を支えると言う重責を担いうる人物にすべく、厳しくしつけるべきと

考えていたようだ。ただ、その頃の私には、孤独というものが本当につらく

耐え難いものと、感じられたけれどね。”