の当時のスペインの情勢を軽く説明すると、
1931年に行われた統一地方選挙の結果、左翼政党が勝利し、
アルフォンソ13世は国外亡命を決意。
その結果スペインは平和裏に第二共和制に移行したが、
その5年後にスペイン内戦が勃発。
左派の人民戦線政府 対 軍部、ファシストであるファランヘ党支持者、
カトリック教会関係者、王室擁護者など既得権勢力からなる反乱軍(右派)
の戦いとなるが、3年後の1939年、反乱軍の勝利によって戦争は終結。
その後、スペインは王政には戻らず、内戦中に軍内で頭角を現した
フランコ将軍による独裁政権下に入っていた。
スペイン内戦中、ドイツとイタリアからの援軍を得ていた反乱軍政府は、
第二次大戦に参戦こそしなかったものの、枢軸国側に付いたため、
連合国首脳部が、戦後の枢軸国の扱いを話し合ったヤルタ会談では、
スペインに王政を復古させると言う合意に達していた。
しかし、その場合スペインが逆に共産化する恐れがあったため、
次に行われたポツダム会談では、反転して、スペインはそのまま
フランコ政権に委ねる、と言うことになった。
とは言え、戦後の冷戦下、国連への加盟も認められず、東側の寄ることは
もちろん、西側からの援助を得ることも出来ずにいたスペインは、
国際的に孤立することになった。
そのような情勢下、フランコ総統は、国の将来、つまり自分の後継問題
に関して、真剣に考えるようになった。
フランコ政権は、飽くまでフランコと言う一個人による独裁体制。
フランコには、跡を継がせる男子がおらず、彼自身、この体制を
何時までも続かせることが出来るとは思っていなかった。
かと言って、内戦前に国を混乱に陥れた共和制は、スペインでは機能する
ようには思えない。
そこで、彼が思い至ったのは、連合国側と同じ考え。
つまり、王政への移行。
しかし、この時点で、彼はまだ彼の後継たる王を、亡命中のブルボン家から
招き入れるか、はたまた新しい王朝を作り、そこから王を指名するか
決めかねていた。
Caudillo/Generalísimo Francisco Franco Bahamonde
フランシスコ フランコ総統