フアン カルロス国王 その3 ~家族背景~ | スペイン王室

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スペイン王室の現役メンバーから、遡ってその先祖の方々まで、おもしろそうな逸話をピックアップしてお届けします!

前回は、国王の名前の由来だけでおしまってしまったので、今日はその生い立ちについて語りましょう。

ファン・カルロス一世は、1938年1月5日、イタリアのローマにて誕生しました。
何故、スペイン本国ではなく、イタリアンのローマかって???
別に、両親がイタリア旅行中に生まれたわけでも、ローマに別荘があったからでもありません。
国王が生まれた当時のスペインは、かたちばかりは王政を保っていましたが、フランコ総統の独裁政権下にあり、当の国王アルフォンソ13世は、イタリアのローマに亡命中だったからです。
父親はアルフォンソ13世の四男であるフアン、母親は、両シチリア王家出身のマリア・デ・ラス・メルセデス。
フアンは、その当時既に、王位継承順位第一位となっていましたが、なんせ亡命中の身。
いくら皇太子とは言え、治める国のない王子と大事な娘を結婚させたがる他国の王族は少なく、
皇太子妃候補者の数は、6 ,7人しかいなかったそうです。(その上その6,7人の半分に当たる3名は、マリア・デ・ラス・メルセデスに姉妹というから、泣けてきます・・・)

で、これがその二人の結婚写真。


$世界の王族 

さてさて、このファン王子とマリア・デ・ラス・メルセデス妃ですが、ファン・カルロス王子を含め、
計4人の子供に恵まれます。上から順に言うと、

ピラール王女 (Infanta Pilar) →写真中、一番右
フアン・カルロス王子 (Infante Juan Carlos) → 写真中、左から二番目。
マルガリータ王女 (Infanta Margarita) → 写真中、右から二番目。
アルフォンソ王子 (Infante Alfonso) → 写真中、一番左。

$世界の王族 

写真が小さくて恐縮なのですが、分かるでしょうか?右から二番目のマルガリータ王女、生まれながら目が不自由でいらっしゃいます。

この家族ですが、しばらくはローマに居を置きますが、1941年にアルフォンソ13世が崩御すると、スペインからより近い場所へと、ポルトガルのエストリルに移り住みます。(サーキットで有名なあのエストリルですビックリマーク

アルフォンソ13世の死後、フアン王子は、フアン3世として王位を引き継ぐべきでしたが、何せ治める国もない亡命中である上、スペインを統治するフランコ総統の意向も気になるので、仕方なく、国王が多くもつタイトルの
一つである、“バルセロナ伯爵(Conde de Barcelona)"と自ら名乗るようになります。これは、どこか、大衆の批判をかわすために、イギリスのカーミラ夫人が、"Princess of Wales"ではなく、チャールズ皇太子の持つ数多くのタイトルの一つである、コーンウォル公爵夫人(Duchess of Cornwall)名乗っているのと、どこか似ていますね。