母は脳腫瘍 -4ページ目
<< 前のページへ最新 | 1 | 2 | 3 | 4

脳血管撮影

今日母は脳血管撮影をしました。
入院前の説明では(外来診察時)、危険もあるのでそこを踏まえた上で検査を受けることを承諾して下さい、と同意書を書かされました。
心筋梗塞・感染症・脳出血・・・などと恐ろしい症状を聞かされたそうです。
外来には私と妹は間に合わず、父と母だけが入ったので、詳しいことは分かりませんが、両親はいくつかある厳しいハードルの第一歩ととらえていたようです。

その後私と妹で脳血管撮影(カテーテル)を調べたところ、確かに100%安全と言えないがそれほど危険でもないということが分かりましたので、両親には私たちなりに調べたことををきちんと説明しました。
病院のHPなどで詳細に説明されたものをプリントして見せられたのでよかったです。

担当医が検査前に一度くらいは会いに来てくれるだろう・・・と思ったのですが、とんでもないっ。
全部看護婦さん。
何も知識のない人が検査を受けるとしたら、とても不安だったと思います。

脅かすだけ脅かして・・・と、病院に対する不信感は高まるばかり。
命を預ける手術を受けるのですから、先生や病院を信頼するのは最低条件ですよね。
父からは、自分のことだけ考えていちゃだめだ、と叱られましたが、やはり私は納得できませんむかっ

検査室までは自分で歩いていきました。
お部屋の前まで見送り、待つこと一時間ほど。
ストレッチャーに乗せられて母が出てきました。
局部麻酔なので、意識はしっかりしています。
太ももの付け根を切ってカテーテルを入れるので、しばらく足は動かしてはいけないとのこと。
看護婦さんは検査後ずっとつきっきりでいられないとのことで、父と妹で母の足を押さえていました。

「痛みはない?」と聞くと、特に何も感じないとのこと。少しほっとしました。
それよりも体を動かせないほうがつらいと言っています。
おトイレにも行けないので、ベッドの上でおまるを使います。
とても嫌がったのですが、水分はタップリとって、体内に入った薬をなるべく早く、たくさんだしてね、と看護婦さんから言われたので、頑張ってお茶を飲んでもらいました。

検査から6時間ほどして、お医者様(担当医ではありませんでした。若いインターンの先生)が来て下さって、傷口の処理をしてくれました。
以後は歩行可能とのことで、早速歩いてトイレに行こうとしたのですが、まっすぐ立てない!
足の痛みのせいなのか、脳腫瘍が悪さをしているのか?
日に日に悪くなっていくような気がします。

今日は母の状態にとてもショックを受けて帰宅。
子供達にご飯が少し遅くなるから先にお風呂に入っていて、とお願いしていたのですが、お菓子を食べたらしく、ごみ箱に袋が幾つか捨ててありました。
ご飯が食べられなくなるのに、ダメだなぁ・・と思ったら泣けてきました。
ごみ箱の前に座り込み泣きじゃくる私を見て、娘も一緒に泣きだし、大変な夜になってしまいました。
父がたまたまこの修羅場の最中に電話をかけてきて、「まだまだ先が長いんだから。そうカッカするな」と諭してくれましたが、これがいつまで続くのかと思うとまた悲しくて・・・。



冷たい・・・病院

月曜日。
母を迎えに行き、父と妹と病院へ向かいました。

妹について、少し。
元々二人しかいない姉妹で仲良しでしたが、お互い結婚して子供が二人ずつ出来、そう遠くないところに住んではいるものの、日常に追われて実家にいた頃のような親密な関係ではなくなっていました。
マメに電話をして連絡は取り合っていましたが、生活のリズムが違うので、なかなか会えず、妹の子供へのお下がり等は実家を経由して渡しているような状態でした。

忙しい子なので無理はしてほしくなかったのですが、正直なところ妹もずっと母に着いていてくれて本当に助かります。
土曜日母を病院から連れて帰って、両親と私と妹、久しぶりの4人家族そろっての食事は、母も喜んでくれました。

これからどうなるのか、不安で仕方なかったのですが、私と妹でそれぞれインターネットなどを使って調べて、出来るだけ明るい見通しを父に話すようにしました。
父はとても気丈でやたらとパニックに陥るタイプではありませんが、今回の母の病魔には打ちのめされています。
表面はしっかりとふるまっているのですが、父の書いた文面などからかなり痛手を受けていることが分かりましたので、術前説明まではとにかく明るい話題だけで父にも希望を持ってもらいたいと思ったのです。

病院はそのまま慈恵を選びました。
即入院、8日後には手術との運びでしたので、選択する余地もなかったのです。
また、腫瘍もとても大きくなっていましたので待ったなしの状態。

今、本当にここでよかったのかなと不安に思っています。
入院してから一度も担当医とは話をしていませn。
素人なりに調べたところ、転移性の脳腫瘍の可能性もかなり高いようなのに、入院前に撮った胸のレントゲン結果も教えてくれません。
そんなものなのー?
なんか冷たいよねー。
かといって、今更別の病院を考えるなんて無理。
父からは、私のわがままだと叱られています。
お医者様は忙しくてそれどころではないだろうと。
ハイ、それは分かっていますが、気持は納得できない。
母の前では「よい病院でよかったね。すごく優秀な先生なんだって」と喜んでいるふりをしていますが、本心「なんか信頼しきれないー」
看護婦さんも、若くて優しい人もいますが、なんか表面的だしー。

冷たいな・・・。

でもいいの。母を治してくれるんだったら、冷たくても事務的でもなんでもいいです。



すぐに入院しましょう

母の脳波検査はたまたま土曜日でした。
10時からの検査なので11時半にはお会計まで済んでると思うよ、と前日に父から連絡があったので、
小学6年の娘を連れて一緒にお昼御飯でも食べようよ!と約束していました。
ところが、12時になっても連絡がきません。
検査は終わって、きっと会計で手間取っているんだなと思い、携帯に電話をしても電源を切りっぱなし。
変だなーと思い、とりあえず病院まで私ひとりで行ってみました。
検査外来で呆然と座っている父を見つけ,「どうしたの?」と聞くと,「ママに大きな脳腫瘍が見つかったんだ」と。
父の顔は真っ青。検査同意書を記入する文字が震えています。
達筆自慢の父の字が読めないほどの動揺ぶり。
私もその場にへなへなと座り込んでしまいました。
「ママはどこ?」と聞くと,今トイレで尿検査をしているとのこと。
母が戻ってくるまでに聴かなければいけないことを大急ぎで父に尋ねました。
・本人は脳腫瘍と知っているのか?--Yes
・手術して治るのか?--わからない。手術日前日の術前説明で詳しいことが聞ける
・危険はないのか?--同上
・転移性なのか?--現在検査中

満足のいく答えが得られていないようでした。
ところが父も動転しているので,そのことすら気づいていない様子。

「お医者様にはなんて言われたの?」
「とにかく今日すぐに入院しましょう、と・・・」
「じゃあすぐに下着とか用意しなくちゃ」
「でもママが、どうしても今日入院するのは困ると突っぱねた」
「え?どうするの?だって緊急入院が必要なんでしょう?」
「医者が週末は外泊でもいいだろうと言ったよ。だから今日は連れて帰る」

結局その日は病室とベッドだけ確保して日曜日まで外泊許可をいただき、自宅に戻りました。
全てが終わったのが17時。母はもちろんのこと、父まで疲労困憊の様子でした。
途中、妹に連絡し病院まで来てもらいました。
妹は気丈なたちで、「私たちがどんよりしていたらママがよっぽど悪いんだと思って余計に気落ちするよ!」と
てきぱきと入院手続きを進めてくれたのは、本当によかったです。





予兆

元気いっぱいの母。
お出かけも大好き、遊ぶのも大好き、食べるのも大好き。
ところが2008年夏ごろから倦怠感を訴え、今まで楽しんでいたこともなんだか楽しくなくなったと。
父が完全退職して、自宅にいるようになったせいかもね、なんて冗談を言っていたころ。

それまで何度かダイエットに挑戦しても、リバインドしてうまくいかないー!なんて文句を言っていた母の体重がじわりと落ちてきました。
夏バテ?年齢のせい?
でも、心配だからお願い病院に行って!と、無理やり受診させたのですが、「糖尿病の境界線ですね」との診断。
血液検査やレントゲンも撮ったそうです。
生活指導を受け、お薬をもらって一ヶ月後の様子を見ましょうと言われて帰ってきました。

私は実家の両親が住むところから車で20分程の所に住んでいるのですが、フルタイムで働いていることと子供二人の用事などでバタバタしていて、電話では毎日話していましたが、実際には頻繁に会えない状況です。
電話で話していて、「あれ?」と思ったのが、数字に関すること。
「今日6番に起きたんだけど・・」6時と言うべきところを6番と話して気付かない。
自分の年齢を38歳と何度も言い間違える。(本当は68歳です)
体温を測ってしばらく経ってから、「今朝の体温は34度だった」などということもありました。
「体温34度じゃ低体温で死んじゃうよー」なんて言っても特に反応はなく、私もただの言い間違え?と納得していました。

ある日、たまたま母と外食をした時にお箸の持ち方がおかしいのに気づき、「ママ、右手怪我でもしたの?」と聞くと、「最近うまく動かなくなった」と言いました。
お箸の持ち方はちょっと変ですが、試しに握手をしてみるとしっかりと握力もあり、じゃんけんも不自由なくグーチョキパーが出せました。

11月に入り、やはり言葉が改善されない(どころか、悪くなっていると父は言っていました)ため、母も自ら痴呆を疑いかなり深刻な状況でした。悩んでいても仕方ないよ!と、慈恵に予約を取り、まずは神経内科を受診。
そこで、アルツハイマーの診断テストのようなものを受けました。
ところが!
まず、自分の名前が書けない。
今日の日付が言えない。
今自分がいる場所(病院ですよね)が言えない。

付き添った父も焦ったそうです。

診断は「かなり進度の速い痴呆と思われる。」
それを母の前でハッキリと言ったそうですメラメラ 
当日は他に血液検査だけして、次の週に脳波、来月にCTとMRIの検査の予約をして自宅へと帰っていきました。

その晩、母は眠れなかったそうです。
痴呆へと向かっている自分をどうしていいのか、悩みに悩んだそうです。
「本当に分からなくなる前に死のうと思ったのよ」と、後日母が話してくれました。

父も眠れなかったようです。
自分が母を最後まで看取る心の準備をしていたそうです。
進行したアルツハイマーの状態の母を置いて、先に逝けないと。

一週間が経ち、脳波の検査を受けている最中、検査技師さんが担当医を呼び出しました。
左側の脳波がおかしいと。
すぐにCTの検査。
神経内科の先生から「脳腫瘍と思われる」と言われ、脳外科へまわされました。
父はその際、先日の診断(進度の速い痴呆)ではないのか?と確認しました。
神経内科の先生は「腫瘍が正常な脳を押している状態。これが原因だった」と教えて下さったそうです。

ここから母の脳腫瘍の闘病が始まります。

<< 前のページへ最新 | 1 | 2 | 3 | 4