あれから3年 | The Tastes of Life

The Tastes of Life

華梨の美(味)的生活

本当は、用意していた記事があるのですが・・・

やはり、本日は東日本大震災の事について書こうと思います

震災時、私は都内浅草橋におり

当時通っていたスクールの友人達と、秋葉原まで歩き

数人とははぐれ、唯一一緒だった友人ともそこで別れ

地元まで、休憩を含め8時間掛けて歩いて帰って来ました

余震もありましたし、都内も震度5ですから・・・それなりに被害が大きく、自分の事で精一杯で

中々電話も通じず、当時ソフトバンクだった携帯は諦め

南阿佐ヶ谷の少し前の、青梅街道沿いの公衆電話で

高齢の母と話せた時は、とてもほっとしましたが

ほとんど早期閉店している中、南阿佐ヶ谷で営業しているのを見付けた

スター餃子にて、店内のテレビで東北の津波の様子を見るまで

まさか、あんな悲惨な状況になっているとは思いもよりませんでした

日々に忙殺され、気付けば3年という印象もありますが

被災者の皆さまにとっては、未だに仮設住宅の方も多い状況です


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そんな中

3年目を迎え、改めて諸外国からの激励の声が届いており

改めて、当時多くの手を差し伸べてくださった皆さまに

感謝の思いを新たにし

中でも台湾は、国民レベルで300億を超える寄付を集めてくださったそうで

台湾に対する、日本からの感謝のメッセージも多く目にします

私自身、その事がきっかけで

改めて、台湾という身近にある大切な国の存在に気付かされ

その後は、日々恩返ししたい想いでいるのですが

ここで

台湾以外にも、日本に思いを寄せ

心から励まし、支援して下さっている国々の事を

思い出して欲しいと願います


それは、ベトナムもそうです

こちらの記事にも書きましたが

http://ameblo.jp/vewev/entry-11401637265.html

ベトナム料理店を営んでいらしたご主人が、直に現地で聞いた声、見た現実を話してくださいました

日々の暮らしもままならない皆さまが

1円、2円という、日本では「わずか」と捉えられてしまいかねない単位の

でも、彼らにとっては日々の糧として非常に大切なお金を

日本のために、と

震災当日のその日から、コツコツと貯め続けて

日本赤十字へ届いた義援金の額は、イギリスに次いで8位という驚くべきものでした

ひとえに義援金を金額やランキングで判断するのは、下劣な話だと思いますが

彼らの貨幣水準で考えれば、いかに真心を尽くして下さったか分かるはずですよね


そもそも、ベトナムの方は震災のその当日から

毛布を送ったり、お米を送ったりしてくださったそうです

それなのに・・・

当時の民主党政府は、お米は美味しくない、日本人の口に合わないと断り

毛布は中古で汚いからと、拒絶したそうなんです!

この事実を知り、本当に心が砕けそうになりました

日本人が作ってくれたと、電柱を倒しただけの様な質素な橋を

今でも大切に、心から感謝し続けて使ってくれている彼らに・・・なんて事を・・・

それなのに・・・

ならば、と

お金という形で寄付を募ってくださったのだというお話を、ベトナム料理店を営む日本人店主さんに伺い

どんな形ででも、この事をもっと日本人に知ってもらわなくては

と思いました

私の拙いブログで、少しでも多くの方の目に留まって戴ければ幸いです


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もちろん、ベトナム以外にもタイ、フィリピン、インドネシアなど

さらには東ティモールなど、ご自身のお国が大変な状況の方々まで・・

日本に心を寄せて、小さな子供たちまで励ましの歌やメッセージを送ってくださった国々は

他にも少なくありません

この機会に改めて、被災地について出来る事を考えるとともに

こうした国々への感謝も忘れない様にしなくては・・と、思いを新たにしました


アオヤイ(池袋にあったベトナム料理店)ご主人のTwitter Twitter

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