秋田への旅 その二  村上市から 山形酒田市観光 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

2017年7月11日

 

二日目   新潟県  村上市観光~  山形県酒田観光へ

瀬波温泉から日本海沿を通る345号線を車で走り観光しながら酒田に向かう

 

道の駅 「夕日会館」 JR桑川駅 

 

村上市の観光案内にもある 「笹川流れ」 という風光明媚な海岸を

車から下りてみる

 

道の駅に笹川流れの案内板がありそこに立ち寄ってみる

 

 

塩の製造販売している 「舟小屋」 

塩は採れたところで味が違う 日本海の塩を買いたいと思って寄った。

塩をつくっている場所を見学させて下さったいる 

 

ご主人さんが塩をつくっている。 出来た塩(手前のざるの中)

海水から塩になるまでの工程がいくつもあり大変な作業 夏の暑い時期になさるとか  色々の塩(藻入り 塩の粒が違うとか)があり、

藻入りが気に入った、いくつか買い求めた

 

 

 

 

 

山形県酒田観光

 

土門拳記念館

飯森山公園の中にある。案内板に従って駐車場から歩いていくと、白い箱型モダンな建物が緑の森をバックに建っていた。

バアバーが中学生頃お会いした土門拳氏の顔を思い出た。晩年だったのだろうか「足が悪くてね」と言って椅子に座って挨拶して下さった

設計者は谷口吉生

土門拳の作品約7万点を収蔵されているとか、作品はテーマごとに分かれていた。特に古寺巡礼 筑豊のこどもたちの作品は印象に残った

 

休憩

館の一角に池に面した休憩場所がある。椅子に座って池を見て休んでいると、一羽の白鳥が建物の欄干に止まった。色々の仕草をする

 

館の間の池に「コダイハス」があった、まだ蕾だった

 

 

 

 

 山居倉庫

明治26年(1893)酒田米穀取引所の付属倉庫として旧庄内藩酒井家により建設された。敷地は酒田市内を流れる新井田川の中州(山居島)にあり、 建物は二重屋根 倉内は湿気防止構造、外にケヤキを並木をつくり 自然を利用した低温管理倉庫になっていた。

現在は「庄内米歴史資料館」、「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽」になっていて物産館は軽食もあったり沢山の品店があってお客がごったけしていた。 あとNHKの連続テレビ小説「おしん」のロケ地でもあった

 

 

庄内米歴史資料館で、庄内米どころの米の歴史をみた。

「女の人も働いたのね」と感心した

倉庫から船着き場まで運んだ女の人「女丁持(おんなちょうもち」と呼

 

 

船着き場跡

海につながっている新井田川に面した船着き場 ここから船で日本海に出て 庄内米が江戸へ江戸へと運ばれた:::と  見た

 

 

 

倉庫の西側の樹齢150年位は経っているという太いケヤキ並木。絵になりそうな風景で写真を撮っている方が大勢いた

 

 

 

さて今度は何処にとガイドブックを見て

港の繁栄の歴史を示す多くの遺物が点在する歴史公園

日和山公園に向かった

 

日枝神社

公園の入り口にあった

山王鳥居

鳥居の上に三角形の合掌域があるのが特徴

 

 

 

日和山公園

公園内は句碑が建っている

先ず大きな碑が 「井上靖」のもの

 

碑には「氷壁」にある、この公園と日枝神社を訪ねた一編刻んであった

 

 

この公園は歴史公園百選の中の一つ

 

公園の案内図

 

 

展望台

展望図 月山や 最上川もみえた

 

 

 

日本夕陽百選に選ばれている

ここから見る夕陽 

灯台を眼下にみえた

 

酒田の灯台

木造六角様式

 

 

 

 

池に千石船模型が浮かんでいた

展示時間が終わりすでに帆を下しているところだった

 

 

  航路図と、西回りの航路を開発した河村瑞賢の説明

 

松尾芭蕉の銅像前で 、、、

松尾芭蕉は奥の細道の途次1687年酒田にきた

 

 

日和山公園の外に出て

 

旧白崎医院

大正時代の建物 酒田に残る唯一の木造洋風建築

 

 

日枝神社の随神門

 

 

 

公園の入り口にあたった出店

このお店のご主人から公園に入る前に、 公園の廻り方を教わった

帰りにお礼かたがた寄って 「氷」」をまず頂いた。 話が弾んで焼き鳥も頂いたた。ジイジー「やっと思った氷を食べられた」とご満悦

 

 

日が暮れてきた  酒田ICから高速道路に乗って秋田に向かった