天気は雨にはならないだろう 今日はいよいよ北海道の屋根歩きだ!
黒岳石室 避難小屋から桂月山に登って 日の出を見にいった
桂月山で日の出を待つ登山者 3:35
昨日黒岳に登るときに バアバー達を追い越して行った子供達も日の出を見に
登ってきていた
桂月山頂上に4:05までいた 下りてくる途中に雲の間から太陽が出た
太陽が縦に光を放っている 「サンピラー」現象をみた
旭岳に次ぐ北海道第二の高峰2244m 北鎮岳に残る雪形 「白鳥」
もう少し早い時期だと白鳥と千鳥が向き合う形に残雪が残ると
星空観察会を開いてくれた先生に教えていただいた
これは白鳥
黒岳石室避難小屋6:00歩きだし
桂月岳と黒岳石室避難小屋を 振り返って見て 出発
桂月岳(けいげつだけ)1938mは大町桂月 こちら の登山記念の山名
左は北海岳へバアバたちは右の北鎮岳をめざします
木の間を抜けると広大な台地が広がった
北鎮岳に舞う白鳥を見ながら歩く
雲の平 は 広い
お花畑が広がる 先に 尖った山 烏帽子岳が見える
深田久弥は黒岳石室避難小屋から 烏帽子岳、赤岳を 経て銀泉台に
下りたと 「日本百名山」の中に書いてある。黒岳石室避難小屋から烏帽
子にいく登山道は今はない。あの山まで何処を歩いて行ったのだろうと眺めた
どこまで続くのだろウ 高原にお花が沢山 その先に北鎮岳がみえる
眼下に荒涼とした広い爆裂火口が広がる。
北鎮岳に登るまでは 登山者が少なく こんな広大な山を 独り占めして 贅沢 と
ジイジーと山を眺めては感激に浸っていた
北鎮岳を下るころに登山者が増えてきた
5,6人の女性登山者が登って来た 避けて待っていると
その中のお一人が、すれ違に顔を上げてバアアーを見ると立ち止まって
「お元気ですね!」と声を掛て下さった。
バアバーは
「ありがとうございます」と言ったが
正直に言ってとてもいい気分じゃなかった。
でも待てよ バアバーもそんな年になったと::自覚 しなきゃ::ね
北鎮岳分岐8:40
デボしたリックが待っていた
中岳近くになると山斜面に白いお花が咲いているように白く染まっている
近寄って見ると 小さい木が枯れて白骨 状態
何の木なんだろうか?
歩いてきた道を振り返ってみる
北鎮岳も遠くになった お鉢平が下の方にみえる
間宮岳2185m頂上
ここでしばし休憩 広い広い 霧でもかかれば不安になるだろう
間宮岳は探検家であり北海道地図の基「蝦夷図」を作った
間宮林蔵こちら をたたえてつけた名前
もう一頑張りで分岐 広い台地の中歩く道は石で囲まれつけてある
間宮岳分岐 9:30
登山者が」休んでいました これを右に方向を変えて旭岳に向かう
旭岳の雪渓 に取り掛かる
「キャキャ -」言いながら 下りてくる女性
「無事下りられたわ 楽しかった~」 と言ってその女性は
雪渓の登り口で待ってたメンバーの所に寄って来た
バアバーが先に行くジイジーに「腐れ雪?」と声を掛けると
「腐れ雪と言うんのね」と先ほどの女性が言った
そこでバアバーが
「よかっね楽しくて 私群馬から来たの」 と言うと
その方が
「子供が桐生にいるの 群馬の山は小さくて尖っているのね」
「北海道は広いね 大きいね 比べられないわね 日帰り?」
とバアバー
その女性は
「ちょこっと一回りしにきたの」
「じゃまた群馬でお会いできるかもね お元気で」
とお別れして
いつの間にかジイジーは雪渓を登りきるところまで
行ってしまいました
バアバーは雪渓を登り始めてから折角アイゼンを持ってきたの
だから履くことにした。
雪渓を登りきるところで 雪渓で記念撮影をしようとカメラを岩に載せ
自動タイマーを使って写真を撮ったのだが:::
写真を撮るのに苦労しているバアバーを見ていた
下って来る外国男性が
「シャッターを押しますよ どういう風に撮ったらいいのですか」と声を掛けて下さった
「雪渓を入れて」とお願いして撮っていただいた写真 登った雰囲気が出ています
雪渓が終わり今度は急登りの砂礫帯 皆さん登りも下りも大事しています
ここでバアバーはアイゼンが役に立って苦労することなく登りあげた
旭岳頂上がもう少し 広い頂上に登山者がいます 賑やかになってきました
旭岳2290m頂上12:00~12:45
雲がかかってしまった
雲行きが悪いけど頂上でガスで湯を沸かして ランチタイム 赤飯とパン キムチ
ドライの甘酒が美味しかった!疲れた体にしみこんだ感じがした
これが「いわれの」こちら 金庫岩かな
「ごうーごー シュー」と音がする 山から煙をふいている音だったのです
旭岳は活火山なんです 最近あちこちで山が噴火しているので バアバーは
薄気味が悪くなった
「愛の鐘」 を突くジイジー
「無事下山できました ありがとう 」の思いでバアバーもつきました
愛の鐘は1962年12月30日 北海道教育大学函館分校の学生11名が
旭岳で北西斜面で遭難し10名が死亡した。彼らを弔い登山者の安全を
願って1963年に設置された。
1962年と言えば昭和37年バアバーが大学3年 同じ年頃の人達だった
また改めて合掌
姿見駅に下りて
17:15分発の旭川駅のバスに乗ってホテルにつきました6:40
ジンギスカン料理を食べよとジンギスカン料理屋に行ったら行列が出来ていた
並んでまで食べたくないので ホテルおすすの店に寄った
最終日21日
朝ごはんをゆっくり頂いてホテルをゆっくり出て旭川駅から旭川飛行場に向かい
一路帰路へ
旭川駅で
無事にここまで予定通り行程をこなした 充実感で飛行場行のバスに乗った
ネットを駆使し飛行機の切符 宿泊所を 取り 山旅の行程を作った
上手くいくだろうかという不安もあったが 行って見れば
北海道のスケールの大きさに不安など飛んで行ってしまった
広大な山容 高原台地 沢山のお花畑に 荒々らしい山 と
とても変化に富んだスケールの大き山を楽しむことが出来た。
旅の途中で北海道の方に彼方此方でとても親切にして頂いた。
ありがとうございました
ジイジーも今回は旅行程をよく作ったね と労をねぎらってくれた
お兄ちゃんありがとう 無事に行ってきました
皆に感謝 そして歩けたことに感謝