NO2板橋から蕨まで | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

6月5日

板橋宿から蕨宿まで歩きまし。行程は2里10丁,約9,8キロです


高崎駅で皆さんと合流しました。 スゲガサを被り クラブの黄色い旗を持ったリーダーが当然いるだろうと想像していましたが、リーダーがいない。リーダーがギックリ腰で欠席とのこと。中山道歩きはあの井出達がないとちょっと寂しい。


板橋駅に着きました いよいよ第2回目の始まり 総勢18名
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板橋駅を出て17号に「旧中山道」の標識がある。それを確認
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板橋宿は日本橋から数えて一番目の宿でそれぞれに名主がおかれた(平尾宿、中宿 上宿 )の総称

上宿と中宿の境目は地名の由来の「板橋」に かかる石神井川で、中宿と平尾宿の境目は勧明寺付近だそうです 

ここは「板橋平尾宿」 立て札 中山道69宿の第一番目。江戸日本橋より約2里9丁(約9キロ)、

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東光寺
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東光寺の境内に

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勧明寺の稲荷社  

このあたりが仲宿と平尾宿の境目


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平尾宿通り
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高速道路の下右前方ビルの谷間に板橋宿のゲートガ見えました
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板橋宿のゲート
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板橋宿平尾町脇本陣跡を見る一行
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「板橋宿平尾脇本陣豊田家」の説明看板
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ビルの谷間にちょっとした広場があり観光案内板がありました

69の宿場が書かれていました。そこで板橋宿を指して記念撮影
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中仙道板橋宿の立看板

これより仲宿商店街

日本橋より2里20町9間 

これより北上すれば高崎を経て越後路木曽路にいたる

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編照寺

宿場時代、馬つなぎ場とか
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仲宿の看板と街路灯
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板橋宿本陣飯田新左衛門家
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板橋本陣跡
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「板橋」

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日本橋2里35町一間

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中仙道板橋宿ここから上宿石碑

  上宿は石神川にかかる板橋から環状7号sんあたりまで

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「縁切り榎」を見る

道しるべだった榎が何時しかこの下を通ると不縁になると信じられた。五十宮、楽宮、和宮は徳川家に降嫁する時この道を避け迂回し板橋本陣に入ったとか

また自ら離縁できなかった封建時代の女性がこの榎にひそかに願いを込めたとか、ビルのたにまにたつ3代目の榎の今は


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当時の榎が保存

今は悪い事は切って、良縁を結ぶと言う看板の説明で、保存された榎を

吾一行様も手でさすった人もいました。これで京まで着けると。

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さらに17号沿いを歩いていくと石やさんの前にこんな石造が
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古風な家ガ見えつと一里塚への矢印が

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17号を挟んで志村の一里塚


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ヤレヤレ疲れた11時も廻ったお昼しよう

一里塚から250メートルあまり歩いた所の見次公園で昼食

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富士大山道道標と庚申搭

 道標にはこれより)大山ならびにねりま川こえへ

 
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清水坂中仙道の最初の難所だったとか 結構な坂道でした
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坂を下った所でなにやら皆さんの足が止まりました



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石畳のの間に富士山が書かれた石版が埋め込まれていました

「この坂から昔は富士山が見えたのね~」

中仙道で唯一右に富士山が見えたので、「右富士」と呼ばれたとか

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志村橋

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 志村橋の上から見る 新河岸川が美しかった

このあたりになると町の景色都会から離れた感じがしてきました
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荒川
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荒川の橋の中ごろに

東京と埼玉の県境の標識

東京から抜けた  埼玉よ ~
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荒川の土手に座って一向は一休み
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土手の反対側に戸田の渡船跡の石碑がありました。

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少しあるくと水神社

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中仙道の道のしるし
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中仙道の説明の看板がありました
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さらに17号高崎91キロ 熊谷49キロ埼玉8キロの看板

高崎まで100キロ切ったぞ

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中仙道の石碑が見えました
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その右前に蕨宿の入り口の木の門
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石畳の中に宿の絵が一定の間隔で埋め込まれていました

大宮宿の絵

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板橋の絵
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左側に古い建物が

「中仙道蕨宿景観建築物」という木札がかかっていました

子供頃は良く見た家 子供の頃のヒトの声までが聞こえてくるよう
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蕨宿の観光案内版の前を歩く一行
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歴史資料館分室の入り口
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歴史資料館の分室の庭で一休み

珍しい植物を見ました「アカンサス」の花

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資料館からほんの少し歩いたし反対側に

「蕨町道路元票」がありました
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蕨市立歴史民族資料館
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歴史民族資料館の近くに本陣跡がありました
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きょうの行程は終わりました。一向は蕨の町を歩き蕨駅に向かいます
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蕨駅に着きました
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中仙道を辿って歩く町歩き、ヤハリ今日も足の裏が疲れる、しかしこの企画に参加しなかったら、当然電車で見ている荒川も歩いては渡らなかっただろう。