NO1東京から板橋 | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。



5月15日中山道歩きがスタートしました


中山道を歩く計画をクラブのY氏が立ち上げました

Y氏ガ言うのには東京から京都まで歩いて、京都に着いたら新幹線で東京に戻ってスカイツリーに登って

中山道歩きの達成打ち上をする。


アルプスに登るのも良いが古希山行で箱根街道を歩いて、街道歩きもロマンがあって良いものだな~。


中山道は 江戸時代に陸上交通路として日本橋を基点にして5つの街道を徳川家康が整備し始めた.

そのうち江戸日本橋 と京 三条大橋を結ぶ主要道路、山の中を歩くのが中山道 海側を歩く東海道である。  日光街道,奥州街道、甲州街道で5つである

なにしろ 中山道は69の宿場、距離は何と136里24丁8間、 533キロあり長い道のりです。


歩き通したい。そしてスカイツリーの上で乾杯しょうと決めての出発です


東京駅に着きました。Y氏のスゲガサに何故か黄色いスッパツをつけ、クラブの旗を持った井出達は

かなり目立ちます。田舎から出てきた総勢24名はこのY氏のいでたちで迷子になる人は出ませんでした。おばあちゃんと 一緒に
日本橋に着きました

初代の日本橋は徳川家康がかけた、現在のは19代目、明治44年に作られ日本の重要文化財に指定されている。日本橋は首都高速道路の下にあり、日本橋に青空を取り戻そうと言う話があったのも頷け

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首都高速道路が日本橋の屋根のようになってい


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東京市道路元票  戦前は道路法によって道路の始点の道路元票を義務付けていた。た東京市は此処を始点にした
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道の基点としての「日本道路元票」  

 日本橋の道路の真ん中に埋め込まれている「裏には当時の内閣総理大臣佐藤栄作の名前が刻み込まれているそうです。

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歩き出しの記念撮影しました

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今川橋の由来の看板

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昌平橋の袂に道路下に飲み屋さん?都会的な風景画

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神田明神ニつきました

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神田明神の春のお祭りがありました

そこでレタスをタダで配っていました

昼食休憩を取りました

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本郷も「かねやす」までは江戸のうち

 
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東大赤門

 安田講堂が見たかったが残念時間がない先を急ごう

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本郷追分の一里塚

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「高崎屋」の直ぐ脇に一里塚ある


、高崎屋は江戸時代栄えた酒屋だそうです

 今は赤い看板が現代風で妙な感じがした
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ほうろく地蔵 
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17号から少し入って

「六義園」 見物
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ガイドさんの説明つき案内


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真性寺の地蔵尊

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巣鴨地蔵商店街



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高岩寺の山門

 山門前で何を祈ってもらっているのだろう

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とげぬき地蔵の前は地蔵を撫でる人で長い行列が出来ていました

 しかし私は写真だけ、その隣にあったダンゴやさんのダンゴ一本百円、高いと思ったが

 食べてみて歯ごたえがあって美味しくてこりゃ百円の価値があると::

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こうして板橋の駅に着きました




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ロマンを求めて歩き出したが、ロマンドどころか 足が痛い~足の裏がジンジンする