利根川の源流を訪ねて | おばあちゃんと 一緒に

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遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。そして2021年80歳になり、娘親子は独立し、また夫と二人暮らしになりました。

この連休、18日19日に 越後山系の丹後山、大水上山」に登ってきました。


夫がビデヲを撮るのを趣味にしていますが、かねてから利根川の

最初の一滴、源流ををビデヲに撮りたいと計画していました。


天候の都合や仕事の都合で

計画して4年目にやっと念願を果たしてきました。


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これが利根川の一滴 源流です。


つまり大水上山の三角雪渓が利根川の源流とされています。


雪渓が解けて流れ静かに音を立てて流れ落ちていました。

これがあの大きな利根川の源かと思うと谷底に下りて触ってみたくなる衝動に駆られました。

50代の頃、越後駒ケ岳から中の岳、大水上山、丹後山を縦走したました。大水上山の雪渓上部で、雪渓から

垂れている一滴を手にしました。あまりの感激でおもわづその一滴を口に含んでしまいました。


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三角雪渓の先端


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コザクラと三角雪渓


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ビデヲを盛んに撮る夫と谷に伸びる利根川の源流の雪渓
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雪渓の上部の解けている所を歩いていると、私の大好きなシラネアオイが

咲いていました。


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大水上山にある「利根川水源」と書かれている碑


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今回の旅でお世話になった丹後山の避難小屋


十字峡から入り急登りを登ってたどり着いた小屋にはだれも居ないかなと思って

入ってみると、なんと先客が、6人、もう休んでいました。


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食べてみたかった夕食です。


高崎市にある  「金華亭のほるもん」 


に自家製の茄子にネギを加えて、ジュージュと焼きました。


ご飯はドライの赤飯とカレーピラフ、


それに、自家製の塩きゅうりに

梅干、これは若狭湾の近くで90歳近くのおばあさんが

自分で梅漬けし売ってたもの。


セロリ、これは私のこんな山行するときの定番のお供です。


漬物がなくてはご飯を食べた気がしない夫に柴漬けときゅうり、これは既製品


酒を飲まない二人は最後に抹茶で乾杯しました。


ホルモンが柔らかで、とても美味しかった。


皆さんが小屋の中で夕食をしていましたが


さすが小屋の中では匂いが迷惑と思い小屋の外でしました。

霧の中、風情たっぷりでした。




夫がビデオ撮りの助手に連れて行くという言う宣言の山旅でした。

夫に日頃の感謝の気持ちで、食料、水は、私に任せてと言いましたが::


丹後の避難小屋は水場がないので、水を背負い上げないといけないのが

一番気がかりでした。


結局水はポカリを含めて3,5リットル背負いました。

夫は水1,5リットル、持ちました。


それでもビデオの機材で夫のリックは私にはびくとも動かないほど重いものでした。


夫の頭の中には今度の撮影のストーリーが出来ていたようでが、私に何の話も

しません。


「オレが此処を歩いてくるから此処まで撮って」と言われても、


夫の思惑どうりに私が撮影できていなくて 


「助手だろう、絵心が大事だよ」  なんていいだしました。


「始めからストーリーを話して」


「何年一緒にいるんだよ、ソノクレーワカルダンベ」


「話さなきゃわかりっこないよ」 



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利根川の源流の撮影を終えて大水上山の三角雪渓を背に記念撮影をしました


夫は充分撮影できて満足した。しかし片登りの急登に疲れた。もう二度とこの山は来たくない。

という感想でした。


私は、ガス 食料、食器、水、を入れた今までにはない重い荷物を背負いました 。疲れました。

     しかし  

利根川の源流をゆっくり眺め、水の音を聞きこれが段々大きくなって太平洋に流れていくかと思うと

感慨深かった。


二人で健康で避難小屋泊まりの山行が出来る幸せを感じた二日間でした