昨日、「30日は台風10号が接近するのでできるだけ在宅勤務とするよう」とのことでしたので、私の所属する課は全員在宅勤務としました。
社内システムには、セキュリティを担保しつつ社外からも接続できる仕組みにしているので、無理に出勤しなくても仕事はできます。
ですが、今日は朝から良い天気。夕方まで強風や雨もなく一日が終わりました。
出勤できたやん!
何とも動きが遅く読めない台風ですね。
台風で被害に遭われた九州の方々への御見舞い申し上げます。
話は変わって、山口・周南「回天の島」へ 第3回・最終回です。
前々回:山口・周南「回天の島」へ ①
「回天記念館」を後にし、回天坂と呼ばれた坂を降りていきます。
この坂の途中から、魚雷見張所跡に繋がる山道があったので、そちらに向かいました。
しかし、この日は雲一つない快晴で、気温も35℃程度はある中での山登り。
汗が吹き出し、途中で足があがらなくなりました。
飲み物は持っていたものの、飲んでも効果はありません。
熱中症気味な感じがしたので、途中であきらめました。
偶然写真に写った山道
写真を撮った覚えもないのですが、偶然山道が写っていました。
ブレブレですが、私の視界もこんな感じでした。
それでも、山道の途中から見た徳山湾は凄く綺麗で、写真を撮ってしまいます。
山道の途中から見た徳山湾
山道の入口まで降りて、少し休憩。
少し体調が良くなってきたので、「回天坂」を下って港に向かいます。
途中で見えてきた大津島小学校のグラウンドに、当時の建物が残っています。
坂の途中に説明版がありました。
大津島小学校のグラウンド
説明版に記載された当時の建物
更に坂を降りていくと、兵舎と整備工場を繋ぐ急な階段がありました。
この階段は、搭乗員の鍛錬にも使用されていたようで、「地獄の階段」とも呼ばれていました。
「地獄の階段」
左手の壁は「回天」に関する設備が外から見えないよう作られたそうで、当時のものが残されています。
左側が当時からの壁
港への道まで降りてきました。
港の近くには、令和元年に建立された「大津島回天神社」が鎮座しています。
「大津島回天神社」
神社の左側には、これも比較的新しい「平和観音」が鎮座しています。
「平和観音」
それぞれに手を合わせた後に港の「馬島待合所」にたどり着くと、エアコンが効いていて生き返りました。
自販機で飲み物を購入し、建物のそばの海を見るとこれまた透き通った凄く綺麗な海でした。
「馬島待合所」そばの透き通った海
待合所の中には、大津島小学校の生徒が作った「大津島わくわくしっとこマップ」が貼られていて、ほっこりしました。
「大津島わくわくしっとこマップ」
帰りの船が来たので乗り込みます。
桟橋では猫さん達がお出迎え。しっかり日陰に陣取っていました。
桟橋の日陰に陣取る猫さん達
帰りに乗るのは「金比羅丸」です。
大津島巡行「金比羅丸」
「金比羅丸」で徳山港へ戻り、徳山駅に向かいます。
JR徳山駅・みなと口
ここから、山陽新幹線・こだま号に乗ります。
700系レールスターの山陽新幹線「こだま」号
いつもは、ここで缶ビールか缶チューハイが登場するのですが、今回はそんな気分にもならず、スマホとコンデジで撮影した写真を見ながら新大阪へ向かいました。
航空機による特別攻撃は、戦闘機等による戦闘目的の訓練の延長線上にありますが、「回天」の操縦訓練は明確に「特攻のための訓練」であることが異なるところで、大津島に操縦訓練に向かうことは、死が約束された訓練を受けることとなります。
また、搭乗した「回天」が故障したとしても、死に直結する兵器です。
このような兵器に若者が搭乗しなければならなかった時代と、その時代を受けて今の日本があることは忘れてはならないと思います。
この土地に置ける80年前の状況と、現在ののどかな町・穏やかできれいな海、この対比が印象に残りました。
馬島港の待合所屋上から見た徳山湾
色々と考えさせられた今回の大津島訪問でしたが、これにて終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
【参考文献】
「回天記念館と人間魚雷「回天」」
周南市地域振興部文化スポーツ課、2019年3月、周南市回天記念館