月島橋の「青い船」(東京旅行二日目・後篇) | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

東京旅行二日目。

雨が小降りになった両国の「横網町公園」を後にし、都営大江戸線の両国駅から勝どき駅へ向かいます。

勝どき駅の南側の出口を出てすぐ、何の変哲もない橋があります。

この橋は「月島橋」という名が付けられています。

 

「月島橋」

 

「横網町公園」へ行く前にも一度寄ったのですが、雨が強かったので一度引き返し、再チャレンジです。

※写真は雨の降り方が異なるものが混ざっています。

橋の上から北西側の見ると、係留されている屋形船などの小型船が目に入ります。

 

月島橋北西側の川面風景

 

ここでのお目当ては、次の写真の中央に写る青い小型船です。

 

月島橋の上から見る「青い船」

 

この船、船としてではなく桟橋として使用されているようで、船の上が荒れていますね。

橋を渡って川縁に行ってみます。

 

船首側から見た「青い船」全景

 

周囲にはしけや他の小型船があるので、全景はよく見えません。

なぜ、私はこの「青い船」をわざわ見に来たのか。

昨年11月に、朝日新聞がネットに上げていた『月島に浮かぶ船、旧海軍の艦船だった? 専門家「可能性高く、貴重」』という記事を見たことからでした。

 

この船は、「屋形船 船宿 金子」の屋形船へ渡る台船(浮桟橋)として係留され長らく使用されていたもので、「金子」はコロナ禍で休業した後に廃業したことから、現在は使用されていないようです。

「金子」の元経営者によると、戦艦「比叡」に搭載されていた「15m内火艇」だった、とのことです。

朝日新聞、たまには良い仕事しますね。

 

係留されている屋形船「第三金子丸」

 

では、「15m内火艇」とはどんな船だったのでしょうか。

ネットの「Weblio辞典」では、次のように書かれています。

『「内火艇(うちびてい)

内燃機関で動く小型艇のこと。
港湾内の連絡に使われたり、艦艇に備え付けられたりするモーターボートのことを指す。
「ないかてい」とも呼ばれる事もある。
かつて、艦艇の動力源は外燃機関(蒸気タービン)が主流であったが、それに対し内燃機関で動いていたことからこの名で呼ばれた。
最近では内燃機関で動作する艦艇自体が増えてきたものの、現代でも名残として内火艇の呼称は使われ続けている。』

 

ということで、今回は戦艦「比叡」に備え付けられていたものではないか、と言われているのも頷けます。

 

「15m内火艇(長官艇)」

(引用:「丸グラフィック・クオータリー No20日本の小艦艇続」雑誌「丸」編集部、1975年4月、潮書房、P.158)

 

写真は鎮守府や艦隊の司令長官専用の艇ですが、他の艦載艇なども船体は同様の設計がなされています。

今回「青い船」が「15m内火艇」であるとされる根拠が下の写真にあります。

 

「青い船」の左舷側のスロープ

 

この船首側と船尾側の段差をつなぐスロープが内火艇の特徴と一致するというのが、「15m内火艇」であるとの根拠になっているようです。

次に船首形状も見てみましょう。

 

「青い船」の船首形状

 

水線部に向けて緩くカーブしている形状は、「内火艇」と酷似しています。

また、船体を見ていくとどうでしょう。

 

「青い船」の船首からスロープにかけての形状を見る

 

「15m内火艇」の写真と比較し、船首からスロープにかけての長さが短いような感じもします。

こちらの方が近いかも。

 

戦艦「伊勢」の艦載艇「11m内火艇」

(引用:「丸グラフィック・クオータリー No20日本の小艦艇続」雑誌「丸」編集部、1975年4月、潮書房、P.161)

 

木俣滋郎氏の著作「残存・帝国艦艇」によると、昭和14年に横浜ヨットで建造され戦艦「比叡」に搭載されてた将官用の15m内火艇が、大東亜戦争開戦後に艦から降ろされ港内用として使用されていたと書かれています。

この内火艇は、昭和15年11月の特別観艦式では天皇陛下が乗船された実績もあったそうです。

 

昭和19年秋には北海道・小樽の警備府司令官用として使用されていたようで、戦後は一時期進駐軍に接収されレクリエーション用として使用された後、洞爺湖観光汽船に売却され改装のうえ湖上遊覧船「はやぶさ」として就航します。

 

洞爺湖観光汽船・湖上遊覧船「はやぶさ」

(引用:「残存・帝国艦艇」木俣滋郎、1972年12月、図書出版社、P.382)

 

「はやぶさ」は、改装時に主機を三菱製4気筒ディーゼル機関に換装し、客席も拡大され、遊覧船として活躍しましたが、老朽化により昭和40年頃には、既に使用されていなかったとされています。

この「はやぶさ」が、廃船後に買い取られ、月島橋の屋形船への浮桟橋として使用されていた、とすると「金子」の元経営者の方の証言も、あながち間違っていないかもしれません。

 

そして、「青い船」が帝国海軍の「15m内火艇」だったとすると、前日に訪れた「宗谷」は水上に浮いている唯一の帝国海軍艦艇ではなく、この船も帝国海軍艦艇(正確には「雑役船」)であるかもしれません。

 

月島橋の袂には、「大震火災横死追悼之塔」という碑がありました。

月島周辺も関東大震災の火災で大きな被害を受けた地域であることが分かります。

 

「大震火災横死追悼之塔」

 

直前に訪れた「東京都慰霊堂」を思い浮かべながら、手を合わせました。

 

わざわざ大阪から新幹線を使って東京まで行ったにもかかわらず、こんなスクラップのような小船を見に行って喜んでいるのは、よっぽど物好きな奴だなぁ、と自分に突っ込みながら月島橋を後に、東京駅に向かいます。

 

東京駅では、TOMICAショップで前日に発売された「ドリームトミカ ジブリがいっぱい10 千と千尋の神隠し カオナシ」をゲット!

ちゃんと、盥のしたに駒があり走らせることができますよ。

 

「カオナシ」のトミカ

 

そのシュールな姿に満足し、またこんな土産を買って喜んでいる自分に呆れながらも、12時半過ぎの新幹線で東京を後にしました。

 

ということで、東京に行ったにも拘らず、多くの方々が訪れるような場所に一切行かない事故満足感満載の1泊2日の旅行記を終わります。

 

【参考文献】

 Wikipedia および