両国・二度の東京復興の記憶(東京旅行二日目・前篇) | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今回は東京旅行2日目の話となります。

実は、1日目の「船の科学館」の後は、靖国神社か神田・神保町のとぢらか1箇所にしておこうと思っていたのです。

ですが、翌日が本降りの雨になるようなので、屋外を歩く2カ所纏めて回ってしまったことから、ホテルに着いてからも翌日行く場所が決まってませんでした。

 

雨が降ってもあまり影響のない、駅に近いハコモノを探します。

まずは、メジャーな「江戸東京博物館」を調べてみましたが、現在休館中。

次は、江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」を調べたところ、「東京メトロ半蔵門線と都営地下鉄新宿線の住吉駅および都営地下鉄新宿線の西大島駅ですが、いずれも下車後徒歩で約20分かかります。」とのこと。

雨の中20分歩くのも…、と思い断念。

 

「東京大空襲・戦災資料センター」(引用:Wikipedia)

(Nick-D - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76464701による)

 

つらつらと東京の下町周辺の地図を見ていると、都営地下鉄の両国駅の近くの、とある施設が目に留まりました。

 

ホテルで今一つ寝付けず、朝7時過ぎに出発し、りんかい線の大井町駅から終点の新木場駅へ。

新木場駅からは東京メトロ有楽町線に乗り換え月島駅へ。

実はここで一度寄り道をして都営大江戸線に乗り換え勝どき駅に行ったのですが、結構雨が降っていたので、再チャレンジすることにして折り返します。

 

大江戸線の両国駅に到着し、開館時間まで少々あったのでコンビニでおにぎりを購入し軽い朝食とします。

 

しばらくして9時になったので両国駅から北に歩いて数分、目的地である「横網町公園」に向かいます。

この公園にある施設は、こんな建物でした。

 

「東京都復興記念館」

 

横網町公園は、明治23年に陸軍被服廠が設置された場所にあります。

後に陸軍被服本廠と改称され、大正8年に王子区(現・北区)赤羽台に被服本廠が移転すると、跡地は逓信省と東京市に払い下げられ、動公園や学校が整備される予定が立てられていました。

 

公園の造成中であった大正12年9月1日、11時58分に発生したマグニチュード7.9の大地震の発生時に、「被服廠跡」は関東大震災で被災した市民の避難所となります。

 

避難したのも束の間、地震により発生した火災は避難してきた約4万人の市民が集まる「被服廠跡」にも迫り、避難者の持ち込んだ家財道具に燃え移ります。

そして、「被服廠跡」の火災は大きくなり「火災旋風」が発生、1時間で避難者の約95%が犠牲となる大惨事の舞台となりました。

 

「旋風」徳永柳州

(引用:「忘れない。伝えたい。」2007年3月、東京都慰霊協会、P.10 )

 

東京市では、関東大震災の犠牲者5.8万名の霊を供養し、さらに東京を復興させた大事業をを記念するために、「震災記念堂(現・東京都慰霊堂)」と「震災復興記念館(現・東京都復興記念館)」を、「被服廠跡」の一角に造成された「横網町公園」の中核として建設し、昭和5年から翌6年にかけて竣工します。

 

「震災記念堂」と「震災復興記念館」は奇跡的に戦災を受けず、昭和19年から翌20年にかけての空襲などによる戦災犠牲者10.5万名の霊が昭和26年に祀られるとともに、現在の名称に変更されています。

 

「東京都復興記念館」は、1階に関東大震災の被害と復興の様子が、2階に東京空襲による被害と復興の様子が、それぞれ展示されているほか、2階の中央展示室には関東大震災の復興に関する模型等が展示されています。

 

【1階・関東大震災の展示】

大正12年9月1日・宮城前広場の避難状況の大パネル

 

関東大震災を記録した竹久夢二のパネル

 

被災した展示物

 

【2階・戦災の展示】

戦災を記録した写真パネル

 

防空壕で焼けた日本刀

 

【2階・中央展示室の展示】

「上野公園より見たる灰燼の帝都」徳永柳洲

 

関東大震災・被災状況の模型

 

「東京都復興記念館」は、展示物には詳しい解説が付されており、大型の写真パネルや絵画、模型や、被害に遭った実物など、非常に丁寧な展示で思わず見入ってしまい、それほど広い建物ではないですが、あっという間に1時間が経ってしまいました。

そして、この公園の中心となる建物である「東京都慰霊堂」に向かいます。

 

正面から見た東京都慰霊堂

 

中に入ると、キリスト教の教会を思わせる広い講堂があります。

 

東京都慰霊堂の堂内

 

HPによると『外観は神社仏閣様式であるものの、納骨室のある三重塔は中国、インド風の様式を取り入れ、平面的には教会で見られるバシリカ様式(内部に列柱を設け空間を分ける)とし、内部の壁や天井にはアラベスク的紋様も採用されています。』とされており、不思議な感覚を覚える建物です。

 

また、ここにも震災の絵画と戦災の写真パネルが展示されています。

 

堂内に展示されている絵画「十二階の崩壊」

 

中の祭壇で焼香したのち、裏に回ると三重塔が見えてきます。

 

東京都慰霊堂・後方の三重塔

 

この三重塔は、震災・戦災合わせて約16.3万柱の納骨堂になっています。

 

二度にわたり灰燼に帰した際の犠牲者の慰霊と、その都度復興を遂げた巨大都市「東京」の歴史を刻んだ場所・施設でありますが、その内容からあまりメジャーではありません。

それでも、この歴史を伝えるために真摯に取り組む東京都の姿勢がみられる施設でした。

 

昨年は「関東大震災から100年」ということで、テレビでも特集番組が組まれていたので、いくつか見ましたが、やはり「その場所でその時の物」を見た印象は強烈で、何とも言えない厳かな雰囲気に包まれました。

 

この後、再び都営大江戸線に乗り「勝どき」駅へ向かいますが、この後は次回とします。

 

東京都慰霊堂・内部入口上に設置された照明の「マモリュウ」

 

【参考文献】

 「忘れない。伝えたい。」2007年3月、東京都慰霊協会

 「東京都慰霊堂 誕生秘話」平成28年東京都復興記念館秋季特別展パンフレット

 

【Web】

 HP「都立横網町公園 ー震災、戦災の記憶ー」