最近、通勤時にこんな書籍を読んでいます。
「あゝ復員船 引揚げの哀歌と掃海の秘訣」珊瑚会・編、1991年12月、騒人社
お題目の如く、内容は戦後の復員輸送と掃海作業に従事した方々の、当時の回想記がメインとなっています。
まだ半分ほどしか進んでいませんが、その中に終戦直前から復員輸送にかけて一等駆逐艦「欅」に主計長として乗艦された八木弘氏の手記がありました。
「欅」という艦名に何か引っかかりを感じてネットを検索すると、「ゴジラ-1.0」に登場していたではないですか。
「海神作戦」で、一等駆逐艦「雪風」「響」「夕風」とともにゴジラと対決する駆逐艦として登場しています。
海神作戦に向かう4隻の駆逐艦・右手前が一等駆逐艦「欅」
(引用:YouTube「Godzilla Minus One Official Trailer 2 2023」、キャプチャ)
この「欅」、どんな経歴の艦だったのか、少々調べてみます。
一等駆逐艦「欅」は、「松」型(丁型)駆逐艦の18番艦(仮称艦名「第5508号艦」)として横須賀海軍工廠で昭和19年6月に起工され、同年9月に進水、同年12月に竣工しています。
【要目(新造時の「松」)】
基準排水量:1,262トン、全長100.0m、水線幅:9.4m、吃水:3.3m
機関:艦本式オール・ギアードタービン×2、推進軸:2軸
主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×2
出力:19,000馬力、速力:27.8ノット、乗員:211名
兵装:12.7cm40口径連装高角砲×1、12.7cm40口径単装高角砲×1、
25mm単装機銃×8、61cm4連装魚雷発射管×1
※引用:世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」別冊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P.128
一等駆逐艦「欅」(引用:Wikipedia)
(Unknown - 80-G-351888, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=96733932による)
「欅」の竣工時は、既に比島沖海戦が終わり帝国海軍が組織的艦隊行動のできる状況ではなくなっており、瀬戸内海で訓練を行ったのち昭和20年3月には第一会場護衛隊に編入されます。
3月4日にはフィリピン方面へ向かうヒ99船団の護衛に就く予定でしたが、戦況の悪化により船団の出港が取りやめられたことから、実現していません。
その後、新編成の第五十三駆逐隊に編入され、さらに昭和20年5月からは大阪警備府部隊の指揮下に移り神戸に移動します。
昭和20年7月には特殊警備艦となり、岸壁に横付けのまま砲台として使用され、そのまま無傷で終戦を迎えます。
ここからは「あゝ復員船」に、終戦前から一貫して「欅」に乗務されていた八木主計長の手記に寄ります。
昭和20年10月5日に除籍された後、特別輸送艦となり復員輸送に従事することになります。
呉で武装解除の後、「欅」は昭和21年10月にはフィリピン・マニラに向買います。
その後も、コロ島(葫蘆島)、上海、高雄、汕頭、グアム等に対して計15回の輸送任務に従事します。
昭和21年7月のコロ島からの引揚輸送では、コレラ患者が発生したことから鹿児島の港を前に10日間の海上隔離に遭っています。
鹿児島に入港した特別輸送艦「欅」
(引用:「終戦と帝国艦艇」福井静夫、2011年1月、光人社、P.102)
そして、昭和21年10月15日に浦賀港を出港、父島を経て台風に遭遇し最大40度の傾斜を乗り越え、21日にグアム島に入港します。
グアム島では400名の引揚者を乗せ23日に出港しますが、再び台風の接近により近くのパガン島に避難します。
ところが、このパガン島で暗礁に乗り上げ推進器を破損してしまいます。
アメリカ合衆国自治領(北マリアナ諸島)パガン島(引用:Wikipedia)
(Norm Banks, U.S. Geological Survey - http://www.volcano.si.edu/world/volcano.cfm?vnum=0804-17=&volpage=photos&photo=021027,
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2760618による)
「欅」は速力9ノットで帰国を目指し、27日に浦賀へ無事到着しますが、これが最後の復員輸送となり、12月3日には保管艦に指定され12月25日に八木氏も退艦していきます。
「欅」は昭和22年7月4日に横須賀で米国海軍に引き渡されますが、この時には破損した推進器は修理されていなかったと思われます。
そして、10月29日に金華山沖(一説には房総沖)で米軍機の訓練爆撃の実艦的となり沈んでいきました。
昭和58年6月には、当時の艦長以下乗員44名により、宮城・松島において保管されていた艦内神社の御神体と軍艦旗を用いて慰霊式が行われています。
映画「ゴジラ-1.0」では、海神作戦に参加する駆逐艦の1隻としてスポットを浴びましたが、実際の「欅」は、資材もなく十分に整備されていない中、復員輸送という舞台で最も輝いた時を経て、竣工からわずか2年半余りの生涯を閉じています。
大東亜戦争末期に量産された「雑木林」駆逐艦(「松」型一等駆逐艦を揶揄した表現)の1隻として忘れられようとしていた「欅」。
それが、映画に描かれたことで、「欅」という駆逐艦があったこと、また戦後に生き残っていたことが世に知られることとなりました。
メディアの影響力、恐るべし、ですね。
海神作戦に向かう一等駆逐艦「欅」を拡大
【参考文献】
Wikipedia および