大東亜戦争における米国海軍の台風被害 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

令和4年台風第14号が午後7時に鹿児島市付近に上陸しました。

中心気圧935hPa、大型で非常に強い台風で、記録的な被害が発生する可能性があります。

 

令和4年台風第14号の9月18日18時現在の位置と進路予測

(引用:HP「気象庁 台風情報」)

 

暴風雨となっている九州・四国地方の方々に被害が出ませんよう祈ります。

私が住んでいる関西を通過するのは、明日夜になるかと思います。色々と備えておかないといけないですね。

 

月初のブログでは、台風で失われた特設運送船「極洋丸」を取り上げました(昭和18年9月・台風に敗れた特設運送船「極洋丸」)。

 

大東亜戦争中に台風で翻弄されたのは、帝国陸海軍のみではなく米国海軍でも大きな被害を出したことがあります。

 

この台風は「コブラ台風」と呼ばれ、昭和19年12月14日にミクロネシア付近で発生し、西に進みフィリピンに近付きます。

 

「コブラ台風」の進路(引用:Wikipedia)

(Supportstorm - Created by Supportstorm using WikiProject Tropical cyclones/Tracks. The background image is from NASA. Tracking data is from Historical weather maps of the northern hemisphere daily at 1300 UTC. 1899-1971., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31064775による)

 

一方、米国海軍ウィリアム・ハルゼー大将指揮の第38任務部隊は、昭和19年10月下旬に行われた一連のレイテ沖海戦で帝国海軍を壊滅させた後、ミンドロ島上陸作戦の掩護のため同年12月14日~16日にかけてルソン島空襲を行います。

そして、12月19日に予定されていたルソン島攻撃のため、17日から18日にかけてフィリピン東方沖に一時後退、消耗した弾薬や燃料を補給することとしていました。

 

当時の米国海軍では、既に実用化されていたレーダーを使って台風の進路予測をしていましたが、この時期としては普通の熱帯低気圧で、さらに17日中に北へ進路を変えて艦隊から離れるだろうと予測していました。

 

米国海軍がレーダーで捉えた「コブラ台風」(引用:Wikipedia)

(U.S. Navy - NOAA Photo Library, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1527874による)

 

ところが、予測に反して「コブラ台風」は北西に進路を取ったままで、発達しながら第38任務部隊が補給を予定していたフィリピン東方沖に進み、ハルゼーの艦隊は台風に直撃されることになります。

 

この時、艦隊に属していた駆逐艦などの小型艦では、艦載機の発艦などで高速で航行する航空母艦に随伴するために燃料消費が激しく、燃料タンクの残量が少なくなっている艦が多数あり、これらの艦艇は重心が上がってしまい、強い風により船体が大きく傾く可能性がありました。

 

ハルゼー大将は小型艦への給油を急ぎますが、波浪が激しく給油管が外れてしまい十分な燃料補給ができず、多くの艦が燃料不足・残量の少ないの燃料タンクにより重心が高く不安定な状態で台風の直撃を受ける形になってしまいました。

 

コブラ台風で大きく動揺する航空母艦「ラングレー」(引用:Wikipedia)

(Naval Historical Center cropped, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1528045による)

 

「コブラ台風」の直撃を受けたハルゼーの艦隊では、駆逐艦3隻が沈没、航空母艦3隻・衛航空母艦2隻などが大きな被害を受けています。

中でも、「インディペンデンス」型の小型航空母艦「モントレー」「サン・ジャシント」、商船型の船体を持つさらに小型な護衛航空母艦の「アルタマハ」、「ケープ・エスペランス」は、船体が大きく動揺したことで飛行甲板に繋止中および格納庫内の飛行機が相次いで固縛を脱して衝突破損し、漏れたガソリンに引火して火災が発生、消火活動と燃える飛行機の艦外投棄に追われることとなってしまいます。

 

台風の波浪により大きく傾く航空母艦「カウペンス」の飛行甲板

(引用:Wikipedia)

(US Navy - USS Cowpens (CVL-25) - The Mighty MooCopyright Information, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3656661による)

 

また、駆逐艦「スペンス」は12月18日11時20分頃、「ハル」は12時頃、「モナハン」は12時30分頃、波浪に耐え切れず転覆し沈没していきました。

 

台風による波浪により船体のほどんどを海中に没して進む米海軍駆逐艦

(引用:「写真 太平洋戦争 第4巻」雑誌「丸」編集部、1989年3月、光人社、P.233)

 

この「コブラ台風」は一時中心気圧が907mbarにまで発展して「猛烈な台風」となり、ハルゼー大将の第38任務部隊に対して、次に示す大きな被害をもたらしました。

沈没:駆逐艦「スペンス」「ハル」「モナハン」

損傷:航空母艦「モントレー」「カウペンス」「サン・ジャシント」

    護衛航空母艦「ケープ・エスペランス」「アルタマハ」

    軽巡洋艦「マイアミ」

    駆逐艦「デューイ」「エールウィン」「ヒコックス」

軽微な損傷:

    戦艦「アイオワ」

    航空母艦「エセックス」「タイコンデロガ」「ラングレー」「カボット」

    護衛航空母艦「ネヘンタ・ベイ」「クェゼリン」

    重巡洋艦「バルチモア」

    駆逐艦「ブキャナン」「ダイソン」「マドックス」「ベンハム」

    護衛駆逐艦「メルヴィン・R・ナウマン」「タバーラー」「ウォーターマン」

    補給艦「ナンタハラ」

    弾薬艦「ジカリーリャ」「シャスタ」

喪失又は修理不能の航空機:

    艦載機127機、水偵19機

人的被害:790名の将兵が殉職または行方不明

 

これらの損害は、第一次ソロモン海戦以降で米国海軍が被った損害では最大のもので、レイテ沖海戦での損害よりも大きなものでした。

 

このため、ハルゼー大将は12月19日から予定されていたルソン島攻撃の中止を余儀なくされ、艦隊をウルシー環礁へ後退させ体制を立て直す必要がありました。

 

この一連の状況から、「コブラ台風」は「ハルゼー台風」とも呼ばれています。

また、ハーマン・ウォークの著作で世界的ベストセラーとなりピュリッツア賞を受賞した小説と、これを映画化しハンフリー・ボガートが主演した『ケイン号の叛乱』は、この台風に遭遇する駆逐艦がモチーフとなっています。

 

「ケイン号の叛乱」のワンカット・主演のハンフリー・ボガード(引用:Wikipedia)

(Columbia Pictures - eBayarchive, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95678674による)

 

この台風を契機として米国海軍は太平洋地域に観測所を設置、これが後に合同台風警報センターへと発展しました。

 

猛烈な台風は、いくら準備しても人々の想像を絶する災害となる場合があります。大阪で記憶に残る所では、平成30年9月の台風第21号が関西を縦断した際に関西国際空港が水没する被害もありました。

改めて、大きな被害が出ませんように。

合わせて我が家にも被害が出ませんように。

 

台風で水没した関西空港駅へ向かう鉄路

(引用:HP「新関西空港株式会社」

 台風21号災害を踏まえた新関西国際空港㈱の今後の対応について)

 

【参考文献】

 Wikipedia および

 

 

【Web】

 HP「気象庁 台風情報」

 HP「新関西空港株式会社」