本邦唯一の原子力船「むつ」の歴史と現在 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は、平日ですが仕事は休みです。前の職場では考えられない普通に平日に休みが取れる環境になりました。ありがたや。

 

前回は、戦艦「陸奥」について書きましたが、「むつ」と言うと私より少し前の世代の方々には有名な船がありました。原子力船の「むつ」です。

 

原子力船「むつ」は、軍艦を除くと世界で4隻目の原子力を動力に使用した船で、昭和38年に観測船として計画され、建造に合わせて設立された「日本原子力船開発事業団」により発注され、昭和43年11月に石川島播磨重工業・東京第2工場で起工されます。

進水は昭和44年6月で、進水式には当時の皇太子夫妻の出席を仰ぎ挙行されています。

 

【要目】

 総トン数:8,242トン、全長:130.46m、全幅:19.0m、深さ:13.2m、吃水:6.9m 

 主機;蒸気タービン×1、主缶:加圧軽水冷却型原子炉×1

 最高出力:10,000馬力、最大速力:17.7ノット、乗組員:90名

 設備:衝突予備装置、海事衛星航法装置

 船体構造:耐座礁・耐衝突・耐浸水構造
 ※引用:Wikipedia
 

 

原子力船「むつ」

(引用:「世界の船'76」1976年3月、朝日新聞社、P.110)

 

昭和47年9月には原子炉へ核燃料が装荷され、昭和49年に出力上昇試験が太平洋上で開始され、8月に初めて臨界に達します。

 

 

昭和44年8月・原子炉の搭載作業中の「むつ」

(引用:「船の科学 No22-9」1969年9月、船舶技術協会、P.41)

 

直後の昭和49年9月1日の試験航行中に放射線漏れが発生します。実際には原子炉内の高速中性子が遮蔽物の隙間からわずかに漏れた程度でしたが、マスコミによって大きく報道されたことから、母港である青森県むつ市の大湊港に引き返します。

 

ところが、風評被害を恐れる地元むつ市の漁業関係者を中心とする市民が、放射線漏れを起こした「むつ」の帰港を拒否、洋上に漂白せざるを得なくなります。

 

昭和53年10月になって、ようやく修理されることとなり長崎県佐世保市への回航され、昭和55年8月から昭和57年6月末にかけて放射線の遮蔽性の改修工事が行われます。

 

佐世保での修理が決定した裏には、当時経営不振に陥っていた佐世保重工業の救済の意味合いがありましたが、長崎県漁連や労働団体は反対し、入港する「むつ」を抗議船団が取り囲む事態が発生しました。

 

改装工事を終え佐世保を出港する「むつ」

(引用:「青森研究開発センター」原子力船「むつ」)

 

 

修理を終えた「むつ」は、むつ市の陸奥湾側にある大湊でなく、下北半島の津軽海峡側の関根浜港をに新しい母港とすることになり、昭和63年1月に新母港へ入港します。

 

この間、船主の原子力船研究開発事業団は日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に統合されています。

 

平成2年、関根浜港岸壁での低出力運転の試験ののち、ついに試験航海を再開し、出力上昇試験と海上公試を実施します。

結果、平成3年2月に船舶と原子炉について合格証を獲得し、平成3年2月から平成4年2月にかけての実験航海では、原子力船の海洋の種々の条件の下で振動・動揺・負荷変動等が原子炉に与える影響などのデータを得るため、静穏海域、通常海域、高温海域及び荒海域において、4回にわたる洋上実験航海と岸壁係留状態での試験を行ない、多くのデータを取得しています。

 

洋上試験を行う改装後の「むつ」

(引用:「日本の船 汽船編」山田廸生、1997年7月、船の科学館、P.145)

 

そして、この実験が「むつ」のj花道となり、平成5年7月までに使用済み核燃料が取り出され、平成7年6月に原子炉室を撤去、海洋科学技術センターに船体が引き渡されます。

 

原子炉撤去のため船体が切断される「むつ」

(引用:「青森研究開発センター」原子力船「むつ」)

 

船体はその後、機関をディーゼル機関に換装して、海洋科学技術センターの後身である国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の海洋地球研究船「みらい」として北極観測などに活用されています。

【要目】

 総トン数:8,706トン(国際総トン)、全長:128.58m、型幅:19.00m、型深さ:10.50m、吃水:6.50m 

 主機;ディーゼル機関×4、電動機×2(CODLOD)、推進軸:2軸

 最高出力:9,860馬力、最大速力:18.4ノット、航海速力:16.0ノット、乗組員:80名

 

 船体構造:耐座礁・耐衝突・耐浸水構造
 ※引用:Wikipedia
 
 

海洋地球研究船「みらい」(引用:Wikipedia)

(oomamusi, パブリック・ドメイン, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1372191による)

 

「みらい」は、平成23年3月末には福島第一原子力発電所の被災による海洋汚染を調べるため福島県沖に派遣され、海水を採取しています。元原子力船が原子力発電所の被災による影響調査を行った、というのは皮肉めいていますね。

 

文部科学省は「みらい」の後継船として砕氷機能を有する北極観測船を建造する方針を表明しており、平成30年度から5年間をかけて設計・建造が行われる予定で、この観測船の竣工時には「みらい」は引退する予定となっています。

 

設計の際、「むつ」は建造当時の大型タンカーが船腹に全速力で衝突しても、タンカーの船首が原子炉にまで到しないほどの強度設計がなされており、また、「むつ」が万一沈没した場合には深海の圧力で原子炉格納容器が圧壊することがないよう、海水の圧力で早期に格納容器に海水を導入するよう設計されていました。

 

「むつ」から撤去された操舵室・制御室、および原子炉室は現存しており、むつ市の「むつ科学技術館」で展示されています。稼働実績がある原子炉を一般公開しているのは世界唯一で、見学は鉛ガラス越しとなっているそうです。

 

原子力船「むつ」をモチーフとした「むつ科学技術館」

(引用:「青森研究開発センター」原子力船「むつ」)

 

公開されている「むつ」の原子炉

(引用:「青森研究開発センター」原子力船「むつ」)

 

試運転時の軽微な放射能漏れを大々的にマスコミが取り上げたことから、「原子力船は危険」との印象を国民に植え付けてしまい、日本における「むつ」以降の原子力船の研究・開発は頓挫し、その後の開発は行われていません。