昭和19年6月19日・新鋭空母「大鳳」マリアナ沖に散る | 艦艇・船舶つれづれ

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昭和19年の今日、6月19日は帝国海軍の「あ号作戦」の発動に伴い、「マリアナ沖海戦」が行なわれた日です。

この海戦で、帝国海軍は航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い、その後帝国海軍の機動部隊は組織的に米国海軍の機動部隊と対決することができなくなります。

また、この海戦で失われた帝国海軍の艦艇は航空母艦のみ(作戦全体では潜水艦の戦没もあり)であり、ミッドウェー海戦に続き戦争における主役が完全に航空機と機動部隊に移ったことを象徴するような海戦でした。

 

マリアナ沖海戦で米海軍機の攻撃を受ける航空母艦「瑞鶴」(引用:Wikipedia)

(不明 - U.S. Navy photo 80-G-238025, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63189による)

 

この中で「飛鷹」については、以前ブログで取りあげました(全景写真のない航空母艦「飛鷹」)。今回は、新鋭航空母艦として、初陣で戦没した「大鳳」を取り上げてみます。

 

航空母艦「大鳳」は、昭和14年度の海軍軍備充実計画(通称マル四計画)で建造が計画された唯一の航空母艦で、同じ計画には後の「信濃」と「大和」型4番艦の2隻の戦艦があり、この時期の帝国海軍が「戦艦」による艦隊決戦を重視していたことが現れています。

 

戦艦「信濃」の同型艦「武蔵」(引用:Wikipedia)

(Lieutenant Tobei Shiraishi - U.S. Navy photo NH 63473, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11080714による)

 

「大鳳」の設計原案である「W102」をまとめるに当たり、航空母艦の最大の弱点である「飛行甲板に1発でも爆弾が命中すると機能を失い、爆弾が飛行甲板を貫通して爆発すると致命傷となりうる」部分の改善を目指したものとされました。

 

また、昭和13年の大蔵省説明資料にある初期案では、新型航空母艦が単独で前方に進出し味方攻撃隊の中継基地になるという構想があり、敵艦隊との水上戦闘を考慮し15.5cm砲6門を搭載する案であったという説もあります。

 

「大鳳」は、昭和16年7月に仮称艦名「第130号艦」として神戸の川崎重工業艦船工場で起工されますが、大東亜戦争の勃発により昭和18年秋頃に予定されていた進水を大幅に繰り上げ、昭和18年4月に進水、昭和19年3月に竣工します。

【要目】

 基準排水量:29,300トン、全長260.6m、最大幅:27.7m、平均吃水:9.67m

 機関:艦本式オール・ギヤード・タービン×4、缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)×8、推進軸:4軸

 出力:160,000馬力、速力:33.3ノット、乗員:1,649名

 兵装:10cm65口径連装高角砲×6、25mm3連装機銃×22

 搭載機:常用52機、補用1機

 ※出典:世界の艦船「日本航空母艦史」増刊第40集、No.481、1994年5月、海人社、P.60

 

航空母艦「大鳳」(引用:Wikipedia)

(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47939)

 

「大鳳」の最大の特徴は、設計時に考慮された飛行甲板の装甲で、高度700mからの500kg急降下爆撃に耐えるものとされ、20mmのDS鋼板上に75mmのCNC甲板を装着した装甲を飛行甲板の1/2の長さに装備しています。このため、これまで大型航空母艦では3基搭載されていた昇降機は、飛行甲板装甲の前後に2基とされました。

 

船体は「翔鶴」型航空母艦を踏襲していますが、飛行甲板の装甲化による重心上昇を防ぎ復原力を確保するために艦内の甲板1層減らされたことから、艦内の容積は「翔鶴」型より小さく海面から飛行甲板までの高さも中型の航空母艦である「飛龍」型に近い低いものでした。

 

また、「龍驤」以降の航空母艦が煙突を右舷下方へ向けて設置されていましたが、「飛鷹」型航空母艦で採用されたものと同様に飛行甲板右舷に外舷側へ傾斜させた形で設置し、艦橋と一体化させた巨大な構造物となっています。この煙突と一体の艦橋構造物は、元々「大鳳」に採用するために研究されたものでした。

ただし、当初の計画は艦首方向からの逆着艦に対応させるため、「赤城」「飛龍」と同じ左舷中央へ設置する案があったとされています。

航空母艦「加賀」の煙突

(引用:「写真 日本の軍艦 第3巻 空母1」1989年9月、光人社、P.118)

 

搭載機は、当初は十七試艦上戦闘機(後の「烈風」)常用18機・補用1機、十六試艦攻(後の「流星」)常用36機、十七試艦上偵察機(彩雲)常用6機の計常用60機・補用1機(艦攻7機・艦偵6機は露天繋止)とされていましたが、「あ」号作戦に出撃する際には零式艦戦21機、艦爆「彗星」17機、九九式艦爆3機、艦攻「天山」15機、二式艦偵3機の計59機を搭載していました。

 

艦上攻撃機「流星」(引用:Wikipedia)

(不明 - en:Image:Aichi B7A Ryusei.jpg from www.ijnafpics.com, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=974578による)

 

竣工後の「大鳳」は、昭和19年3に兵員輸送を兼ねて艦載機である零式艦戦・「彗星」「天山」のほか、帝国陸軍の司令部偵察機、夜間戦闘機「月光」、零式水上観測機、零式水上偵察機の計64機を搭載し一等駆逐艦「初月」「若月」に護衛され呉を出航します。

 

昭和19年4月5日にシンガポールに到着しますが、入港直前に舵取装置が故障し、さらに配電盤火災となり一時操舵不能となる事故を起こしています。

「月光」や水偵などの航空機と兵員を陸揚げした後に現・インドネシアのリンガ泊地に回航され、4月15日より小沢治三郎司令長官率いる第一機動艦隊の旗艦となり、「翔鶴」「瑞鶴」と共に着陸訓練を行います。

 

昭和19年5月11日にはリンガ泊地を離れ、内地からの第二航空戦隊の「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」、第三航空戦隊の「千歳」「千代田」「瑞鳳」と合流するためにフィリピン・ミンダナオ島のタウイタウイ泊地へ移動します。

 

タウイタウイ泊地に停泊中の航空母艦「大鳳」

(引用:「写真 日本の軍艦 第3巻 空母1」1989年9月、光人社、P.258)

 

そして昭和19年6月15日、フィリピン中部のギマラスで補給を受けた後、「あ号作戦」発動に伴いマリアナ沖に向かって出撃します。

昭和19年6月19日午前6時30分、二等巡洋艦「能代」の水偵が米国海軍機動部隊を発見し、午前7時45分より「大鳳」を含む第一航空戦隊は128機の攻撃隊を出撃させます。

 

「あ号作戦」により出撃・サンベルナルジノ海峡を進第一・第二航空戦隊

赤丸内が航空母艦「大鳳」

(引用:「写真 日本の軍艦 第3巻 空母1」1989年9月、光人社、P.260)

 

しかし、第一航空戦隊は米国海軍の潜水艦の「アルバコア(SS-218)」に追跡されており、魚雷6本による攻撃を受けます。これを発見した「彗星」1機が魚雷を阻止しようと海に突入します。

「大鳳」の見張員も雷跡を発見し回避運動をしたものの、午前8時10分に魚雷1本が右舷前部に命中してしまいます。

 

米国海軍・潜水艦「アルバコア(SS-218)」(引用:Wikipedia)

(US gov - US gov, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1634353による)

 

「大鳳」は被雷により前部がやや沈下し速力は26ノットとなったものの、左舷後部への注水によって艦の傾きは補正されます。しかし、揮発油タンク直上の前部昇降機が零戦を乗せたまま前側に傾いて停止してしまいます。

 

応急処置用の丸太などにより前部昇降機の穴をふさいだ「大鳳」は、搭載していた魚雷や燃料を降ろして軽くした零戦1機、「彗星」1機、「天山」4~5機を発艦させ「瑞鶴」に移動させ、午前10時30分には第一航空戦隊から第二次攻撃隊が発進します。

 

艦上爆撃機「彗星」(引用:Wikipedia)

(US gov - US gov, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1634353による)

 

ところが、魚雷命中の衝撃で破壊された揮発油タンクから漏出したガソリンが、浸水によって格納庫にまで押し上げられ、気化したガソリンが艦内に充満していきます。

このため、格納庫の側面の扉を開放し、舷窓や格納庫の側壁の鋼鈑に穴を開け、後部昇降機を降下させるなどの換気作業を行いながらも、帰艦する第一次攻撃隊の収容作業を行います。

 

なお、第一次攻撃隊のうち「大鳳」から発艦して戻ってきた艦載機はわずかに零戦3機、二式艦偵察1機のみでした。

この時期の航空機搭乗員は練度が著しく低下しており、米海軍機動部隊の戦闘機と対空砲火により次々に撃墜され、「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されてしまいます。

 

 

「マリアナ沖海戦」で米国海軍機動部隊の対空砲火によって撃墜された日本軍機(引用:Wikipedia)

(USN (photo 80-G-238363) - This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520650., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=53283による)

 

そして、米海軍機動部隊を発見できず帰艦した第二次攻撃隊の最初の着艦機が胴体着陸した直後、午後2時32分に気化したガソリンに引火し「大鳳」は大爆発を起こします。

装甲を張った飛行甲板が飴板のように盛り上がり、また火柱が側面の隔壁を突き破り、艦載機や乗組員が吹き飛ばされ、前部飛行甲板は瞬時に炎に包まれます。

 

この爆発により「大鳳」艦内の連絡が途絶し、消火活動は困難を極めます。そして急速に速度を落とし停止します。

その後も艦内で小爆発が連続し、午後4時28分に「大鳳」は左舷に大きく傾斜し沈没していきます。

「大鳳」の沈没により、乗員775名が犠牲となりました。

 

昭和49年8月に京都府舞鶴市の海軍墓地に「航空母艦大鳳 戦没者之碑」が建立されています。

なお、舞鶴は「大鳳」の母港でしたが、竣工から沈没まで3ヵ月の生涯のなかで舞鶴に寄港することはありませんでした。

 

舞鶴海軍墓地の「航空母艦大鳳 戦没者之碑」

 

「大鳳」は、大東亜戦争の戦局が悪化した時期に竣工し、期待された飛行甲板装甲を持つ重防御の新鋭航空母艦でしたが、竣工後3ヵ月余りで1発の魚雷から気化した揮発油に引火し沈没してしまいました。「大鳳」の生涯は、その後の戦局を暗示するかのようでした。

 

またその最期は、昭和17年5月の珊瑚海海戦において損傷したものの、応急修理が完了し艦載機のの着艦・補給・発艦を開始した際に艦内に充満していた気化ガソリンに引火・大爆発を起こして沈没した米海軍航空母艦「レキシントン(CV-2)」の最期とよく似ており、因縁のようなものを感じます。

その時の「レキシントン」の写真を見ると、その環境構造物や煙突の位置や、艦首の形も似ている「大鳳」の最期とダブって見えてしまいます。

 

珊瑚海海戦で大爆発を起こし沈没に瀕した米海軍航空母艦「レキシントン(CV-2)」(引用:Wikipedia)

(不明 - U.S. Navy photo NH 51382, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=91846による)

 

【参考文献】

Wikipedia および