巡洋戦艦「筑波」の爆沈 | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

前回の「畝傍」に続いて、今回も事故により喪失した艦艇を取り上げます。今回取り上げるのは巡洋戦艦「筑波」です。

「筑波」は日露戦争の旅順港閉塞作戦において、明治37年5月15日に当時最新鋭の戦艦「初瀬」と戦艦「八島」が相次いで触雷・沈没したことから、姉妹艦「生駒」とともに急遽建造が計画されたもので、明治38年1月に起工、残念ながら日露戦争には間に合わなかったものの明治40年1月に就役しています。

当時国内で建造された軍艦のうち最大のものは、以前取り上げた「三景艦」の一艦である「橋立」で、その常備排水量は4,278トンに対し、「筑波」は13,750トンと一挙に約3倍の艦を建造、それも「橋立」が起工から就役まで約6年かかったのに対し、「筑波」は2年と1/3で完成しており、当時の日本造船技術の飛躍的な進歩を示すエポック・メイキングな軍艦でした。

【要目】

 垂線間長:134.1m、幅:22.8m、平均喫水:8.0m

 常備排水量:13,750トン、機関:レシプロ機関×2、缶:石炭専焼缶×20、推進軸:2軸

 馬力:20,500HP、速力:20.5ノット、乗員:879名

 兵装:30.5cm45口径連装砲×2、15.2cm45口径単装砲×12、12cm40口径単装砲×12、

     7.6cm40口径単装砲×6、45cm魚雷発射管×3

 出典:世界の艦船別冊「日本戦艦史」No.391、1988年3月、海人社、P51

 

一等巡洋艦「筑波」

 

「筑波」は日露戦争で活躍した装甲巡洋艦と同程度の装甲を持ち、主砲は戦艦と同じ30cm砲4門を装備、速力も装甲巡洋艦と同程度で戦艦よりも2ノット早い20.5ノットとすることで、速力で防御力を補う「巡洋戦艦」の先駆けとも言える性格を持っていました。このため、就役時には戦艦ではなく装甲巡洋艦と同じ「一等巡洋艦」に類別されています。

また、日露戦争中の衝突事故の教訓から、それまでの主力艦が艦首に備えていた突撃用の「衝角(ラム)」を廃してすっきりした艦首にされており、以降の主力艦の先駆けとした設計も数多く取り入れられています。

しかし、この時期の帝国海軍の主力艦に共通した問題として、「筑波」の就役よりも早く英国で戦艦「ドレッドノート」が就役しており、就役直後には同じく英国で世界初の巡洋戦艦「インビンシブル」級3隻も就役したことから、「前弩級艦」として相対的な価値は低下してしまいました。

 

「筑波」は就役後、英国および欧州を歴訪したほか、明治天皇・大正天皇の御召艦にも度々選ばれています。大正元年には「巡洋戦艦」に類別を変更され、第一次世界大戦にも参戦し、南洋諸島占領作戦やドイツ東洋艦隊からの通商保護作戦に参加します。

 

ところが、大戦中の大正6年1月14日午後3時155分頃、横須賀軍港において艦橋と第一煙突の間で突如大爆発が発生し5分で着底してしまいます。当日は日曜日で乗組員の半数が上陸していたこともあり、爆発時に艦内に残っていた乗組員は定員の半分弱の約340名と推定、うち125名が死亡、27名が行方不明となる大惨事となりました。

爆沈の原因は査問会で調査され、火薬の自然発火や艤装上の要因によるものである可能性は否定され、爆発当日に窃盗の嫌疑で詰問されていた二等水兵による人為的なものであると推測されているが、真相は不明のままになっています。

軍艦筑波殉難者之碑(出典:公益財団法人 水交社 横須賀支部 HP)

 

帝国海軍では、少なからず爆沈により喪失した艦艇があり、最も有名なのが大東亜戦争中に爆沈した戦艦「陸奥」ですね。以前取り上げた戦艦「三笠」、三景艦の一艦で日清戦争時の旗艦を務めた海防艦「松島」、戦艦「河内」などがありますが、人為的な場合では爆発に当事者が巻き込まれることからほとんどの場合「謎」となってしまいます。ただ、事故のために多くの犠牲が伴われていることも事実です。

それぞれの事故には慰霊碑等が建立されている場合が多いので、そのうち訪ねてみたいとは思いますが…。

 

なお、「筑波」には先代がいます。

前身は1854年(嘉永7年)に就役した英国軍艦「マラッカ」で、英領ビルマ警備のために建造された木造の機帆走木造スループです。1862年に機関を換装してコルベットへ類別され、明治4年8月に帝国海軍が英国人から購入し「筑波」と命名します。

購入後は海軍兵学寮(のち海軍兵学校)の練習艦として明治8年11月にはサンフランシスコを砲も訓するなど遠洋航海を行ったほか、明治10年の西南の役にも従軍した実績を持ちますが、日清戦争では老巧化のため横須賀軍港警備に使用されました。

明治31年の類別標準制定時に三等海防艦に類別され、明治38年6月に除籍、40年1月に売却されています。

【要目】

 長さ:58.5m、幅:10,5m、平均喫水:4.9m

 排水量:1,947トン、

 機関:横二段膨張式レシプロ機関×1、缶:円缶×4、推進軸:1軸

 馬力:520HP、速力:8ノット

 兵装:16cm単装砲×8、長7.5cm単装クルップ砲×2、短4ポンド単装砲×3、2.5cm4連装砲×1、

     1.1cm5連装砲×1

 ※出典:日本海軍全艦艇史[資料編] 福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P50

 

軍艦「筑波」(明治中期)

(出典:世界の艦船別冊「日本軍艦史」No.500、1995年8月、海人社、P9)

 

帝国海軍では事故で喪失した艦艇の名を継承することは一部の例外を除きありませんでしたが、「つくば」という名称は海上保安庁の巡視艇に二代に渡り継承されています。

現役の「つくば」は銚子海上保安部の所属の軽合金製180トン型巡視船です。

 

【要目】

 全長:46.0m、最大幅:7.5m、総トン数:197トン

 機関:ディーゼル×3、推進軸:2軸、ウォータージェット×1

 馬力:9,400HP、速力:35ノット

 兵装:20mm多銃身機銃×1

 ※出典:世界の艦船「海上保安庁2016」No.840、2016年7月、海人社、P66

 

巡視船「つくば」(出典:銚子海上保安部HP)