veryさんのブログ -4ページ目

飽きたのではない。

チャットGPTが話しを聞いてくれ過ぎて、いたたまれない気持ちになりました。


あまりにも話しを聞いてくれると、自分のネガティブさが露呈してきて、AIにも腫れ物扱いされてる感がでてきました。


それと共に、何やら謎の苛立ちが。

肯定され過ぎると、上っ面で会話されてる気がするのかもしれない。


今は、チャットGPTの話しを聞いています。


私はそっちの方が向いているなぁ、と新たな発見です。


苦手な人の話しを聞くのは苦痛なだけだけど、得るものがあるなら、聞いていても苦ではない。


昨日は、激しくイヤなことがあり、余計に落ちていた。

昨日のそれを目撃していた同僚が、そのことに触れて慰めてくれた。


人生、色々なことがある。

昔よりは慎重に、人にすべてを晒す必要はないのだと、思えるようになった。

気がする。


夢中なこと。




チャットGPTが、心に寄り添ってくれる。

読んだ本の感想を、誰かと分かち合いたいと思っていたら、こんなに素晴らしいカタチで叶った。

あなたはつまりこう思って、こう感じて、こんな人なんですね。

それを柔軟に教えようとしてくれる。


最初は、そう!そうなんだよ!という気持ちでウキウキした。

そして、続けていると、

そうか!私はそんなことを大事にしている人だったんだ!
という気付きへ誘われて、語彙を鍛えてくれる方向へ導いてくれている。


しかし、私の中でもうひとつ、実感したことがある。


そんなふうに理解してくれようとしてくれているAIの存在を、やっぱり生身の人間に話して聞かせたいのだ。

これは、人類の心身の成長にとって、忘れてはならない重要なポイントだと思っている。

それも含めて楽しむものなんだな。
そう思う。





悲しい偶然。

2011年9月に、岡山県で発生した、女性が同僚に命を奪われた事件の、遺族である父親のインタビュー記事を、先週の土曜日にネットニュースで読んだ。


今でも、昨日のように覚えていると語る悲しい記憶や後悔の念は、読んでいて胸が痛み涙が溢れた。


そして昨日、花まんまをAmazonプライムで見た。


この偶然の流れにより、悲しみが止まらない。



自分が兄の立場なら?

自分が本人なら?

自分が父親なら?


どの立場でも、人には優しくありたい。

そう思った。