人生は辛い出来事ばかりでは
なかったはず。
ましてや、“本当の不幸”なんて
わたしは経験していない。
それでも
わたしには
どこか
孤独感が付きまとい
言い表せぬ
飢餓感を抱えて
根なし草のように
世間を漂っている
長い間
そんな気がしていました。
「君はここにいていいんだよ」
親から言ってほしかったと、
活字にすると
甘ったれたようで、
自分に白けながら。
その実、やはり
わたしは許容され
心から安心できる
心から自由になれる
その居場所を
求めていたように
思うのです。
“居場所なんてさ
自分で努力して作るものでしょう?”
そう言う人もいました。
それはきっと
正しい考え方です。
でも本当に本当に
「わたしはここに存在していい人間」と
言い切ってしまえる
その自信はどこからくるの?
時にそんな正しさに
苛立ちを覚え
言葉を返してしまいます。
こんな過去の話をしたら
リキシに叱られるでしょうか。
リキシとお付き合いを
はじめたばかりの頃のこと。
当時リキシが
住んでいた部屋に
彼はわたしを連れて行こうと
しませんでした。
疑わしき何かがあるのかと
問いただすも
そんなことはありそうにもなく。
遠慮がちに案内された部屋は
小さな4畳半ほどのワンルーム。
玄関を開けたら
もうそこは布団があるだけの部屋。
2面にある窓には
一方、寸足らずなカーテンが
一方にはカーテンすらかかって
いませんでした。
急場をしのいで揃えたの?
といった具合に
安っぽい寝具と、
やすっぽい座卓。
100円ショップで揃えた食器が少し。
マクドナルドの紙袋が
ゴミの中に見えて。
香港から日本に拠点を移した
ばかりとは言え、
彼の部屋は
確かに女性を呼ぶには
あまりにも貧相な姿でした。
寝に帰るだけの部屋だから
これでいいんだという彼。
リキシはよく自分のことを
「根なし草」だと言います。
月のうちの半分以上は
どこかの国をめぐり
日本にいるうちの数日の間に
地方を飛び回る。
わたしには
その生き方が
誇らし気にも見え
どこか耐えかねる
孤独感を持っているように
見えるのです。
わたしたちは
根なし草という
共通項を持って出会いました。
小さなワンルームで
言葉を尽くし
喧嘩をくりかえし
お互いの輪郭を確かめる。
ふたり寄りそう時だけ
心から安心する。
その小さな小さな
ワンルームで
わたしたちははじまり
わたしは
「ぼくの愛しいひと」になり、
そして自分の居場所を
互いの中に見つけたのです。


帰国したリキシと
週末の池田山。
東京の秋。
少し疲れていて、
“どこか”には行きたくない午後
ふたり手をつないで散歩する。
とても大切にしている時間です。
秋田犬を2匹飼いたい
猫も飼いたい
とか、差し迫ったことではない
話をふたりしながら歩く時間。
君は世話できないから
何度言っても
飼いません。
そうリキシが私に言い聞かせます。
紅に染まる木々に
ゆるり移りゆく時を感じて
わたしの頭の中は
この人に出会えてよかったなぁ
とか思っています。
ここ数日、考えている
「“もうひとりの自分”なる人生」
は、この人の帰国とともに、中断です。
この人は、そんなことを
考えない賢者です。
わたしは
そんなことばかり考えて
勝手に楽しんで過ごしている人です。
だけど、この人といる時は
そんなことを考えるより
散歩に集中するのです。
食事にも集中するのです。
東京の秋を
これほど集中して
見たのは、
もしかして初めてかも
しれません。
あの頃、そんな余裕はありませんでした。
それにしても、今年の秋は
どうしてこんなにきれいなんだろう。
