今年のイタリアの五月は、おかしな天気続きで、雨降りの日ばかり。
雨が止んでいる時にできるだけ動く。
物を受け取った後に、素材屋に寄ってから、出勤予定だったが、この石留めをお願いしている工房がサンタ フェリチタ教会の真横にある。
という思いにかられながらも、先を急いでいた。
しかし、その日は、このふと思った感情に従って、中へ入った。
教会入ってすぐ右側にあるカッポーニ礼拝堂に、この絵はあるのだが、ちょうどアメリカ人ツーリストとガイドがこの絵の前にいた。
普通の状態では真っ暗でこの絵の鑑賞はしにくいが、お金を入れて電灯をつけると、数分間ライトアップされる。
ポントルモの淡い色の洪水にしばし、浸る。
キリストが十字架から降ろされるところの絵なのに、十字架は描かれていない。
そしていつ見ても、キリストを支える少年の眼差しに目が釘付けになる。
なんとも言えない悲しさがにじみ出ている。
ルネッサンス後期のマニエリスムの時代の画家たちの絵には、調和を壊す試みが見られる。
ルネッサンス期に目指された、あまりにも完璧すぎるハーモニーが流れる世界からの逸脱を狙っているのか?
それとも、ペストがおとずれたり、ルターの宗教改革が出現し、信じるものを失った不穏な空気の流れる時代背景がそうさせているのか?
芸術作品に時代背景が色濃く出ているのは、
その瞬間を生きている芸術家たちの心の動きが反映されているのだから、当たり前と言えば当たり前のこと。
桃色に輝く少年の肌を見つめながら、
私たちが生きているこの時代は、一体どんなもので、そしてどこへ向かっているのだろうか?
という疑問が沸き起こる。
生きている最中は、生きることに懸命で、きっと時代を経てから、その変化というものを後世の人々が見てとるだけなのかもしれない。
余談になるが、この絵は、詩人であり、映画監督でもあるパゾリーニの「リコッタ」という作品にも登場する。
色のない世界から突然この色の洪水になるシーンは必見である。
この絵を見る度に、また映画も見たくなる。
それでは皆さん、今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました

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