新年早々の事だった・・・
カリフォリニアから訃報が届いた。
2025年1月10日・・・
あのマイク・ヒンソンがこの世を去ったのだ。
そう・・・
彼がこの世を去ってから、もう、3か月が経過してしまったのだ。
しかし、それを伝えるメディアは日本では無かったのではなかろうか?
仮にあったとしても、デイル・ベルジーやドナルド・タカヤマの時の様な採り上げ方にはなっていない事は確かである。
昨今のビーチではヴィンテージボードを見掛ける事は殆ど無い。
俺自身がビーチに持ち込んでもそれらの興味を持つ人も無い。
そう、今はそういう時代なのである。
故に、ヒンソンの逝去も採り上げるられる事もなかったのではなかろうか?
マイクヒンソンは1942年に海軍のエンジニアであるロバート・ヒンソンの長男としてこの世に生を受けた。
父の仕事の影響で幼少期はハワイと南カリフォルニアを行き来していた様だが、彼が10歳になる頃には定住した様である。
そんな彼は10代で既にサーフィンの頭角を現す様になり、後にホビーのライダーとして映画「エンドレスサマー」で主演を務めたと事は周知の通りである。
カリフォルニアの友人達に彼の事を訊ねると多くの伝説?を耳にする事が出来る。
例えばそれは・・・
「ベトナム戦争の徴兵を3年間逃げ続けた・・・」とか。
「サーフィンブームが終わる頃には娑婆と塀の向こうと頻繁に行き来していた・・・」とか。
「虫歯にサーフボードの樹脂を詰め込んで自身で治療?した」かと。
数え上げたたら本当に切りが無い。
そんな、伝説の塊がこの世を去ってしまったのだ。
御年、82歳。
俺も父を70代、母を80代前半に亡くしているので、これは仕方ない事なのかも知れないが・・・
レジェンドがこの世を去るのは、やはり、寂しい限りである。
こちらの写真はサーファーズのオーナーであった矢作さんから生前に頂いたモノである。
ヒンソンが腰を据えているボードを譲り受けた時に「ボードと一緒にこれも持っておいて・・・」と。
そんな、ヒンソンのお話しは次回の更新でも少しだけ綴らせて頂きます。
Keep SUrfing!!!!