マイク・ヒンソンに纏わる話は本当に多い様である。
彼がどこで何をしていたのか?
彼とは無縁の人間達がまるで彼とは親しかったかの様に語っていた様である。
特に、彼の母校であるサンディエゴのラホーヤ高校がある界隈では嘘か誠かの様な話が頻繁に飛び交っていたのは彼が映画「エンドレスサマー」にて「時のスタア」になった時代がピークだった様だ。
カリフォリニアのボードコレクター達が口を揃えて云うのはこうである・・・
「彼ほどの伝説はいない」と。
ヒンソン伝説において比較的多く聞かれるのは「彼はサーファーであり、シェイパーではない」である。
この言葉の意図を突っ込んでみると・・・
どうやらヒンソンは余りシェイプが得意では無かった様である。
確かに、サーフィンが上手いからと云って手先が器用とは限らない。
かのウエイン・ミヤタも当初はシェイプに挑んだらしいが、デイル・ベルジーから「お前はラミネーター向きだな」と云われたとか?云われていないとか?
そんな、伝説もカリフォリニアには沢山転がっている。
マイク・ドイルやミッキー・ドラも同じ様な類だと聞かされた。
実際に、ヒンソンは自身の考案したサーフボードの数々をスキップ・フライが削り上げていた事は周知の通りであり、スキップ以外にも多くのブレーンによって「シェイパー・ヒンソン」は支えられていた様である。
ストレッチノーズ・・・
グライダー・・・
そして、彼の最高傑作でもあるレッドフィン・・・
こうして改めて彼のボードを見返してみると・・・
そのどれもが個性的で、それらの大半はゴードンスミスのライダー時代に考案されたのだから彼の全盛期は紛れもなくあの時代だったのであろう。
彼はエンシニータスで永眠された訳だが、少し遅いが今度の休日は彼のボードを抱えながら偲んでみたいと思う。
R.I.P