その昔、シーコングの田中さんから「コレクター」と云われた事がある。
それまで自身でコレクターという認識が無かった為、初めてその言葉聞いた時には少々驚いてしまい、「そっか、俺みたいな人間を世の中ではコレクターと言うんだ?」と、感心してしまった程であった。
しかし、自身がこれまで入手しようとしたボードの経緯、経路、系譜等を考えると「確かにコレクターかも?」と思い当たる点もポツリポツリとある。
発端はベルジーツリーのシェイパーを「総なめにしたい!」からだった。
やがて、それが達成すると「今度はこれ!」みたいな感じで止まらなくなって行った気がする。
時は1990年代後半。
ランス・カーソンにオーダーしたカスタムボードがカリフォルニアから届いた直後にこんな事が頭を過った。
「ランスの次は南のヒンソンだよな・・・」と。
そして、1本のボードを入手した。
この時代の俺は、唯々憧れのボードを有していれば幸せだった。
それがどんなボードで、どの様な状況下で使うのかは二の次だった。
だから、いざ使い始めるとボードもそれなりに痛みが浮き彫りとなり、「長期入院・・・」なんて事もザラであった。
今回紹介するマイク・ヒンソンのボードも同様で、使い方が解らない情弱が有していると、ここまで「酷い状態」になる事を痛感されられた。
さて、傷つきまくったヒンソンのボード・・・
誰に修理してもらおうか?
実は、もう、決めていたのだ。
マイク・ヒンソンと親交があり、自身はベスト16にも選出された経験を持つプロサーファーの人見英樹さんである。
誰よりもヒンソンの事を熟知しており、その温厚な性格から多くのサーファーに慕われているレジェンドである。
そんな彼に傷ついたヒンソンのボードを見せると・・・
「これは凄いですねぇ」
「少し時間を下さい」
と、条件付きで修理を受諾して頂いた。
それから5年・・・
いや、10年以上が経過した。
「修理でなんでそんなに?」と思うかも知れないが、要は「彼もサーファー、我もサーファー」なのである。
「気が向いた時にやるよ」
「気が向いた時にやって下さい」
しかも、肝心の俺が修理を出していた事自体を忘れてしまっていては尚更である。
そんな時間の経過の中で遂にボードが我が元に帰って来た。
一見、ヴィンテージ?とも思えるこのボード・・・
一体、どんなボードなのか?
次回の更新で綴ってみたいと思います。
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