時は20世紀初頭・・・
ハワイアにはパラダイス(楽園)として本土より多くのアメリカ人が訪れていた。
この地で、ビーチボーイズとして観光客にサーフィンをレクチャーしていたのがパオアの名で親しまれているデューク・カハナモクと云われている。
デュークは数人の仲間達とビーチボーイズとしての仕事を熟している一方で、空いた時間にサーフィンや水泳を楽しんでいた様だ。
そんな、デュークの水泳をビーチから眺めていた一人の男によって近代サーフィンは誕生したと云っても過言ではないだろう。
歴史にタラレバ不謹慎だが、もし彼がデュークの水泳に目を止めなかったら・・・
もし彼がデュークを水泳の代表候補に誘わなければ・・・
そう考えるとサーフィンの歴史は今とは待った違ったモノになっていたのではないだろうか?
デュークは水泳選手として海を渡った一方で、カリフォルニアは勿論だがオーストラリアにおいてもサーフボードの創り方からサーフィンの楽しみ方を現地のビーチボーイズにレクチャーしたそうだ。
当時、デューク等はハワイアンウッドを用いてサーフボードを自作で創っていた訳だが、それらの木は主に流木だった様で「海の神からの贈り物」として、魂を込めてシェイピングされていた様だ。
そして、その流れはカリフォルニアでも受け継がれて行く事になる。
これらのサーフボードはヴィンテージボードと呼ばれる事は無く、アンティークボードと呼ばれる程の希少性を誇っている訳だが、その重量故に、小脇に抱える事は不可能で、サーファー特有の小脇に抱えた粋なポーズの登場はバルサボードが登場するまで待たなければならなかった。
バルサはレッドウッド系のボードとは異なり、アンティークではなくビンテージと扱わる訳だが、ご覧のバルサボードを交えながら少しだけバルサを綴ってみたいと思います。
Keep Surfing!!!