ジムフィリップスのシモンズ | Viva '60s SurfStyle!!!

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1960年代のカリフォルニアサーフスタイルに心を奪われた男の独り言。

35歳の若さでこの世を去ったボブ・シモンズ・・・

彼が居なかったらサーフボードはどうなっていただろうか?
 
 
かの、デイル・ベルジーが同様の事を云われる一方で、ボブ・シモンズも、また時代を切り開いた一人である。
 
 
10代の頃に足に出来た腫瘍(癌と云われている)が原因で同世代の者達より著しく貧弱だったボブ・シモンズは同じ病院に通っていた一人の患者の助言でサーフィンを始める事になる。
 
 
彼は時折、化学者と称される事があるが、それは正しく彼の歩んで来たヒストリーその物で、実際に彼は大学を経て様々な分野で研究に明け暮れていた。
 
 
そして、それらを無意識の中で少しずつ趣味であるサーフィンに反映させて行く事になる。
 
 
例えば、ジーン・クーパーを始めとするクラフトマンがバルサを中空状態にして創り上げる手法も、実は最初に考案したはボブ・シモンズだと云われている。
 
 
バルサが普及する前のサーフボードはレッドウッドが主流だった為、その重さを出来る限り軽減する為にボブ・シモンズは中空にして軽量化を図ったと云われている。
 
 
また、ボブ・シモンズはデーブ・スウィートがフォームのボードを世に送り届ける以前にフォームの開発に着手し、ストリンガーの代わりにべニア板で補強を試みたりもした。
 
 
結局、べニア板とフォームは剥離してしまった為、ボブ・シモンズはその開発を断念するのだが、その開発を受け継いだ人物こそが、ゴードン・クラークであった。
 
 
マイクから託されたシモンズにはフォームの両サイドにバルサが用いられているのだが、この仕様こそが当時ボブ・シモンズがフォームとべニア板を融合させた名残を汲み入れたジム・フィリップスの粋な計らいなのである。
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また、ボブ・シモンズはボトムにコンケーブを採り入れる事も早い段階から試みており、このシモンズにも当時のボードを彷彿させるコンケーブが薄らとあしらわれている。

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一般的なBIGシモンズと異なり、このボードにはストリンガー無い。

サイドをバルサで覆っている事から不要であるあると考えたジム・フィリップスであったが、フォームにはクーパーフィッシュのFLEX同様のフォームが採用されており、抜かりなき強度を誇っている。
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そのせいか?体重100キロ超えるマイクの愛機であったにも拘わらず、フットマークは略確認出来ないレベルである。
 
少々意外だったのが、精巧なボード創りで定評のあるジム・フィリップスにも拘らずレールがハリボテの様な創り込みが成されていた事だった。
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しかし、このハリボテこそがシェイパー、ジム・フィリップス真骨頂なのではないだろうか?
巷で見掛けるシモンズの様なピンチ気味のレールで無く、あえて、当時のシモンズの匂いを採り込んだ粋な計らいを感じしてしまうは俺だけであろうか?
 
 
フィンに採用されている素材が同じバルサが使われている所等も、ジムフィリップスがボブシモンズへのリスペクトを重んじてのいる様に感じられた。
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そして、肝心なのがディケールである。
ここまで拘っていながらライスペーパーのディーケールでは、その想いも希薄なってしまうと考えたのだろうか?
 
 
彼はレッドウッドを用いて、ご覧のディケールを創り込み、そして、それをフォームに埋め込んだのである。
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数々の伝説を残し、この世を去ったボブ・シモンズの最期はビッグウェーブでの事故であった。

当時の記録に目を通すとワイプアウトした彼に天からバルサが降って来て、それが頭にあった事により海上で脳震盪を起こしたと云われている。
 
 
もし、シモンズが居なかったらサーフボードはどうなっていたのだろうか?
彼が手掛けた原型があったからこそ、マリブチップは誕生した。
そして、そこからPIGが誕生した。
 
 
ジム・フィリップスがこのボードに様々な想いを込めて創り込んだ事をマイクから聞かされた時には改めてサーフィンの奥深さを感じた。
 
 
こんな素晴らしいボードを独り占めしては罰が当たる。
ピーターのバルサもそうだが、本当の意味でスペシャルなボードだからこそ、その素晴らしさを仲間達と共有したいと思う。
 
 
海で見掛けた時には、ぜひ声を掛けて頂ければと思います。
 
 
KEEP SURFING!