サーフボードとは不思議な縁を感じる事がある。
カスタムオーダーでは感じる事の出来ない、この不思議な想い、今日はそんな事を書き綴ってみたいと思う。
定期的にな訪れる湘南界隈のビーチ、帰りにはシーコングに立ち寄るのが通例となっている。
失礼な云い回しになってしまうが、ボードを買いに行く訳でも、勿論、オーダーをしに行く訳でも無い。
ただ、オーナーの田中さんとの会話が楽しみで足を運ばせて頂いている。
そんな、田中さんとの会話の最中、1本のボードが目に入った。
「このボード、確か以前から置いてあったような・・・」、不思議なもので、この目に留まったボード、実はこの日が初めての対面では無い。
幾度か田中さんに詳細を尋ねた事があった気がする。
しかし、その時には他のボードが気になり?更にサーフィン談議に花が咲き過ぎていたせいか?余り耳に入って来なかったのかも知れない。
ただ、今度ばかリは少々違う。
オーバーな云い回しになるが、ボードが俺を呼んでいる様に思えた。
そして、改めて田中さんにボードの事を問うてみると・・・「実は、良く判らないんですよね」、「ロビンやアレックス等に問うても判らないんですよ」、「でもストリンガーの形状がサーフボードハワイのモデルっぽいので・・・」と、詳細は不明らしい。

しかし、そのボードから放たれるオーラーは紛れもなく1960年代に誕生した名品である。
ちょっと・・・
いや、かなり興味が沸いて来た。
しかも、長さは10ft。
俺のサイズである。
そして、田中さんから譲り受ける事になった。
クロスの向こうで微かに発するのはディケールでは無く、ショップカードの様にも見えた。
しかし、何と書いてあるのかさえ判断できない・・・

せめてレーベル名だけでも判れば・・・と、思っていた時に新井君が「Larry Felker(ラリー・フェルカー)だと思うんですけど・・・」とだけ教えてくれた。
ラリー・フェルカー・・・
残念ながら聞いた事が無い。
そして、これが単なるレーベル名なのか?シェイパー名なのかさえも判らない。
しかし、だからこそ、調べる楽しさがあると云うものだ。
結果、1960年にベンチュラで産声を上げたサーフボードメーカーである事が判明した。
因みに、本来はご覧の様なディケールが存在するらしい。

オーナー兼シェイパーであるラリー・フェルカーは1929年にこの世に生を受け、かのデーブ・スウィートでシェイプスキル磨き上げ、後にホビー、ゴーディー、そして、ジェイコブスと渡り歩き、自身のレーベルを立ち上げている。
デーブ・スウィートか・・・
この段階で、より一層に不思議な縁に駆り立てられた気がしてならない。
自身のレーベルは1964年までヴェンチュラに拠点を置いていたが、その後1967年まで数カ所の地区を転々とし、1968年にオアフ島に自身の移住を兼ねて拠点を移す事になる。
このボードを田中さんから紹介してもらった時に「破損していたが最初からBOXフィンだった」と聞かされた。

後に、ご覧の様な現行のフィンBOXへと修復されたのが、BOXフィンが普及し始めたのが1967年頃である事、そして、ストリンガーの形状がサーフボードハワイで有名なご覧の形状である事を考えると、恐らくこのボードはオアフ島で作られたのではないかと推測してしまう。

しかしながら、半世紀近く前のサーフボードである。
見事な焼け具合に重量感のあるヴィンテージならではなの出で立ち、そして、ご覧の様な見事なスプーンデッキ。

見事としか云いようが無い。
問題は、このボードにどんなフィンを付けるべきかだ。
いや、どんなフィンが付いていたかだ。
ハーバーのチーターやイエーターのスプーン等を見るとレイクの掛ったフィンが確認出来る。
また、ステップデッキとは少々異なる種なのか?グレッグ・ノールのダキャットも同様のフィンが見受けられる。
シーコングの田中さんの話しでは、以前イベントでこのボードを使用した時にはご覧のハーバーのフィンを装着した様だが、中々フィット感があった様である。

そんな訳で、俺が所有するBOXフィンを吟味してみた所、上記のハーバーのフィンを含めて3種が浮かび上がった。


早速、仮付けをしたみたが、こちらは形状としては申し分ないのだが、如何せんヴィンテージに着けるには少々御法度な感が否めない。

こちらは田中さんから頂いたハーバーのフィンだが、少々大きさのバランンスが気になるのは俺だけであろうか?

そして、こちらはレプリカダ・キャットフィンであるが、これも少々大きさのバランスが戴けない感がある。

この時代のBOXに現代フィンの合わせるのは意外と難関である事が解った。
果たして、どの様なフィンが良いのかは時間かけゆっくりと吟味出来ればと思っている。
そして、このボードのレビューは機会があれば綴ってみたいと思うが、縁があって入手に至ったラリー・フェルカーは、1979年にオアフ島にて19年の活動に終止符を打っている。
そして、翌年の1980年にオーナーであるラリー・フェルカーは51歳という若さでこの世を去った様である。
Keep Surfing.