イエーターのスプーン | Viva '60s SurfStyle!!!

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1960年代のカリフォルニアサーフスタイルに心を奪われた男の独り言。

昔、何処かのサイト?いや、何処かの書物でベルジーの事を追いかけていたら、ベルジーの弟子達の事を紹介している文面に行き当たった。



 

ベルジーが活躍したサウスベイ地区には、その昔、多くのサーフボードブランドが存在していた。
エルセグンドを皮切りに、マンハッタンビーチ、ハモーサビーチ、トレンドビーチ、そして、パロスベルデスビーチとロングボーダーならその名を聞くだけでも鳥肌の立つブランドが犇いていた。



 

そんな地で活躍していた弟子達の顔触れは早々足る者ばかりで、当時の俺としてはかなり興奮したものだ。
しかし、実際に何処までが本当にベルジーの弟子なのか?と追求して行くと非常に微妙な部分もあって、「直系」となると中々居ないのではないかと思う。
何故なら、その弟子と称される一人にレイノルズ・イエーターの名が加わっていたからである。



 

イエーターといえば、北のサンタバーバーラを起点に活躍していたシェイパーである。
そんな彼が何故にサウスベイに居たのか?
一時的にベルジーの元を尋ねた事が「弟子」と称される由縁となったのか?
はたまた、旧友だった事が「弟子」と称される事となったのか?
不思議な話である。



 

以前、ビング・コープランドと食事をした時に「貴方はベルジーの弟子なのか?」と、尋ねた所、彼は「ベルジーからシェイプを教わった事は無い!」と、きっぱりと言っていた。
「でも、メディアでは、貴方は弟子と言われていますよ」と、再び尋ねると「教わった事は無いが、ベルジーがマンハッタンのピアでシェイプしている時に、随分と彼のシェイプを見て勉強したよ」、「そして、独学でシェイプを学んだんだ」、と言っていた。
この曖昧なニュアンスが「弟子」と取られたのかも知れない。
ただ、ビング・コープランドは、ベルジーの弟子と称される事は「光栄な事だ」と言っていたのが印象的だった。



 

話が大きく反れてしまったが、今日は前置きの通り、ベルジーの弟子と称されているイエーターのボードを紹介したいと思う。

 

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イエーターの代表的なスプーンである。
このボードが登場したのは1965年と言われており、同様のステップデッキで名を馳せたリッチ・ハーバーのチーターが登場する1年も前に遡る。
ステップデッキの考案は諸説があり過ぎて、誰が最初にリリースしたのかは未だに謎だと言われいる。
ただ、元々はノーズライダーとしての発想ではなく、あくまでターン性能を良くする為にノーズ部分を抉った事は間違いない様だ。



 

それが、次第にノーズに足を向ける事によって、薄くシェイプされたノーズが撓り、ボードが安定しノーズライディングに適している言われた様だ。
しかし、現在おいてはノーズライディングにはノーズコンケーブの方が適しているとの事から、ステップデッキはビンテージディティールの一つに過ぎないとの見解が一般的となっている。



 

そんなイエーターのスプーンは、ステップデッキもさる事ながら、ノーズからテールに掛けて徐々に太くなっていくウェッジストリンガーが有名である。
これは、ノーズ部分をより軽くする為の工夫だったと言われている。



 

俺が所有するこのボードは、1997年に限定でリリースされたボードで、確か?その数は僅か30本位だったと思う。
ゴールドディケールが付くあたりは、如何にも「限定」を象徴した仕様であり、俺的には余り好きではないのだが、今後は二度と手に入る事がないと思うと「これも有かな?」なんて、今は思ったりもする。

 

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フィンは、勿論グラスオンだ。
前にも書いたが、不思議と限定モノのボードは大抵がグラスオンになっている。
やっぱり、限定故に見た目重視なのであろうか?

 

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イエーターのボードは、これを含めて3本ほど所有しているのだが、残念ながらこのボードしか下ろしていない。
残りの2本はワンオフのファブリックである為、30本どころの騒ぎじゃない希少な物だからである。
そちらのボードも機会があったら、是非、お披露目したいと思っている。



 

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