1970代のランスカーソン | Viva '60s SurfStyle!!!

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1960年代のカリフォルニアサーフスタイルに心を奪われた男の独り言。

俺が尊敬する偉大なるサーファーであり、シェイパーである、ランス・カーソン。。。



 

以前、彼と会った時に「今までショートボードを削った事が無かったけど、今度初めて削る事にしたんだ」と、シェイプ中のショートボードを見せてくれた。

 

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彼が削っていたボードは、ショートといってもフィッシュ形状のミニシモンズ見たいなボードだった。
「知り合いから、どうしても・・・と頼まれてね」と、人生で初?となるショートボード造りを楽しそうに語っていた。



 

俺がランスカーソンを尊敬する理由は色々とあるのだが、その中を一つがショートを削って来なかった事だ。
「ショートを削らないシェイパーなんて沢山いる・・・」かもしれないが、削らなかった人の大半は、サーフィン業界からドロップした者ばかりだ。
しかし、ランスは1970年代もロングボードに乗り続け、細々ではあるがロングを造り続けて来た人物である。



 

そう言えば、ベルジーやジェイコブスは業界から足を洗っていたし、タカヤマだって・・・・ね。
でも、ランスカーソンはショートボードの渦に巻き込まれながらもロングに乗り続けて来た。
そして、造り続けて来た。



 

ランスカーソンのボードを大きく分類すると4つに分けられるのではないかと思う。
一つは、1966年にジェイコブスが彼の為に造り上げたシグネチャーだ。
ジェイコブスのディケールデザインを縦型に置き、ジョン・シーバーソンが撮影したと言われているお決まりのポーズをあしらったあのデザインのボードだ。



 

更に、1967年に彼自らがシェイプしたキックテールのシグネチャーだ。
1966年モデルのジェイコブスシェイプは、ノーズロッカーがあり、キックテールにはなってないのだが、そのテンプレートをベースにランスが改良したボードだ。
一般的に「ランスのシグネチャー」と言えば、この1967年以降のモデル指す事が通説である。



 

そして、残りの二つはジェイコブスが1971年に業界から足を洗ったの機に、翌年の1972年に独立してから1990年代のロングボードリバイバルまでの期間に極僅かながらシェイプされたボードとリバイバル以降のボードだ。



 

いつもながら前置きが長くなったが、今日はその時代のボードを紹介したいと思う。
ランスカーソン・サーフボードの最初期のボードがこれである。

 

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ジェイコブスから独立を果たし、ショートボード・ブームの最中にランスが渾身を込めてシェイプしたボードだ。
ボードの重さは、1970年代に出来たとは思えない程、ズッシリと重く、レールの厚みは時代に逆行したぶ厚いレール形状になっている。
フィンは、勿論、グラスオンだ!
しかも、テールから飛び出ているお決まりの位置に着いている。

 

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映画「ビッグウェンズデー」で、マット・ジョンソンがジェリー・ロペスと比較される「ムービーショー」のシーンがあったが、あの話は実話で、実際にランス自体が味わった苦い経験なのだが、俺はそれでも、ロングボードに拘り続けたランスカーソンこそ、ソウルサーファーだと思っている。



 

「ビッグウェンズデー」のエンディングで、ロペスがショートボードで大波をメイクしているシーンがあるが、あの時代は劇中でも、正にショートボードの時代である。
にも拘らず、マット、ジャック、リロイの3人はロングボードを抱えて、海に向かって行く・・・
それを実際にマリブ界隈で、ランスが行っていたのかと思うと涙が溢れて来そうだ。



 

1990年代にロングボードブームが起こり、いつの間にかサーフィン雑誌はロングボードに変わってミッドレングスの特集を組む様になった。
そして、SUP、シモンズ、クワッドフィン・・・
目まぐるしく変わる特集内容・・・



 

俺はサーフィンで生計を立てている人間じゃないから、流行なんて追いかけないし、雑誌の情報に左右される事も無かった。
大体、クラシックロングボード以外には興味も持たなかった。
でも、周りの人達は「ミッドレングスに乗りなよ!」、「SUPは1本あっても良いよぉ」、「クワッドは動くよぉ!」とか、散々言って来た。



 

別に水遊びなんだから、楽しければ何に乗っても良いとは思うんだけど、俺には出来なかったなぁ。。。
同じ様なボードばかり乗って、ちっとも技量も上がらず、変にコレクターになってしまって・・・
だから、ランスが頑なに自分のスタイルを守って、細々とロングを削り続けてきた事を知った時に、なんか、凄く嬉しかった。



 

このボードが、一段とランスカーソンの偉大さを俺に教えてくれた。
ジェイコブスに敬意を払って考案されたディケールは、俺にとって、とても大切な標でもある。

 

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俺がボランクロスに拘り、重たい高密度に拘り、そして、グラスオンに拘るのは、ランスカーソンが1970年代に自身を見失わないで、誇りを守り続けて来た事と同じなのかも知れない。
今度、ランスに会った時には、少し俺の話も聞いてもらいたいと思っている。
そして、彼の反応を見てみたいと思っている。



 

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