久しぶりにFNMNLさんに寄稿いたしました。

 

 

バイク事故を経たJay Rockが新作『Redemption』に込めたフッドへの想い - FNMNL (フェノメナル)

 

 

アルバム『Redemption』をリリースしたジェイ・ロック(Jay Rock)の、『The Breakfast Club』におけるインタビューまとめです。

 

最後のプロフィールにも書きましたが、今作は個人的に今年のベスト3に入るくらい気に入っています。

 

アルバムはもちろんのこと、このインタビューも彼の実直な人柄が伝わってきていいので、ぜひ読んで、余裕があれば動画を観てみてください。

 

 

 

 

さて、そのロックですが、2年前に遭った交通事故について、インタビューではこんなことを話していました。

 

俺は本当に死んでたかもしれないって思ったよ。あんな事故に遭ったら回復にもっと時間が掛かるか、生きられない人もいるのに、俺は早く回復したから医者は驚いてた。寝ながら、俺は人生についてたくさんのことを考えてたんだ。何がやりたいのか、どこに行きたいのか。俺は音楽でカマし続けるしかないって思った。ずっと音楽には本気だったけど、あれで完全にギアが変わったね。

 

「Redemption」の1ヴァース目冒頭のリリックは)基本的に、みんなに向けて話してるんだ。一般的な話だよ。俺はメッセージを伝えたかったんだ、自分に対しても。よりよい人間になろうっていうメッセージをね。俺はきっと過去に正しくないこともしてきた。ここまでの過程で何人か人を傷つけたかもしれない。その時は気づかなかったけれど。そんなときに、何かを経験することで謙虚になれることもある。撃たれたり車の事故に遭ったり、そういう命に関わる経験をすると謙虚になれるんだ。

 

彼のこの言葉を聞いて思い出したのが、6月18日に銃で撃たれて20歳の若さで亡くなった、XXXテンタシオン(XXXTENTACION)のことでした。

 

 

XXXTENTACION (R.I.P.)

2017年8月、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の『THE DAMN. TOUR』にて筆者撮影

 

 

このニュースは本当に衝撃的で、しばらく言葉が見当たりませんでした。

 

作品でもしばしば「死」を題材にしていた彼は、自らがそこに向かっていることを本能的に分かっていたのかもしれませんが、それでもショックは大きなものでした。

 

数々の問題行動で知られるXXXテンタシオンですが、彼が銃殺されたことを正当化するに足る理由など無いはずです。

 

それに、どんな善人でも突然命を落とすことはあるし、どんな悪人でも生きながらえることはあるし、そこに因果関係を見出す営みは本質的にナンセンスです。

 

ただ、あくまでそうした前提のうえでですが、彼の訃報を目にした時、「カルマ」という単語がよぎったことも事実です。

 

 

個人的なことを話すと、私は彼の「Look At Me!」には何の魅力も感じなかったものの、昨夏にリリースされたアルバム『17』をけっこう気に入っていました。

 

一方で、妊娠したガールフレンドに暴行を加えた、刑務所で一緒になったゲイの男性を理由もなく血まみれにした…など、どこまで本当かは分からないにせよ確実にアウトな事案を知るにつれ、Spotifyの再生ボタンが遠くなっていきました。

 

彼が犯した蛮行が彼の死を正当化しないのと同様に、彼の死が彼の犯した蛮行を正当化あるいは美化することは、あってはなりません。

 

でも、周囲の人々から適切なサポートを受けていれば、彼は殺される前に、どこかで変われたのではないかとも思ってしまいます(し、実際に変わろうとする様子も少しばかり見受けられました)。

 

繰り返しになりますが、日頃の行いと生き死にとの間には、本質的に因果関係などありません。が、そう認識したうえでも、どうしたら彼は死なずに済んだのか、どうしたらカルマが彼に追いつく前に救えたのか、などと考えてしまいます。

 

 

 

 

生死をさまよった交通事故さえも「救済(Redemption)」へと転化し、その経験を糧に素晴らしい作品をドロップした、「人格者」のジェイ・ロック。

 

そうした「救済」の機会に恵まれず、音楽では実績を残しながらも非業の死を遂げた、「問題児」のXXXテンタシオン。

 

二人の境目は、きっと私が感じている以上に曖昧なのだと思います。

 

 

仮にカルマがあるとして、XXXテンタシオンのような犠牲者を今後生まないために、我々は「エンターテインメント」とどう向き合うべきなのか。

 

その一方で、言動や内容に問題があるからと切り捨てることで損失する機会とは、どう向き合うべきなのか。

 

少しずつ、私も答えを持たねばならない時期に来ているように感じます。