空間と心の共鳴
初めてロシア正教の宗教画を見たとき、不思議な感覚がありました。裁かれている感じでも、見透かされている感じでもなく、ただ守られているという安心感があったのです。日本には「お天道様が見ている」という感覚がありますが、それともどこか違っていました。この違いは、視覚構造から考えることができるのかもしれません。西洋絵画の遠近法では、空間は奥へと収束していきます。鑑賞者が中心に立ち、世界を見渡します。見る主体はあくまで自分です。『The Light That Stirred Me』エルミタージュ美術館イタリア天窓の間エルミタージュ美術館には、エカテリーナ2世をはじめとするロシア皇帝や貴族が収集した芸術作品が所蔵されています。大小のイタ…ameblo.jpエルミタージュ美術館のイタリア天窓の間に立ったとき、この感覚がありました。大きな天窓から柔らかな自然光が差し込み、壁面に掛けられたイタリアのバロック絵画が穏やかに浮かび上がります。光と遠近法で描かれた絵画の奥行きに包まれながら、見る者としてその深みを体験しました。一方、逆遠近法を用いたロシア正教のイコンでは、視線や空間が鑑賞者へ開かれているように感じられました。それは監視ではなく、静かに関係の中に置かれる感覚がありました。しかもその包容は、感情的な慰めではありませんでした。《ハリストス・パントクラトール》のようなイコンは、しばしば厳しく見えます。表情は抑えられ、微笑みはありません。しかしその目は、拒絶でも威圧でもありません。感情で揺さぶるのではなく、存在をまっすぐに見つめる目なのです。わたしは、感情で甘やかされる安心ではなく存在そのものに受け入れられる安心を実感しているのだと思います。相手が、「弱くあれ」「強くあれ」と求めるのか。それとも、強さや弱さを超えて、存在そのものを見ているのか。そこには、感情で包み込むのではなく、存在をそのまま置くような構造があるように感じられました。それが、わたしの実体験と重なり、ロシア人に感じていた優しさが、甘さではなく尊重であったことに気づきました。面白いことに、天窓の間では、美しい光と遠近法で描かれた絵画の奥行きに心が満たされました。しかし逆遠近法のイコンの前では、神の世界がこちらへ開き、心理そのものが響きました。どちらも、美しいだけではなく、包まれる体験でした。これは文化の優劣ではなく、わたし自身の体験の話です。ただ、世界の捉え方の構造が少し違うだけです。けれど、その違いが、ある人の心に深く響くことがあります。