これは、「人と価値観が合うかどうか」「集団や共同体の価値観から外れていないか」という表層の問題ではなく、価値観に外から手を入れられると思ってしまう姿勢についての話です。


そもそも価値観は、その人や集団のすべてを支えるものとは限りません。

同じ言葉で語られていても、辿ってきた経験や、身につけてきた知識、信じてきたものは、人によって違います。


人それぞれ、内側に意味を立ち上げる構造があります。

だから、他人は自分とは異なる仕方で世界を理解し、生きていると、最初から認めて関係に立つ、という姿勢が必要です。


人は、神の働きに内側で参与しながら生きる存在であり、外からは手を入れられない領域があると、古くから考えられてきました。


不可侵の領域に踏み込むことで、他人の判断の基準を逸脱させる躓きを生じさせる行為を、キリスト教では「スカンダロン」と呼んできました。


だからこそ、自分の答えを、他人の人生や生き方に重ねようとしないことは大切なのです。