理解と執着
ラベリングそのものは理解にもなり、同時に未解決を固定するものにもなり得ます。たとえば親を「毒親」とラベリングし続けることは、一見すると親から距離を取っているようでいて、実際には親との関係を心理的な中心に置き続けることでもあります。親との関係で受けた傷を無関係な他人にまで重ね合わせてしまうと、過去の問題は現在進行形の問題として繰り返されます。そうした投影が続く限り、その傷はまだ解決の途上にあると言えるのかもしれません。そこには、過去と現在、そして自分と他人との境界の曖昧さも見え隠れします。理解したつもりになっていても、実際にはラベルを貼っただけということもありま す。本当に傷が癒えるとは、その出来事に人生を支配されなくなることなのかもしれません。