おはようございます。
今朝は久しぶりの快晴で朝から気温が上がり、残暑の厳しい一日になりそうです。
このブログでは自身の鉄道に関する関心ごとやたまに鉄道外のことを上げていますが、本日は「ひとりごと」です。
先週9日に元プロ野球選手で「安打製造機」と呼ばれ、前人未到の3000本安打の記録を残していた張本勲さんが亡くられました。
私自身はプロ野球選手としての張さんではなく、サンデーモーニングのスポーツ御意見番コーナーを見だした20年間の印象でした。
本日のサンデーモーニングのスポーツ御意見番ではゲスト御意見番として「おち・なか」コンビと一緒に張さんの追悼コーナーがありました。
お二方とも年齢は14歳離れているのですが、落合さんはパリーグのロッテ時代、中畑さんはセリーグの巨人時代で一緒にプレーされている関係でした。特に落合さんはロッテの二軍でくすぶっていた際、張さんが監督に落合さんの一軍起用を進言し、「何かあったら何でも相談しろよ」と声を掛けられたと回想され、「その一言がなかったら落合博満はプロ野球界に存在しなかった」と感謝されていました。
こちらは元プロ野球で南海、東京オリオンズで選手として活躍し、日ハムの監督としても活躍された大沢啓二さん(通称:大沢親分)と出演されている頃の映像です。私がスポーツ御意見番コーナーを見だしたころはすでに二人で毎週、出演されていましたが、元々は大沢親分のみで、張本さんは大沢親分の欠席時のピンチヒッターとしての出演だったそうです。それが番組の手違いで両名をダブルブッキングしてしまったところ、二人の掛け合いが非常に評判となり、1枚目のスタイルになりました。
大沢親分が亡くなられた後は張さんが週ごとのゲスト御意見番とコーナーを続けられ、2021年末に現スポーツ御意見番の上原氏に引き継いで、以降はスペシャル御意見番としてスポット出演されていました。
2枚目は最後の出演となった8月2日の放送ですが、いつもの張さん節でコーナーを盛り上げてくださいました。そして最後は「天晴っ!」で、オールスターのファン投票で巨人の坂本を選んだファンに対してでした。ここも最後が「喝っ!」や選手個人への「天晴っ!」ではなく、ファンに向けたものであったのが、偶然とはいえ、張さんらしい・・
野球人としての張さんは1枚目の通り、「安打製造機」の異名通り、1980年のロッテ時代に3000本安打と500本本塁打を達成し、特に安打は2位の野村克也さんの2901本に対して3085本と100本以上の差と3000本超えという前人未到かつ現在では記録更新が難しい記録となっています。
2枚目は3000本安打達成時の映像ですが、阪急ブレーブスの山口高志投手から本塁打で大記録を達成しており、いかにも張さんらしい達成です。
この時はガッツポーズなど喜びを爆発させながら走塁していましたが、当時は相手投手に礼を欠くとのことでガッツポーズなどはしない暗黙のルールがあったようで、翌日、張さんは山口さんに非礼を詫びに行かれ、ここも張さんの礼儀正しさや相手への気遣いを感じさせる一幕でした。
最後には長年、張さんとスポーツ御意見番のコーナーを共にした唐橋アナからは張さんは厳しいコメントは近年はコンプライアンスが叫ばれるなかで人を傷つけかねない本音を張さんがズバッと言って、発言がSNSで大騒ぎになったのは、多くの人が張さんの言葉に感情を揺さぶられていたからだと思います。それも人への苦言は、その人に対して深い愛情がないと決して言葉にできないと思うからであり、私が身近で接してきた張さんは、本当に心から深く愛情深い方だったなという印象ですとコメントされ、「天晴っ!」とともに感謝を伝えられていました。
そして現在の御意見番である上原さんもコメントと寄せておられました。
先月のサントリードリームマッチ(詳しくはコチラ)では御意見番(上原さん)とスペシャル御意見番(張さん)のドリーム対戦が行われ、コーナーでは「来年も対戦できるなら1週間前から練習するよ」と意欲的にコメントされていたのですが・・・・
そしてスポーツ御意見番コーナーでは長年メインキャスターとして張さんと一緒に番組を支えた関口宏さんのコメントが紹介され、そこに「平和を訴え続けた・・・」とあり、そのままスポーツコーナーから風を読むへ進んでいきました。
私は張さんを元プロ野球としては知っていましたが、被爆者で平和を訴え続ける張さんを知ったのはここ5,6年ほど前からでした。
引退後も写真のように「平和だからできる、なるべくたくさんの子どもがそれを享受できるように大人が頑張らないといけない」の思いで子ども野球教室などでも尽力されていました。
張さんは広島で朝鮮人の両親から1940年に生まれ、子どものころは暴れん坊として名を馳せていたようです。
5歳の時に広島で被爆し、この時、姉を亡くし、自身も被爆者となりました。
被爆時は母が被さって助けてくれたとのことでした。
野球は中学生から始め、高校卒業後に東映フライヤーズ(現:日ハム)に入団し、選手生活を開始します。
このプロ野球に入ったのは終戦後に父が亡くなったあと、女手一つで子育てをしてくれた母にいい暮らしをさせたいとの思いがあったとのことです。
ただこの頃は被爆者に対する差別も多く、現役時代は自身が被爆者であることは隠し、そして自身も原爆症ではないかとの思いがずっとあり、健康診断やちょっとした腹痛などでも不安に駆られていたとも張さんは回顧されていました。
現役を引退し、2006年に新聞社から戦争体験についての対談を依頼された際、1枚目の通り、「8月6日は大嫌い、無くして欲しい」と言われました。それに対して記事を読んだ小学生の女の子からの手紙に2枚目の「無くしてはいけない。終生忘れない」とあり、そこから自身の戦争・被爆体験を後世に伝え、平和を訴えていくことに邁進されたとのことです。
今まで語ることのなかった被爆時の様子や悲惨さを色んなところで語られるようになりました。
そして今まで一度も訪れることのなかった広島の平和資料記念館にも訪れ、展示内容を一つ一つ立ち止まって回られたそうです。
自身の回顧録では「被爆者は死ぬまで戦争は終わらない」「地球上から核兵器が無くなったということを聞いてから息絶えたい」と述べられています。
そんな思いを胸に最後まで自身の戦争・被爆体験を後世に伝えることができる最後のメッセンジャーとしての活動も続けられました。
そんな張さんの思いとは逆行し、世界ではまだ戦争は各地で続いており、先進国を中心に核兵器はすぐに使える状態の物が約1万発あると言われています。
張さんは「核兵器は減らすだけではダメ、地球上から全て無くさないと意味がない」と語られており、核抑止力などの理論もあり、簡単にはできない課題ではありますが、張さんは「人は唯一、語り合うことで時間が掛かっても分かり合える存在だから戦争の無い時代を目指すことができるのではないか」とも語られています。
最後まで平和を語り続けられた張さんが渡したかった「天晴っ!」は「核兵器の無くなった地球」に対してだったのではと思います。
今まで野球人としての張さんしか知らなかったのですが、平和を訴える最後の世代としての張さんにも敬意を表し、追悼したいと思います。
今は戦争が続き、核保有状況も減らない中で「喝っ!」な状態ですが、いつか戦争が無くなり、核保有が不要になる「天晴っ!」な時代が来ますようにと願いつつ・・・
でわでわ

























